なぜ起業?
どうして起業だったのか?
時々思い出したように考えるのです
転職ではなくて
起業を選んだ私
これだけは絶対誰にも負けない
とか
これは誰にもまねできないということがある
とか
有り余るほどの資産がある
な~んてことは全くなくて
取り立てて自慢できることもない!
そんな私がなぜ起業だったのか?
そう、今までの私だったら
今よりもいい条件の職場へ
より高額のサラリーとか
より通勤に便利
なんてことばかり考えていました
なのに
収入については 「なんとかなるかな?」
自分ひとりでの起業だし
迷惑かけるとしたら家族に少し
負担をかけるのかな・・・
程度で済むなら
やりたいことをやりたい
だって人生一度きりだもんね
という気持ちだけでここまで来ました
でもね
よく良く掘り下げていくと
もっともっと深いところに
どうして起業だったのか
その本質が隠されているのです
過去の経験からこれがやりたくて
というお話はよく聞きますよね
過去にこんな大変なことがあって
それを乗り越えた先に結果として
起業という道があった
よく聞くストーリーです
確かにつらい経験や大変な思い
経験は何よりも大きなこと
私自身そう思っているので
とってもよくわかります
そして自分の得た結果を
今はまだ悩みの渦中にいる方に届けたい
それもとってもよくわかりますし
私もそう思います
でもちょっと違うのは・・・
私の記憶の中には
消えてしまった記憶がふたつある
ということです
そう、辛かったからなのか
ただ逃げたかっただけなのか
どちらなのかよくわかりませんが
とにかく記憶のないことがあるのです
そのなくしてしまった記憶の中に
自分自身と向き合う本質が
隠されているのではないか
そう思うのです
なくした記憶から紐解く
なくしてしまったふたつの記憶
ひとつは子供の頃の記憶です
中学2年生の頃の記憶が
全くないのです
それでも思い出そうとすると
断片的に少しずつ思い出せる程度で
ほとんどのことは今も思い出せません
どうやって過ごしていたのだろう?
自分でもわからないのです
ほぼ一人暮らしの状態だったのが
あまりにも辛かったみたいです
2歳年上の兄が大けがをして
母は兄に付き添うため
ある日突然いなくなったのです
父とふたり暮らしが始まりましたが
飲食関係の職人だったため
ほぼ家には私ひとりでした
父が帰ってくるのは
私が寝る頃か寝たあと
土日も当然仕事です
朝、学校へ行くときには
父はまだ寝ています
どんな風に過ごしていたのか
全く思い出せないのです
ただ、時々病院へ面会に行って帰る時
病院の近くにある歩道橋の上で
手を振る母を振返って見て
泣いていた
その場面だけは鮮明に覚えています
涙を見せると母が困るから我慢しよう
私さえ我慢すればみんなが安心する
そんな思いが芽生えて
言いたいことをグッと我慢する
そんなことを覚えたのだと思います
もうひとつの記憶は大人になってから
こちらも断片的に時々ふと思い出す
そんな程度です
自分の時間を削って
全てを犠牲にして過ごした
自己主張も、自分の時間も、親兄弟も
そのうちのどれを望んでもいけない
自由が全くありませんでした
何がどうなって
そんな考え方に縛られたのか
少しずつ思い出して紐解いていくと
そこには共通して 「我慢」
それから努力、継続
これが出てきます
自分さえ我慢すれば丸くことが収まる
そんなあきらめの境地と
逆境の中でも
ひたむきに頑張れば
いつか誰かが見ていてくれる
諦めずに続けることが大切
そんな価値観が見えてきます
記憶はなくてもこのふたつとも
たくさんの経験があって
今の私に繋がっている
ということには違いありません
また、過去自分が決めた価値観から
どんな風に見方を変えて抜け出せたのか
その後の考え方や経験したこと
それを掛け合わせて
この体験から得たものを伝えていきたい
と思いました
消してしまいたい過去がある
抜け出したい現状がある
人それぞれその原因は違う
とは思いますが
そんな想いに囚われている方の
心を開放して
自分らしさを取り戻してほしい
なぜなら
私たちは幸せに生きるために
存在しているのです
一度しかない人生を
どんな風に生きたいのか
そして今を精一杯生きるために
子供を大切にする
夫婦で向き合う
自分の夢を叶える
仕事に一生懸命なる
起業して何かを成し遂げたい
そうなのです・・・
自分の経験と
これから成し遂げたい想い
これが私の起業の原点なのですね
マイナスからゼロへ
ゼロからプラス1へ
そんな女性のお手伝い
これが私のなぜ起業だったのか
という理由です
今日も最後までお付き合いいただき
ありがとうございます
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