憎みきれないROCKでなし
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アベフトシ

最近、私が更新する記事は訃報ばかりのような気が・・・。

そして今月も

皆既日食の7月22日、突然の訃報が飛び込んできました。

アベフトシ急逝・・・


マスコミの扱いもあまり大きくなく、世間的には「誰?」という反応も多いかと思いますが、私のとっては忌野清志郎や三沢光晴に匹敵するような衝撃でした。


アベフトシ。私が大好きだった「ミッシェルガンエレファント」のギタリスト。190センチ近い身長でテレキャスを掻きむしるように弾く姿は本当にかっこよく、なおかつそのギターの音は独特のエッジの利いた音色を奏でたものでした。

ミッシェルのラストライブの時、最後の曲「世界の終わり」の演奏時、弦が切れたままギターを弾き続ける姿、そして最後の「ありがとう」の一言。最後までクールでスマートな姿が今でも忘れられません。


バンドの解散後は、いろいろなセッションには参加するものの、あまり表立った活動は見られませんでした。正直、私も「アベのギターはボーカルを喰っちゃうくらい強烈だから、サポートギターとしては使いづらいだろうなぁ・・・」と思っていました。そして去年の年末に吉川晃司のライブのゲストで参加した際は、正直ピンとこなかったのですが、さすが過去に多くの名プレイヤーと競演した吉川晃司。うまくアベのギターを生かしつつ自分のボーカルも存在感を出していて今後に期待を持たせるセッションでした。


そんな中での今回の訃報。久々のニュースがこんな悲しい話なんて・・・本当に残念です。

25日のフジ・ロックのステージ上でチバが「このライブをアベフトシに捧げます」と語ったそうです。きっと、アベにもこの言葉、届いたと信じたいです。ありがとうアベフトシ。R.I.P


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三沢光晴~DEPARTURE~

先月13日の衝撃のニュースからはや3週間。三沢光晴のお別れ会に行ってきました。

そもそも、三沢(あえて敬称略で)を知ったきっかけはビデオの録画を失敗してプロレス中継を録画してしまったことから。

そしてたまたまそれを見たことから、私は三沢の大ファンになりました。

当時、プロレスを見ている友人は多かったので、廊下ではいたるところで関節技を掛け合い、プールでは飛び込み台がトップロープへと早変わり。修学旅行の布団は速攻でマットと化し、誰かが流血をするまで熱いファイトが続いたものでした。


そんな青春の1ページを彩ってくれた重要人物、三沢光晴。私はどうしても最後にお礼が言いたくてお別れ会に行くことにしました。


途中で献花用の花を買い(当然、緑色基調で)、会場のディファ有明に向かいました。途中曇っていた天気だったのが徐々に日が射すようになり「さすが三沢。最後までファンサービスに努めてくれるぜ」などと思いながら会場に到着。そしてそこには驚愕の光景が広がっていました。


人、人、人・・・おびただしい人の行列が果てしなく続いているのです。その距離約2キロ。しばらく歩いて最後尾に着くも、私の後ろにもすぐさま人が並びあっという間に行列は伸びていきました。

憎みきれないROCKでなし
  ものすごい人の行列です

行列を並ぶことが苦手な私ですが(10分待ちのラーメン屋でもあきらめるような)、今回は途中で帰るなんて考えは微塵もなく、とにかく花を手向けたい、お礼を言いたい一心でした。

そして待つこと3時間。ついに会場にたどり着くことができました。

憎みきれないROCKでなし


             入り口も大勢の人でごった返しています。


場内では三沢のテーマ曲『スパルタンX』が鳴り響く中、粛々と献花が進められていきました。泣く人、叫ぶ人、静かに祈る人、それを見守る選手たち。色々な感情の人たちを見ていると、私も感情の波に流されました。

そして私の順番が来たとき、感謝の気持ちを込めて、リングに花束を投げ込みました。

「ありがとうございます。そしてお疲れ様でした」

それ以外の言葉は浮かびませんでした。

憎みきれないROCKでなし
                 「ありがとう三沢。忘れないよ・・・」
               

忌野清志郎

ロック界のボスが逝った・・・忌野清志郎。まだ58歳。一般的にはあまりにも早い死で、でもロックンローラーとしては長生きか・・・そう思わないとやるせない。


歌は知らなくとも、その名前と顔はおそらく誰でも知っているであろう『忌野清志郎』。おそらくヒット曲というより、発売禁止アルバム「COVERS」や「君が代」パンクバージョンでの発売禁止騒動での印象のほうが世間的には印象が強いと思います。しかし、元来ロックという音楽の根底には「反体制」、「反抗」がベースにあるわけで、それを踏まえるのであれば、忌野清志郎は紛れもなくロックンローラーでした。


テレビでリハとはまったく違う歌を歌ったり、放送禁止用語を連発したり、常に世間をおちょくったような態度を取ってきた清志郎。でも、裏を返せばロックとは自由、言論の自由を(やや過激に)表現してきただけにすぎません。今、「ロックやってます」って言ってるミュージシャンで、本当にロックな連中がどれだけいるでしょうか?世の中のタブーとされる出来事には目を背け、当たり障りのないラブソングばかり歌ってそれをロックといえるでしょうか?テレビの制約も厳しくなった今(DJ OZMAでさえあんな大騒動になるくらいですから)彼のような真のロッカーはもう出てこないかもしれません。


「雨上がりの夜空に」、「スローバラード」、「トランジスタ・ラジオ」、「キモチE」・・・一癖もふた癖もある歌を残した

忌野清志郎。彼の遺した歌と、そのインパクトはずっと私の記憶に残り続けると思います。天国で彼が好きだったブルースマンたちとセッションしていることでしょう。でもやっぱり早すぎるよ清志郎・・・。


清志郎が『TIMERS』時代に発売したアルバムにこんな歌詞があります。


思い上がった現代医学 人間の体を

切ったり 貼ったり 取り換えたり

自動車部品じゃ あるまいし

挙句の果てに 抗癌剤 薬づけ

助かる命も 助からない 半年も持たない

抗癌剤 抗癌剤 それは殺人罪

手柄をたてたい お医者さん

あんたは殺人罪


忌野清志郎さんのご冥福をお祈りします。

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