僕も当初は反対側の右前方から別のヒットマンが狙撃したのではないかと考えておりましたが、

 

 

よくよく映像を繰り返し見てみると、演説台からは撃たれた反動で降りたのではなく あくまでも自力で降りており、その瞬間に病院の発表のように右首筋を2発撃たれているということは、あの茶番劇の おそらく空砲であった散弾銃の爆音だけが響き渡る煙の中、その場にいた何者かが至近距離で右首元に向けて発砲した可能性が高いことが明らかでありまして、つまりもしかすると そこにいた全ての人間がグルだった可能性もあると思うと 、日本という国も恐ろしくて夜道を歩くのも危険な気がしてなりません。

 

 

安倍さんをめぐる疑惑はというと、元を辿れば  幕末に伊藤博文らによって孝明天皇が暗殺され、当時の周防国熊毛郡田布施村に住んでいた大室寅之祐という人物が替え玉となり明治天皇として即位したという「明治天皇替え玉説」で一躍注目を浴びた田布施システムから始まっており、明治維新後、田布施近隣出身の伊藤博文、木戸孝允、松岡洋右らが政府の要人となり 日本を牛耳ったという歴史や、山口県のこんな小さな人口約1万6000人の町から安倍晋三氏をはじめ、彼の祖父 岸信介や大叔父 佐藤栄作の両元首相らまでも輩出している現実からもそれはまんざら単なる噂ではないような気もするわけですが、そこから現代に至るまでの長い歴史を通じて、 見えない場所で渦巻く権力争いを知れば知るほど、

 

 

より今回の暗殺事件が アメリカで言うケネディー大統領暗殺事件に匹敵する、結果 日本における『闇』を浮き彫りにする一大事件だったことは言うまでもありません。

 

奇しくも国葬で述べられた菅前首相による友人代表弔辞の最後に「衆議院第一議員会館、1212号室のあなたの机には、読みかけの本が一冊ありました。岡 義武 著『山県有朋』です。ここまで読んだという最後のページには、マーカーペンで線を引いたところがあり、そこにあったのはいみじくも、山県有朋が長年の盟友 伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。」との節があったのも、たとえ同じ総理経験者とはいえ、なぜいきなり山口県出身の伊藤博文と山縣有朋の名前を出したのか?

 

僕的には やはり田布施システムをこれからも我々がしっかり継承していきますといった、大親友でもあった菅元総理の影のメッセージがここには含まれていたとしか思えないのは僕だけでしょうか?

 

ところで、以前にもこのブログでお伝えしたよう、安倍さんとはジムが一緒でして、そこではそんな裏の顔はひとつも見せることなく、 誰にでも気さくで笑顔の素敵なおじさまでありましたので、色々と多方面から問題視はされていても 僕としては個人的にとても好きな政治家の一人でありました。

 

 

謹んで心からご冥福をお祈り致します。。。

 

(続く...。)