昔々、
と言っても昭和30年代、
田舎に住む子供たちの「お手伝い」がどんな風であったか、
記憶が薄れない内に書き残しておこうと思う。
クラスメートは殆ど農家の子弟ばかりで
(我が家は農家でなかったが)
放課後はどの子も、遊ぶ前に家の手伝いを終わらせることになっており、
その年齢に応じた仕事が与えられていた。
30分から1時間以内の作業だったが。
前の家の子は、囲炉裏端の板の間と外縁側の雑巾がけ。
水道がなかった当時は、
つるべを落として井戸水を汲み
(何一つとっても「捻るとジャー」ではない時代)、
固く絞った雑巾で丁寧に拭き掃除している顔は、
小さいながら真剣そのものだった。
双子ちゃんの家では、
牛にやる藁を押し切りで刻んで飼い葉桶に入れ、
水を交換する手伝いが課せられ、
時々二人が作業を終えるまで見学して待っていたこともある。
田舎に来て鶏を飼うようになった我が家では、
卵採り、フン掃除、水取り替え、
青菜を刻んでトウモロコシや米糠を混ぜて餌作り、
などが私の仕事。
ある時は、
風呂焚き用の薪能狩り。
ヤセウマという道具を背中にくくりつけ、
親や近所のおばちゃんたちと賑やかに里山へ行ったものだ。
杉枝は火力が強いので良い薪になる。
地面に落ちている杉枝の葉を鉈で落としてから枝だけを束ね、
体が小さいので、
小さなヤセウマにのせて意気揚々と帰ってきた。
乾いた松葉を集めて焚き付けに持ち帰ったこともある。
四季折々の里山は美しく、
私にとってディズニーランドのように楽しい場所となった。
村に1、2軒しかない店にお使いに行かされ、
持参のボウルにお豆腐を買い、
量り売りの砂糖、味噌、日本酒、を買ってきたことも。
今思うとよく手伝いをしていた。
しかし、親を助けるのは当たり前のことと
皆が思っていた時代であった。
庭掃除、除草、朝食のご飯、味噌汁作りもできるようになった。
その経験が今の自分を形成してくれたと思い、
小さなうちから労働の尊さと大切さを教えてもらえたことに感謝したい。
こうして、農村の子供はそれぞれの手伝いをこなしながら、
年長のお姉ちゃんから小さな子供までがグループで仲良く遊んだ。
女の子たちの遊びは
「ままごと」「お手玉」「おしくらまんじゅう」「缶けり鬼」「かくれんぼ」「マリつき」「国盗り」「おはじき」「石けり」「川遊び」「紙人形ごっこ」「グリコ・チョコレート・パイナップル」などだったかしら。
(きっと忘れてしまった遊びもあると思うけど)
からだ全部を使って室内外で本当によく働き、よく遊んだ、
昭和の子供たちが懐かしい。