当時の70〜80年代にかけて流行となった「ニューミュージック」の中でも、特に欧米の音楽の影響を受け 洋楽志向の都会的に洗練されたメロディや歌詞を持つ「シティポップ」は、やはり僕の人生の中では忘れられない音楽なわけで、ユーミン尾崎亜美 世代の次に現れた杏里の楽曲は、ちょうど年齢的にも思春期を迎えた僕らの切ない気持ちを代弁するかのような歌詞とメロディーで一世を風靡し、今聞いてもまるで時代を感じさせないのが不思議...。

 

 

特に1983〜1985年にかけて発売された、当時まだ無名であった角松敏生プロデュースによるBI.KI.NIからスタートした4枚のアルバムは、個人的に彼女の絶頂期と言っても過言ではない素晴らしい出来栄えだったし、たまたま作詞を担当する作詞家の吉元由美嬢が僕の友人のお姉さんだったり、その時期に設立した彼女の個人事務所の名前が「コロニーサーフ」(僕がハワイで自宅を購入する前に30年近くも定宿していたホテル ニューオータニ カイマナビーチの隣にあった、一階にはあの世界的に有名なフレンチレストランミッシェルズが入っているホテルコンドの名前...🌴。)だったのもハワイ好きの僕を惹きつけた理由のひとつであったことは間違いありません。

 

 

その後もさらに進化を遂げ、1989年発売のCIRCUIT of RAINBOWでは第31回日本レコード大賞 アルバム大賞』も受賞、2000年には拠点をL.Aに移し、その活躍の場は今でも世界に向けて大きく広がり続けているわけですが、僕的には1987年発売のアルバムSUMMER FAREWELLS以降、杏里本人によるセルフプロデュースが始まった頃からちょっと雲行きが怪しくった気がしてならないわけで、やはり恋人と噂になったほどプライベートも仕事もバッチリ噛み合っていた、角松プロデュース時代の曲が一番好き!!

 

本名が川島 栄子という普通の名前だったり、世界的ギタリスト リー・リトナーとの婚約&婚約破棄はまぁ愛嬌として(笑)、夏の終わりを感じながら 久々に彼女独特な「SURF MUSIC」の世界観にやんわりと浸ることができました。

 

2016年ごろから始まった、欧米を中心とした海外でのジャパニーズ・シティポップブームの到来と共に、今現在も杏里は「シティポップのクイーン」として世界中で讃えられているとのことで、いやいや めでたしめでたし。。。😌

 

(続く...。)