たくさんの方々にお気を使わせてしまわぬよう、せめて葬儀が終わるまではと公表せずにおりましたが、

 

 

先週 7月17日13:00ちょうどに最愛なる母 小川洋子が永眠いたしました...あと1ヶ月で90歳を迎えるはずでしたので、盛大にお祝いをしようねと約束をしていた矢先の享年89歳。。。

 

母の人生を振り返ると、同じくちょうど50歳を迎えようとしていた時に、 当時は1年に一人出るか出ないかと言われていた「悪性リンパ腫」で父が他界して以来、立て続けに病気で次男優二、そして祖母さくを亡くし、悲しみに耽る時もありましたが、基本それから40年もの間、長年住み慣れた東京「青山」から伊東市の「宇佐美」に安住の地を定め、人生一度も働くこともなく、父の遺した遺産だけで悠々自適に自分の好きなことだけをやりながら暮らしていたので、子供の僕から見ても羨ましい人生だったと思います。

 

ただ80歳を超えてからは、父と同じ病気の「悪性リンパ腫」を患い、一時は一年近く僕の麻布の家に同居しながら文京区の「順天堂大学附属病院」に通う日々も経験しましたが、その結果、担当医も驚くほどの異常な(笑)体力と共に奇跡的に完治。

 

さらにその数年後には「乳がん」まで見つかり、まさかのその歳にして片方の「乳房全切除術」をも行いましたが、結果完治...と、まさにどんな難病でも跳ね除けるスーパーおばちゃんとして、こりゃ100歳も夢じゃないなと思ってたんですが、負の連鎖はさらに続き、宇佐美の自宅で自慢の真っ赤なオープンカーを、よせばいいのに自ら洗車をしていた時(普通その歳でしないでしょ?)に転んで、腰を骨折。

 

それも一応は完治したんですが、それ以降本調子とは言えず、結果 寝たり起きたりを繰り返している時に、あのコロナ旋風の到来で、僕らも母の家に遊びに行くことすら制限されてしまったのが、今から考えると痛かった。。。

 

(続く...。)