夫が逝ってから初めての盂蘭盆会の記録。
猛暑と闘って連敗続きでしたが、子供たちが帰省し賑やかに家族で新盆供養をし、祭壇の遺影がいつにも増して笑顔に見える。。
弔問の方が次々見えた4日間、夫の元同僚の方も何十年ぶりに来てくださって昔を懐かしみ故人の話に盛上がる。ご近所さんも見えて地域情報を沢山教えて貰う。今はお茶飲みに行き来などしないから、互いの近況を知る貴重な機会。親しい人たちも来てくださり、忙しくも良いお盆となる。有難いことである。
孫たちはじーじに作ってあげると、折り紙で薔薇や鶴やカバを真剣に折り、可愛いお供えが祭壇に並ぶ。小さな指で作られたそれらはピカピカのお供えだ。
東京在住のFさんからは魚肉ソーセージが御見舞いと共に送られて来た。その理由は他の人には解るはずもないのだが、夫が入社して初めて携わったのが魚肉ソーセージ用ケーシングフィルム開発だった。○○○ロンフィルムの技術は半世紀たった現在でも健在、今も利用され当時のままスーパーに並んでいる、と夫に伝えてあげたいのだと、手紙には書かれていた。その箇所を読んで胸に熱いものが込み上げる。
人が来ると元気ぶる私は、ご飯作りが楽しく、皆で食べると何でも美味しく、やたらと嬉しいのであった。嬉しい反面、身体はかなり消耗したのだが。
もう弔問客は終わりそうな夕方のこと、息子が家電店に連れて行ってくれた。壊れたテレビを買うことにしてアドバイスを乞うと、テレビとレコーダーをプレゼントしてくれると言う。エアコンが二台も壊れて困っていた母を気遣ってくれたのだろう。誠に嬉しい。
来客対応で行けない私に代わり、子供たちが墓掃除や代理墓参してくれたりと、息子たちには色々と世話になった。
台風7号が来る前に息子たちは帰り、また独り居の日々が戻った。
夜、台風対策をし終えてやれやれ。。。
と思った時、ソファの前で世界が急にグルグル廻り出して立っていられなくなる。猛烈な吐き気も襲ってきて立っていられなくなり、とりあえずスマホを抱えながらソファに倒れるように横になった。
目を閉じても開けても凄い目眩が止まらない。オーマイガー‼️
水を飲み吐くだけ吐いてしまおうとしたが、吐けない苦しさ、、、
そうこうして数時間後、漸く吐き気は少し弱まり、動けるようになった。救急車🚑️呼ぶレベルか冷静に判断する自分がいて、まあ、大丈夫だろう、白湯を飲んで休んでいたら明くる朝、目眩も治まった。
思えば、過労と熱中症による症状だったようだ。連日頭痛が去らなかったのも熱中症のせいだろう、と自己判断した次第。こんなに長期にわたる猛暑で、私は完膚なきまでに疲弊していたのだと思う。エアコンのついた室内にいても、長い間に受けたダメージは相当なもので、慢性的な熱中症になっているのだとわかる。くやしいが、そう認識した上でこの夏を無事越せるよう、掃除片づけに目をつぶらねば。一人なのだから決して自分を過信せず、気象の変化に合わせた暮らしかたをしなければ。
目下は玄米のお粥とカツオブシ、唯一食べれるスイカ、梅干し、そんなものを食べている。徐々に普通食に戻そうと思う。
家電製品が壊れ、私の老体も壊れる夏。。それでも物事には終わりと始まりがあり、そのうち何とかなってゆく?のだろう。