先日、ラジオ深夜便の午前3時台から

(ホホ^^ 早起きなので)

福島県在住の作家、玄侑宗久さんの肉声が流れてきました。


2回目の放送の途中からでしたが

メモしながら傾聴しました。


お話によると、

最近、「方丈記」をまた読んでみたらどうかと

勧められ

何十年ぶりに手に取り

再読したそうです。


昔はそれほど印象に残らない本だったのに、

この大震災後に再読すると、

1000年も前の時代の人とは思えないほど、

現代の私たちへの示唆に満ちていて、

震災後どう生きるか?のヒントが

見つけられる本である、と

おっしゃっています。


また、


我々日本人は

動く島、

ナイ(恐ろしい地震のようなものをあらわす)

の上に仮住まいしているにすぎない。

天災や人災でなにも失いたくないと思って

用意周到に準備していても

自然には結局勝てない。


宇宙のすべてが常に変わり続けていくので、

何一つ約束された安定はない。

したがって、

マニュアルを作ったり、

家を建て替えたからといって

過信してはいけない。

絶対大丈夫な準備はありえない。


むしろ、

なんとかしようとする

「執着心」を捨てて

なにかが起こってしまったら

またやり直せばよい、

という考え方に立ってみてはどうか?


想定しておくのではなく

無心で立っている方が

対処力は上である。

その方が全力で対処できる。


「足るを知る」 = 「知足」の


一般的な意味は

「物でも欲望でも、自分に最低必要な少しでよいこと」。


禅的な解釈では

「自分の中にすべてが備わっていると信じること、

だから、よそに探しに行かなくて良い」


「隣の芝生」や「青い鳥」は

遠いところに行かなくても、

自分のところにあることを知り、

自分のところ

(自分のコミュニティ)で自足していくことが

これからは求められるのではないだろうか?


人は自立して生きていると思い込みがちだが、

それはおかしい。

人は関係性に支えられてあるもの。


だから、どこまでも遠くに広げていいものではない。

低コスト生産のためにどんどん海外まで広げていくやり方は

その意味で無意味。

閉じて守るということでないと

守れないものは多い。


小さな単位で暮らすという価値観が

もっと広まっていいのでは?


・・・うまくまとまりませんが、

そんなことをお話になったように思います。


「心一つで三界の住み心地が変わる」

ということを

玄侑さんはおっしゃりたかったのでしょう。



・・・・・・・     ・・・・・・・     ・・・・・・・


「方丈記」の第2回目をを書くつもりでいたら

手が勝手に玄侑さんのお話に向いてしまいました。

関連付けてお読みいただければうれしいです。




最後に:

前記事の一部を校正しました。

追加された箇所、誤字脱字校正をしましたので、

よろしければ再確認なさってください。