今日は


比叡山延暦寺宝珠院ご住職の藤波源信氏



2009年2月号の文藝春秋で



書いておられた記事からご紹介します。



比叡山の千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)


お聞きになったことはありますか?


これは7年かけて比叡山の三つの塔と十六の谷を巡拝する


天台宗の修行のことだそうです。



最高の難行といわれ、


戦後、満行達成者はわずか12名とか。


その修行内容は実に過酷なもの。


最初の3年は


一日に30キロ、毎年100日間歩く。


4,5年目には一日40キロ歩く。


こうして700日間歩いた後、


「堂入り」の修行に入る。


ここで、


9日間、不眠不臥


断食断水でお堂に篭り


一日3回のお勤めを果たして


不動明王に不動真言を


十万遍唱え


夜中の2時に堂から出て


仏に供える水を取りに行く。


この「堂入り」が修行の中でも最大の難関と言われているそう。


それを終えると


翌年また歩き始める。


6年目、一日60キロを100日歩く。


最後の年は


比叡山から京都市内へ下りて


一日80キロ以上歩く、これを100日間。


その後、ふたたび


山中の30キロを100日間歩いて


満行(完遂)。



歩く総距離は地球一周に相当(約4万キロ)


これを終えた人だけが


「大阿じゃ梨(だいあじゃり)」・・・・・「じゃ」は門がまえの中に者という漢字が入る字


の名を許されます。


中にはこの荒行を


2回も!満行したお坊様もいらっしゃいます。


この修行は


白い死に装束を着て


短刀を腰に帯び(修行を完遂できなくなったとき自害するためのもの)


葬式の費用だけを持ち歩きます。


最初の3年間は


素足に草鞋のみ、


4年目からは頭に笠を、


足に足袋を履くことが許されます。


雨の日も、雪の日も、


歩き通します。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私たちの日常から想像もできない山での修行、


そこから見出したものとして、


藤波氏は語ります。


『歩いて500日ほどたったときだったか、


歩いていて良かった、という充足感を一瞬だけ覚えました。


周囲の樹木、


流れる小川、


道端の岩、


東には昇らんとする太陽、


西には没する月、


「ああ、いま私は周囲のすべてのものに生かされている」


こう思えたのです。


ただただ歩き続けているときに最高の瞬間がありました。


天台宗には山や川、草木、ことごとくに仏性が宿るという教えがあります。


「山川草木悉有仏性」


回峰行はその教えを実感するためのものなのです・・・・・』



夢色の庭と暮らす



私たちの現世はやはり、


立場はそれぞれであっても


人としての修行の場であるのでしょうね。


人としての心を磨くこと、人心が荒れ荒んでいく昨今、


藤波氏の話は一服の清涼剤以上の


「喝!!!」となってほしいです。



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