日曜の朝、気温-1℃ですがおだやかに朝日が昇っています。


震災から一年、

直後の混乱と物資不足、避難、を乗り越え、

生活は

表面的には普段に戻ったように見えます。

表面的には人々も元気そうに振舞っています。


しかし、新たな問題が山積していることを知っていただきたいのです。


前にも書いたように

いわき市は

原発収束へ向けての前線基地であるとともに、

原発立地町村から避難してこられた約3万人の方が

仮設住宅や借り上げ住宅などで生活しています。


緊急時避難準備区域に指定されている広野町に例をとりますと

いわき市に町役場を移転していましたが、

役場を広野町に戻して住民に帰還を促しているところです。

しかし、人口5500人のうち、地元に戻った住民は250人だけ、

多くの人は、

いわき市にとどまることを希望しているそうです。


広野町だけでなく、原発立地町村の他の町村の場合も

同じ状況です。


戻らない理由は

放射線量への健康不安、

学校、病院、商店などの不便さ、

補償金が打ち切られてしまうことへの不安、等など


中でも

補償金を受け取れなくなることが

もっとも大きな理由であろうと

町役場関係者も言っています。


今までマスメディアが書かなかった問題を

地方新聞をはじめ、3月8日号週刊新潮もが取り上げたことを知り、

私も、ブログにこのことを書く決心がようやくつきました。


原発避難者に対しての補償金の額を聞いたとき

正直、愕然としました。


①東電から支払われる避難者への精神的損害に対する補償金は

老人も赤子も一律一人10万円です。


②さらに、就労不能補償として

夫が失業中ならば

前年度の額面給与と同額が東電から受け取れます。


③さらに、給与額の5割から8割の失業手当も支給されます。


ですから額面給与が30万円だとすると4人家族の場合、

働かずにこれまでの3倍近い収入が得られます。


④アパートなどに入居の場合、4人家族で6万円まで、

5人以上の家族は9万円の家賃補助があります。

勿論、仮設住宅は家賃無料で、

仮設住宅に住む人には炊き出しや支援物資の差し入れなども

日常的に行われています。


⑤無税措置を受けています。


このように手厚い補償を得られているのに、

損壊した家に戻れば

補償金という収入を打ち切られ、

仕事もしなければいけない、

ということになります。


茨の道を目指す人が何人いるでしょうか?


先日、いわき市内にある仮設住宅に

いやがらせのビラなどがまかれていた

と新聞で報道されました。

「税金泥棒」という内容のビラだったそうです。


誰か知りませんが

悪意を持つビラには違いありません。


一方で、こんな状況もあります。


いわき平競輪の売り上げが18%アップし、

最近は若い世代や女性客も増えていること、


飲食店は日中から満席、

地元民ではない人たちが毎日のように利用し、

長時間しゃべっていて、異様な雰囲気であること、


パチンコ店は朝から大賑わいであること、


求人しても、専門技能を持っているにもかかわらず、

働くと損だから、という理由で

働こうとしないで

与えられることに慣れきって

共依存している現実があります。


「補償金リッチ」という言葉が生まれました。


仕事をし、生活をすること、

それは、人としてきわめて

大切なことです。


補償金依存がそれを妨げ、

人として内部から崩壊させられていくように思われます。


結局、その補償金とは、

東電および私たちの税金から使われるものであり、

眼を背けてはいられません。


ほどこしは有害なこともあります。

誤解を恐れずに言えば、

カネで施すことによって

長期にわたる深刻な社会問題を新たに育むことになるでしょう。


一方、

いわき市で津波災害で家や家族を亡くされた方々には

原発避難者のように高額な補償金は入りません。

自力で立ち上がろうと必死に努力しておられます。

非常に厳しい環境下にあって

前述の避難者との落差をどうお思いだろうか・・・


ちなみに

いわき市には「双葉タウン」が

実際的にできてしまうかもしれないと

言われています。


いわき市はこの先どんな街になるべきなのか?

住民として

複雑な感情が渦巻きます。


長くなりましたが、

ただ復興、復旧と一括ひとからげで表現できない

状況があることを

判っていただければありがたいですね。