昨夜、BSプレミアムの再放送で、「砂漠の中の日本庭園」を拝見しました。


人間にとって庭を造るとは、いかなる意味を持つのか?


琴線に触れるメッセージを頂いたような気がします。






第二次世界大戦から66年たった今、


ようやく砂漠の中から発掘されて再び、日の目を見た日本庭園とは?





祖国日本を離れ米国で暮らしていた日系一世たちは、


大戦中、言葉にできないほどの迫害を受け、困窮し、


マンザナードの日本人収容所に家族と共に収容され、苦難の収容所生活を余儀なくされました。


しかしながら、彼らはうちのめされながらも、日本人としての誇りと抵抗を、


自作の日本庭園に込め、心を癒しました。


祖国を想い、池を作り、水辺にスイレンを咲かせ、


橋の周囲にフジの花を咲かせました。


なにもない荒涼とした大地に、ありえないような美しい庭園を時間をかけて皆で作り上げたのです。


当時の庭の様子を掲載した新聞、雑誌の中に


その素晴らしさが見て取れます。





戦争が終わり、収容所が閉鎖される頃、日本人たちが作った庭園を保存しようとする声が高まります。


この庭園で金儲けを考える者まで出現し、


なんと、ディズニーランドのような一大リゾート地として街つくりをしようと、


所有者であるロス・アンジェルス市に対して売却を要請しました。


ところが、L市はこれを許可しません。


戦時中の日本人への非人道的な行為を示す歴史的遺物は、この際、徹底的に壊す必要があったからです。


米国の唱える民主主義に相反する不都合な証拠が残ってはならないのでしょう。


結局、収容所のバラックは撤去され、庭園は風化するに任されます。


歳月と共に、砂漠の砂の中に埋もれていた庭園は、


庭師の孫娘さんによって、少しずつ発掘され、その全貌が明らかになっていきます。




庭を造った男性の一人は、収容所を出てからも、想像を絶する苦労をしながら生きてきました。


当時を思い出すのもイヤだ、とインタビューを拒み続けていました。


最後に、彼が言った言葉です。



「庭を造る手伝いをしたことが、自分の貫徹心を育ててくれたのだ」


「いろんな苦しいことがあったが、

収容所の日本人にとって、

庭園で働いたり、

そこで過ごすのがもっとも大きな慰めだった」





この番組から学ばせていただいたこと、


どんな暗い時代も、愛する花で彩られた庭を造り、手入れすることは


自分の心ばかりか、人の心を救うのですね!!!!