ピンク・レディーが活動した1976〜81年にかけて、国内のテレビで放送され、現在DVDで視聴できる歌唱シーンの映像をリスト化したところ、最も多いのが「UFO」の歌唱映像だった。


78年1月19日放送「ザ・ベストテン」(「Pink Lady Chronicle TBS Special Edition」所収)


その32件(メドレー含む。別々のDVD作品に同じ内容が重複して収録されている場合は1件と数える)の映像のうち、TBSで放送されたものは半数を占める。つまり、今年4月にDVDボックス「Pink Lady Chronicle TBS Special Edition」(以下「クロニクル」とする)がリリースされたことで、公式にDVDで観られる「UFO」の歌唱映像は一気に倍増したことになる。その意味でも「クロニクル」のリリースは、非常に画期的だったと言ってよい。


32件の「UFO」歌唱映像の内、前回は放送日が最も早い77年12月放送の4件を鑑賞した。



その続きで、今回は78年1月に放送された最初の3件を取り上げる。そのうちの2件が「クロニクル」に収録されたTBSの映像。あの伝説の番組の歴史的映像もある。


【5】78年1月8日(日)放送「ロッテ歌のアルバム 千と一慶生放送」


「ロッテ歌のアルバム」は58年にスタートした長寿番組。玉置宏さんの名司会でお馴染みだったが、77年8月、番組の1000回放送を機に玉置さんが降板。翌1001回目から千昌夫さんと小島一慶さんが司会者となり、タイトルにも「千と一慶生放送」を入れてリニューアルされた。


この1月8日の放送だが、当時のピンク・レディーのスケジュールを確認すると、1月3日から10日まで2人は休暇と仕事を兼ねてハワイへ行っている。タイトルに「生放送」と入っているものの、このピンク・レディーの出演シーンに限って言えば、事前に収録したものと考えられる。



78年1月8日放送「ロッテ歌のアルバム 千と一慶生放送」(「Pink Lady Chronicle TBS Special Edition」所収)


セットもない、殺風景なスタジオである。ミーちゃんケイちゃんはホリゾントの前に板付きで登場。イントロが始まると左右から二人の姿が見えなくなるほど大量のスモークが噴射される。あとは照明で変化をつけたり、当時としては目新しかった3画面分割を使ったりしている。


衣装はシルバーのスパンコール、ブーツにカチューシャの定番「UFO」スタイル。ケイちゃんの前髪がちょっと長すぎるかも。フルコーラスで2分37秒。セットがどうだろうと、スモークをどれだけ吹き付けられようと、常に全力で歌って踊る二人である。


【6】78年1月16日(月)放送「NTV紅白歌のベストテン」


前回の記事で紹介した77年12月5日放送分と同様、またも東京サマーランドの屋内プールからの放送である。しかも今回、2人はライトグリーンのビキニ姿で「UFO」を歌っている。昭和のテレビはほんとに水泳大会が好きだったのだが、それにしても同じ番組が2か月続けて同じプールから放送したのはなぜか?



78年1月16日放送「NTV紅白歌のベストテン」(「Singles Premium」DVD所収


ケイちゃんは12月16日に腹膜炎の手術をして、25日に退院、年末の武道館コンサートとレコ大、紅白をなんとか乗り切った。まだ術後1か月なのにビキニで水泳大会はキツイなあと思ったが、映像をよく見ると、外が明るい。「紅白歌のベストテン」は夜8時からの生放送が基本だったが、この回は昼間に収録されたものだったことがわかる。恐らく東京サマーランドから生放送した12月5日の昼間にもう1本収録しておいて、それをこの日に放送したのだろう。だとすれば、このビキニの2人の映像は、ケイちゃんが腹膜炎の手術をする前ということになる。


特設ステージの両サイドには、日本テレビ音楽学院の生徒たちのグループ、ザ・バーズが登場。中央のミーちゃんケイちゃんと同じ振付で踊り、2人を盛り立てている。昭和のテレビではザ・バーズやスクールメイツといったいわゆるタレント予備軍のグループが、アイドル歌手のバックで踊るのがお馴染みの光景だった。玉石混交のメンバーたちが切磋琢磨する中で、ほんの一握りだが認められ、歌手デビューの切符を掴む人もいた。スクールメイツ出身のキャンディーズなどが、その代表格である。今はそういう下積みのプロセスは流行らず、最初から40数人のグループまるごとデビューさせ、さまざまな戦略で売っていく集団アイドルが当たり前になった。なんとか48とか46とか、昭和を知る世代からすると、スクールメイツやザ・バーズに高下駄を履かせたようにしか見えないのだが、まあこれも時代の流れである。


話が脱線したが、ミーちゃんケイちゃんがビキニで歌う貴重な「UFO」映像、イントロの影アナ(たぶん福留功男アナウンサー)は「(冒頭聞き取れず)…大人の仲間入りをしたという責任のようなものが出ればと語っておりましたピンク・レディー、『UFO』!」というもの。放送前日の15日が成人の日だったので、それに因んだコメントだろう。ケイちゃんはこの時20歳、ミーちゃんは19歳。番組は中継録画だが、影アナだけは成人式絡みの情報を取材して、日テレのスタジオで生でつけていたと推測する。


フルコーラスで2分35秒。熱唱する2人の頭上には小道具のUFOが吊るされている。プールの中にいるハンディーカメラのカメラマンは、2人が立つ透明のアクリル床の下にまで入り込んでローアングルからの撮影を試みているが、床がそれほどきれいではないので、今一つ。悪ノリではあるが、しかしそれくらい昭和のテレビはギラギラしていてエネルギッシュだった。ピンク・レディーの歌唱映像に熱量を感じるのは、ミーちゃんケイちゃんの全力パフォーマンスはもちろんのこと、制作陣の熱さも伝わってくるからだろう。


【7】78年1月19日(月)放送「ザ・ベストテン」


ご存知、伝説の歌番組「ザ・ベストテン」の第1回放送。その記念すべきランキング第1位に輝いたのが、ピンク・レディーの「UFO」である。



78年1月19日放送「ザ・ベストテン」(「Pink Lady Chronicle TBS Special Edition」所収)


まさに日本のテレビ史に刻まれる歴史的映像だが、ピンク・レディーはこの年「ザ・ベストテン」に毎週のように出演していたこともあり、「透明人間」で消えたシーンや「カメレオン・アーミー」で衣装の色が変わるシーンの方が印象が強く、この初回の「UFO」がどんな映像だったのか、正直記憶になかった。


改めてDVDを観ると、スタジオには円盤状の小さなステージが用意され、2人はその上で歌っている。円盤の大きさは半径2メートルほどだが、電球が多数はめ込まれているため、2人が立てるスペースは半径1メートルほどの狭さである。ミーちゃんケイちゃんはお互いがぶつからないよう、振りを小さくして踊らざるを得ない。間奏とアウトロで両腕を広げて回転するところなど、苦労しているのがわかる。それでも、ぶつからないのが不思議なくらいなのに、なんでもないように息を合わせてスイスイ踊っているのは、ほとんど芸術の域である。ピンク・レディーのこういうプロフェッショナルな部分は、もっと知られてもよいだろう。DVDだからこそ再発見できることも少なくないと思われる。フルコーラスで2分43秒。(続く)