それだけ美味しくてアットホームなN.Y店は、その後アメリカに一大和食ブームを起こすきっかけともなるほどの大盛況な人気店となるわけですが、幸一氏の父である、2024年で創業100周年を迎える本むら庵(荻窪本店)3代目の信男氏が『本むら庵』の社長職を娘婿の勝彦氏に譲った矢先に急逝したことをきっかけに、2007(平成19)年に惜しまれつつ閉店...その代わりに帰国した幸一氏は六本木支店を別会社として引き継ぎ、

 

 

ニューヨーク店のコンセプトを活かした『HONMURA AN TOKYO』としてリニューアルし 、『日本』という垣根を超えた 全米一有名な日本蕎麦屋として今に至るわけですが、いつ伺ったって満席で賑わうこの店が無くなるなんて、未だに信じられません。。。😭

 

帰国後の幸一氏とは夜の街へ出る度に必ずや顔を合わせるほど、飲みに行く場所がいつも同じで、公私共に大変仲良くさせていただいておりましたが、外国人がうまくすすれるよう短くカットされた石臼挽き手打ち蕎麦はもちろんのこと、なんといってもやはり常連の今は亡きジャニーズ事務所副社長だったメリー喜多川女史とその日最後の「一重」を争ったこともある (笑)この店の「天重」がどこの有名天ぷらやさんのものよりも大好きだった僕は、一体これからどこへ「天丼」を食べに行ったらいいのか?

 

お塩を舐めながらいただく名物の「升酒」も、もう2度といただけないのかと思うと、今すぐにでも涙が出てくるほど、僕にとっては悲しい出来事なんであります。。。

 

(続く...。)