今回は結論から書きます。


Q・ピンク・レディーはなぜ解散したか?


A・最も大きな理由は、メンバーの一人が当時の交際相手との結婚を望み、解散を申し出たことによる。加えて、背景には当該メンバーと所属事務所の関係の悪化があった。紅白歌合戦出場辞退、アメリカ進出など話題作りを優先する事務所の強引な手法や、交際を巡って「仕事を取るか結婚を取るか」と迫る上層部のハラスメント行為などによって、事務所に対するメンバーの不信感は極限にまで募っていた。ただし、上の事情は2000年代にメンバーが著書で明らかにするまで公表されず、当時は本人たちから「ピンク・レディーとしての使命は果たし終えた。2人のショービジネスに対する考え方が違ってきた。これからはそれぞれが自分らしく新たな道を歩き出したい」といった説明がなされていた。


解散コンサートのステージに立つ2人(「スポニチ秘蔵アイドル全集 ピンク・レディー」より引用)


今年もまた3月31日がやってきます。ご存知の通り、1981年のこの日、ピンク・レディーは解散しました。みぞれ混じりの冷たい雨が降る中、午後3時から東京・後楽園球場で行われた解散コンサートは全国にテレビ中継されました。赤くかじかんだ手でマイクを握り、雨に打たれて歌うミーちゃんケイちゃんの姿は痛々しく見えました。スタンドには空席も目立ち、空前の大ブームを巻き起こしたスーパースターの凋落を象徴する光景として、多くの人々に記憶されることになりました。


さて、現在Googleで「ピンク・レディー」を検索すると、結果ページの上の方に「他の人はこちらも質問」というものが表示され、「ピンク・レディー」に関連してよく検索されるワードから導き出された質問がいくつか並んでいます。その筆頭が「ピンクレディーはなぜ解散したか?」(表記ママ)という質問です。面白いことに、人間は「結成」や「デビュー」の経緯などよりも「解散」の方にもっと興味を持つ生き物らしいです。


で、質問をクリックすると、GoogleのAI様が、ネット上に数多あるWebページから、最適と判断した文章を抜粋して、回答として表示しています。「ピンクレディーはなぜ解散したか?」に対して、現在表示されている答えは次の文章です。



出典は、郷ルネさんという1994年生まれのコラムニストの方が、「Re:minder」という音楽情報サイトで2年前の3月31日に発表された下の記事です。



郷さんの記事自体は、ピンク・レディーが当時の子どもたち、特に女の子たちに与えた影響はその世代が年齢を重ねていく中でファッションやムーブメントに現れている(かつて益田ミリさんが書いた「ピンク・レディー世代の女のコたち」か)ことや、またピンク・レディー自身が再結成して今も輝きを放ち続けていることなどにふれており、後楽園球場での解散コンサートは<ピンク・レディーの衰退の象徴ではなく、出発の象徴だと思うのだ(上の記事から引用)という論旨は、現在の視点に立って見れば概ね共感できるものです。


ただ、これはひとえにGoogleのAI様が悪いのですが、「なぜ解散したか?」という問いに対して、上の部分を切り取って回答とするのは、そこだけを見て理解したことにする大多数のユーザーに、大いなる誤解を与える恐れがあります。


第一に、この回答は「解散」ではなく「人気を持続させることができなかった」理由について述べています。そもそも話がズレているのですが、うっかり読むと「人気が落ちたから解散した」という短絡的な話になってしまいます。


「解散」という事象には、直接的な動機・きっかけと、その背景となる様々な経緯や事情が複雑に絡み合っていて、短い文章でその理由を過不足なく示すのは本来は難しいと思います。冒頭に書いた解答案は「模範解答」とは言いませんが、今、仮に誰かに尋ねられたら、自分だったらこう答えるかなあというところです。


それと細かいことを言うと、「恋愛トラブル」という表現には違和感があります。ケイちゃん(ここであえて実名!)は恋愛はしていましたが、トラブルは起こしてないですよ!芸能リポーターたちが勝手にテレビ局に押しかけた騒ぎはありましたが、独身同士の健全な交際であって、例えば不倫だとか仕事に穴を空けて逃避行だとか(そんなアイドルさんもいましたが)、他人様や世間に迷惑をかけるトラブルは起こしていません。


あとは「子供に向けた売り方をした」のが、人気を持続できなかった理由の一つというのも、議論が分かれるところですね。例えば「ジパング」じゃなくて、よりハイブローなB面の「事件が起きたらベルが鳴る」をA面にして売ったら良かったのでは、といった説もたまに目にしますが、あの当時の空気感(潮目が変わる感覚)からすると、もはやそういうことでもなかったように思います。


ただ、一連のヒット曲を手がけた作曲の都倉俊一さんは「透明人間」の時に既にネタ切れを感じていたと後年話していますし、作詞の阿久悠さんも一時自ら休筆されたことを考えると、クリエイターたちの疲弊というのは言えるかもしれません。いずれにせよ、たとえ諸説あって白黒つけられない要素が含まれていたとしても、GoogleのAI様がその部分をごそっと切り取ってしまうとあたかも事実のように流通してしまう訳で、そこがネット社会の怖いところでもあります。Wikipediaも然りですね。


ということで、今年も3月31日を迎え、ピンク・レディーの解散について検索する人も増えるのではと思います。この記事が多少でも目にふれてお役に立てれば嬉しいです。


ピンク・レディーの解散に至るまでの軌跡については活動の後期にあたる80〜81年にスポットを当てた以下のKindle本で詳述しています。よかったら、ぜひ読んでください。試し読みもできます!


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