超高層オフィスビルと共に併設された

 

 

ニュー歌舞伎座の建て替えが完了したのが2013年...そしてその新しくなった歌舞伎座に初めてやってきたってことは、

 

 

おそらく10年以上も観劇していなかったことになるわけで、その最後に観たのが おそらく

 

 

同じ暁星学園で幼き頃から机を並べ共に歩んできた市川中車こと香川照之の襲名披露公演にもなった2012年6月に催された六月大歌舞伎」。

 

それまで順風満帆に俳優香川照之として多くの作品に出演し、その実力も大いに認められていたにも関わらず、なぜ未知の世界でもある歌舞伎の世界に急遽 足を踏み入れることになったかといえば、皆さんもよくご承知の通り、3歳時の両親離婚以来続いていた 実の父親である二代目猿翁(旧 三代目猿之助)との親子断絶とも言える関係が、父の後妻である初代藤間紫の粋な取り計らいにより修復し、息子である長男政明をどうにかして140年以上続く『市川猿之助』を継がせたいの一心で、その架け橋となる父親である自分が、まず歌舞伎の世界に入らないと始まらないということでのこと。

 

その結果、当時の二代目市川亀治郎(現 四代目市川猿之助に後継がいなかったことから、 三代目猿之助の愛弟子であった市川右近(現 市川右團次)が四代目を継ぐのではとの憶測もありましたが、同じ血筋を踏む市川中車の息子 である五代目市川團子の登場によりそれは白紙となり、結果、團子が五代目猿之助を継ぐと仮定し、跡取り問題も解決したことから、亀治郎が四代目猿之助を襲名することになりました。

 

今となっては周知の事実になってしまいましたが、四代目猿之助が結婚もせず跡取りもいないことからご察知の通り、彼は昔から男性を好む思考が強かったものですから、照之が歌舞伎の世界に入ることにより、照之の夢も実現すると同時に、自分も猿之助を名乗り さらに自由奔放に活動ができると、まさに一石二鳥の状態にあったわけでありますが、現在も世間を騒がしている突如湧き起こった猿之助一家心中事件も大きく影響し、今 歌舞伎の世界は大きな壁にぶち当たっていることは確か。

 

(続く...。)