とべ!スーパー・スター…宇宙に、西部に、恋の世界に…
ミーとケイのキュートな魅力が大爆発!
(LPレコード帯のコピー)

ピンク・レディーが1977年から79年にかけてリリースしたオリジナルアルバム12作品が、主要な音楽配信サービスでハイレゾ音源も含めて聴けるようになっている。これらのアルバムについて【PLあるばむメモ】としてリリース順に書いてきたが、今回は8作目にあたる「ピンク・レディーの活動大写真」を取り上げる。

これまでのアルバムは、記事を何回かに分けて個別の楽曲についても書いてきたが、今回は映画のサウンドトラックという特殊性もあり、この1回の記事でアルバムの概要を記し、併せて後半で映画本編についてもふれることにする。


<基本情報>
タイトル:ピンク・レディーの活動大写真
発売日:1978(昭和53)年12月25日
形式:サウンドトラック(スタジオ録音)
曲数:25トラック(ドラマパート、ブリッジ音楽も含む)

<ポイント>
①初主演映画のサウンドトラック
②2人の演技を音で楽しめるドラマパート
③「カメレオン・アーミー」までヒット曲を網羅

サントラ盤の存在意義とは?

「ピンク・レディーの活動大写真」は78年12月16日に公開されたピンク・レディーの初主演映画である。同タイトルのこのアルバムは、映画のサウンドトラック(サントラ)として、封切りの9日後にリリースされた。

映画の方は長らく映像ソフト化されていなかったが、2006年にDVDがリリースされ、現在は有料動画配信サービスでも視聴可能である。最初に正直に言っておくと、この「ピンク・レディーの活動大写真」は、アルバムよりもやはりDVDか動画配信で、映像作品として鑑賞していただくことをお勧めする。

サウンドトラックにも、いくつかタイプがあると思うが、そもそもは映画の劇伴として使われたBGMや主題歌、挿入歌などを集めて、純粋に音楽作品として聴いて楽しむ目的で制作されるものだろう。

例えば、この78年に世界的に大ヒットし、4000万枚ものセールスを記録した映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のサントラには、ビージーズが歌った挿入歌をはじめ、映画で使われた数々の楽曲が収録されているが、たとえ映画を観ていなくても、当時のディスコサウンドを存分に楽しむことができる。

それに対して、この「ピンク・レディーの活動大写真」の場合は、少し趣きが違っている。サントラには25のトラックがあるが、その内の7つのトラックは、ミーちゃんケイちゃんが出演しているシーンの音声を収録したドラマパートである。つまり、このアルバムの場合、劇伴を音楽として楽しむという以上に、音声によって、聴く人が映画そのものを思い浮かべることを意識して作られているのである。

当時、映画は基本的に映画館で観るものだった。上映期間が終わると、リバイバル上映が行われるか、テレビで放映されない限り、もう観ることは出来なかったのである。まだ家庭用のビデオ機器はほとんど普及しておらず、レンタル用ビデオさえ、作られていなかった。

家庭で視聴できる映像ソフトがなかった時代、せめて音だけでも、映画を観た人が後で思い出して楽しめる、あるいは観ていない人も想像を膨らませるよすがとして、レコードやカセットテープで提供することが、当時のサウンドトラックアルバムの役割の一つだったと言える。

このアルバムは、その性格が強く、むしろ劇伴を音楽作品として鑑賞するという点では、いささかおざなりになっているところもある。

例えば映画の最初の方で、当時新曲だった「カメレオン・アーミー」を、フルートをメインにしたインスト曲に仕立てて使っている。ミーちゃんケイちゃんの歌ももちろん良いが、フルートの音色で哀愁を帯びたメロディが際立ち、なかなかの味わいがある。だが、残念なことに、これなどはアルバムに収録されていないのだ。

また映画では「ペッパー警部」から「カメレオン・アーミー」まで、彼女たちのヒット曲がふんだんに出てくる。歌唱シーンの多くは、実際のコンサートの映像が挿入されている。音的には、既存のシングル盤の音源(スタジオ録音)に会場の歓声をミックスして使っている箇所もあるが、少なくとも「渚のシンドバッド」「UFO」「ペッパー警部」はライブの音源をそのまま採用しているようだ。だがアルバムでは、全てシングル盤の音源を編集して収録しており、この点においても残念な気がする。

結局、このアルバムはドラマパートといくつかの短いブリッジを除くと、残るほとんどのトラックはシングル曲の短縮バージョン(テレビサイズ)で構成されているため、楽曲だけを考えれば実質「ミニベストアルバム+α」的なものになっている。DVDや動画配信サービスで映画そのものを視聴できる今となっては、アルバムの存在意義は、リリース当時と比べてかなり薄くなっていると言わざるを得ない。

それでも、あえてアルバムを聴くメリットを挙げるとすれば、映画の再生時間83分に対して、その半分の40分で、何か他のことをしながら聴いても、ミーちゃんケイちゃんの台詞回しを含めて作品の雰囲気になんとなく浸れること、あるいは「ペッパー警部」から「カメレオン・アーミー」まで、ピンク・レディーのおなじみのメガヒット曲をひと通りコンパクトに聴けることだろうか。

なお、映画のエンドロールでは「音楽:都倉俊一」とクレジットされているが、LPレコードのラベルでは、都倉氏と田辺信一氏の名前が併記されている。



アイドル映画の愉しみとは?

ここからは映画本編についてふれる。映画「ピンク・レディーの活動大写真」は東宝と所属事務所T&Cが製作し、東宝の正月映画として78年暮れに公開された。

いわゆる「アイドル映画」というと、それだけで完成度が低い、薄っぺらい、B級の作品と見なされ、まともに評価されない傾向もある。確かに演技経験のほとんどない若いアイドル歌手を、その人気に頼って主役に起用するのだから、ファン以外の人にとってはついていけないところもあるだろう。

しかし本来、映画とは、多彩なスタイルを包容する、自由で懐が深いものである。好き嫌いは仕方がないが「映画はこうでなければいけない」という先入観にとらわれて、アイドル映画だから観る価値がないと決めつけるのはもったいない。

「ピンク・レディーの活動大写真」とは、いかにも軽いタイトルではあるが、改めて観てみると、実はなかなか良く出来た作品である。全体としてはコメディタッチで、「胸を打つ」「感動する」といった類いのものではなく、またコメディとしても抱腹絶倒の大笑いとまではいかないが、それでもこの映画ならではの様々な“愉しみ”が詰まっている。それは、一言で言えば「プロの仕事」ということになろうか。

「日本を代表するスーパースターであるピンク・レディーの魅力をどうとらえるか。どう映像化していくか」

石立鉄男さん扮する映画プロデューサー、白川冬樹(当時「角川映画」で映画界に旋風を起こしていた角川春樹氏のパロディ)の台詞である。これはそのまま、アイドル映画としてのこの作品の最大のテーマであった。その問いに答えるべく、映画のプロ集団であるスタッフや共演者たちが力を尽くし、それに対してミーちゃんケイちゃんも全力で応えた。そうして生まれた結晶が、この「活動大写真」なのである。

超過密スケジュールの壁

映画の製作にあたっての最大の壁は、どのアイドル映画にも共通することではあるが、2人が超多忙だったために、撮影時間が充分に取れないことだった。

監督を務めた小谷承靖さんは、昨年12月に亡くなった。60年に東宝に入社し「活動大写真」以前にもアイドル映画を何本も手がけた経験があった小谷さんだが、生前こう回想している。

「それでもピンクの強行スケジュールは前例がなかったね。全部で2週間だけどフルに撮影できたわけではなく、合間に『ザ・ベストテン』の中継や地方公演が入ったり、2人を別々に撮ったこともあったから。ケイなんか撮影中に貧血で倒れたほど多忙だったね」
(週刊アサヒ芸能 2014年7月31日号)

T&Cの社長、貫泰夫氏は著作「背中から見たピンク・レディー」で、映画の撮影はこの年11月2日に始まり、12月2日に終了するまで「この映画のために、超過密スケジュールのなか(中略)計17日間のスケジュールを空けた」と記している。だが実際には「空けた」というより、小谷監督が言うように他の仕事の合間に「入れた」という方が正確だろう。

11月はただでさえ賞レースや年末年始のテレビの特番などに向けて忙しくなる時期だ。加えて、11月1日に「紅白出場辞退」を発表したことへのネガティブな反響もあり、2人とも精神的にもきつかったと思われる。小谷監督は「貧血」と言っているが、ケイちゃんは17日に39度の高熱が出てダウン。18日、19日の北陸(小松、高岡)でのコンサートはミーちゃんが一人でステージに立った。

そんなハードな状況にあっても、作品の中の2人は持ち前のガッツで頑張っている。ケイちゃんは入浴シーンまでこなしているくらいだ。小谷監督も「忙しいスケジュールに、いろんなアイデアを出し合って作れたのは楽しい思い出だよ」(同上)と語っている。

オムニバス形式の妙

主演であるピンク・レディーの撮影時間がそんなに取れないことは、既に企画や脚本の段階で想定されていた。彼女たちの出演シーンが少なくても映画が成立するよう、構成や設定は非常に工夫されている。

最大の工夫は、狂言回しとして、ピンク・レディーの映画を作るための企画会議のシーンを設定したことである。会議のメンバーは先述したプロデューサーの白川と監督の赤沢(黒澤明監督をもじっている)、そして脚本家の青田。3人がそれぞれ自分の企画を語り、それらのストーリーが映像で提示される。それによって全体として、3つのエピソードからなるオムニバス形式の作品が成立する構造である。

冒頭に引用したコピーの「宇宙に、西部に、恋の世界に」は、この3つのエピソードに対応している。最初は青田の企画で、同じ男性を好きになった姉妹の葛藤を描く現代劇(アルバムでは「第1話 人情物語篇」としている)。続く白川の提案は「モンスター」「UFO」「透明人間」の三題噺を織り込んだSFもの(「第2話 SF篇」)。最後は赤沢が、酒場の人気歌姫の2人がならず者の抗争に巻き込まれる西部劇(「第3話 西部劇篇」)を撮りたいと主張する。

設定がまるで違う3つのエピソードを撮影するのは、それだけ複雑になり、余計に労力がかかりそうに思える。しかし、1つの長い物語をじっくりと時間をかけて撮影することが難しく、彼女たちがバタバタとスケジュールに追われる中では、今日はこのパートと決めて集中して撮影していった方が、かえって効率がよかったのかもしれない。

本編では、この3つのエピソードの展開に合わせて、彼女たちがお馴染みのヒット曲を歌うライブ映像が散りばめられる。この内「UFO」はこの年7月に後楽園球場で行われた「’78ジャンピング・サマー・カーニバル」の映像だが、他の曲はホールでのコンサートで撮影されている。衣装が後楽園球場の時と同じなので、この夏の全国ツアーのどこかの会場で撮影された可能性もあるが、最後に12月にリリースされたばかりの「カメレオン・アーミー」をステージで歌っている映像が出てくる。

スポーツニッポンの記事(78年11月15日付)によると、この曲が初めて公に披露されたのは11月14日に収録され、翌日放送された「ピンク百発百中!」である。従って記録とつきあわせると、ライブ映像は11月24日から26日にかけて、四国(宇和島、徳島、新居浜)で行われたコンサートで撮影されたものと思われる。

さらに映画では、東京のホテル・ニューオータニの一室で白川らによる企画会議が行われている最中、ピンク・レディー本人たちはニューヨークにいる設定になっている。ミーちゃんケイちゃんはニューヨークのホテルで白川と国際電話をするシーンでも、何度か画面に登場する。

このように設定が異なる複数のドラマパートで、彼女たちにいくつもの違う役柄を演じさせ、さらにヒット曲を歌うライブ映像をテンポよく挿入していくことで、作品はピンク・レディーの魅力を多角的に引き出すことに成功している。まさに阿久悠氏が言う「おもちゃ箱をひっくり返した」ような、スピード感あふれるピンク・レディーの世界が映像で表現され、子どもから大人まで楽しめる痛快な娯楽映画に仕上がっているのである。

企画の「葉村彰子」は逸見稔さんを中心とした作家集団のペンネームで、テレビの「水戸黄門」シリーズなどで有名。あの向田邦子さんも在籍していた。また、脚本はジェームス三木さんが担当した。

東宝映画の底力

3つのエピソードからなる異色の作品を短期間で作ることができたのは、映画会社が東宝だったことも大きい。当時の日本映画の大手といえば、松竹、東映、東宝の3社だった。各社のイメージをざっくり言うと、松竹は寅さん(「男はつらいよ」)や小津映画に代表されるヒューマンな家庭劇が得意。東映はヤクザ映画や「トラック野郎」のような男臭い路線。わりとカラーがはっきりしている2社に対して、娯楽映画なら「なんでもあり」だったのが東宝である。

「七人の侍」に代表される黒澤映画から「駅前シリーズ」や「社長シリーズ」、クレージーキャッツなどの喜劇映画、「ゴジラ」などの特撮映画、「若大将シリーズ」のような青春映画まで、実に守備範囲が広く、大衆に受ける娯楽作品の数々で日本映画を支えてきた。アイドル映画を製作した実績もかなりあった。

「活動大写真」はオムニバス形式だからこそ、様々なジャンルに対応してきた東宝ならではの強みがうまく生かされている。「SF篇」の特撮などはその最たるものだろう。またカーチェイスや爆発シーン、ガンアクションなど、娯楽映画に欠かせない要素も、しっかり盛り込んでいる。

作品は、映画そのもののパロディでもあり、オマージュにもなっている。映画愛にあふれたプロのスタッフ、俳優たちが、ピンク・レディーという異界からの訪問者を受け入れて、楽しみながら映画を作っている感じ、熱量が作品から伝わってくる。

スケジュールなど様々な制約があり、西部劇の荒野がどう見ても日本の草っ原にしか見えないとか、モンスターの着ぐるみが今一つとか、残念なところはあるけれども、そこはご愛嬌と言うしかない。

一方で、絵作りに非常にこだわって撮影している箇所もある。例えば赤沢監督が車を運転して登場するシーン。赤沢役の田中邦衛さんが渋滞している首都高で、突然自分の車を止める。そしてなんと車の前で寝転がって、指で画角を作って空を眺めるのである。後続の車の列などお構いなし。周囲の車が全部エキストラなら話は別だが、こんな撮影、今なら到底許されないだろう。いかにも昭和らしい長閑さ、おおらかさが感じられ、懐かしい気持ちになる。

昭和のコメディを支えた名優たち

そしてこの映画、共演者の名前を見るだけでも、ワクワクしてくる。昭和のテレビや映画ではお馴染みだった顔ぶれが次々と登場し、それぞれが自分の仕事をきっちりとこなしている。

まず映画の核となる企画会議の3人のメンバーが秀逸だ。先述の石立鉄男さん、田中邦衛さんに加えて、ちょっと神経質そうな脚本家、青田役は秋野太作さん。この3人をキャスティングできた段階で、映画は50%以上出来たも同然であろう。

石立さんは70年代「パパと呼ばないで」などゴールデンタイムの青春ホームドラマに8年にわたって主演。舞台出身の実力派でありながら、そのコミカルな演技で人気を集めていたし、秋野さんは「俺たちの旅」など青春ドラマの脇役として、癖のある演技で存在感を発揮していた。そして田中邦衛さんといえば、東宝の「若大将シリーズ」で若大将(加山雄三さん)のライバル青大将を演じて注目され、個性派俳優として活躍。後にドラマ「北の国から」(81年〜)シリーズで大ブレイクする。石立さん秋野さんは30代、田中さんは40代とまさに脂の乗った時期である。

残念ながら石立さん、秋野さんはピンク・レディーと一緒のシーンはないが、田中さんは「西部劇篇」にもミーちゃんに恋心を寄せるペッパー保安官役で登場し、2人と共演している。

他にも一人一人挙げていくとキリがないが、昭和のコメディには欠かせない顔としては、やはり去年12月に亡くなった小松政夫さんもいる。既に電線音頭でテレビの人気者になっていた頃だ。小松さんの登場シーンは短いが、「SF篇」にカップラーメンを食べながらバス停の行列に割り込む迷惑男の役で出演。透明人間となった2人に懲らしめられるのだが、この演技がまた素晴らしい。要は透明人間にやっつけられているように見える一人芝居を、ほとんどパントマイムのように、見事に演じているのだ。

主演であるピンク・レディー不在のシーンであっても、小松さんのような芸達者な役者さんがきっちりと笑いを取り、役割を果たす。まさに映画はチームワークである。小松さんも「人情篇」に登場するなべおさみさんも、クレージーキャッツ門下であり、若手の頃から東宝のドル箱だったクレージー映画のシリーズにチョイ役で出演していた。このあたりの配役にも、東宝が培ってきた伝統の力を感じるのである。

ミーちゃんケイちゃんの勘の良さ

スタッフや共演者に恵まれて、この作品が成立していることは間違いないが、肝心のピンク・レディーはどうだったのか?2人とも中学、高校で一応は演劇部に所属していたが、デビュー3年目、テレビのドラマやコントをそれなりに経験していたとはいえ、まだこの段階ではプロとして本格的に演技に取り組んだことは少なかっただろう。だが、結論からいえば、この作品の2人の演技は決して悪くない。

引き合いに出して申し訳ないが、ザ・タイガースの初主演映画(「ザ・タイガース 世界は僕らを待っている」68年、東宝)と比べてみるとよくわかる。かのジュリーこと沢田研二さんや岸部一徳さんも最初はこうだったのか、と驚くだろう。

それはさておき、ミーちゃんケイちゃんの演技で光るのは、例えば映画の最初のシーン。ニューヨークの夜景に続き、空港と思われる場所でミーちゃんケイちゃんが歩きながら、多くの記者(松山英太郎さんもいる!)に囲まれている。日米の記者たちから英語と日本語で矢継ぎ早に質問され、2人が代わる代わる答えるのだが、そのテンポの良さ、優れたリズム感は、やっぱりさすがアップテンポの曲を得意とするピンク・レディーだと感心させられる。

小谷監督は撮影当時、2人の演技を「勘がいい」(スポーツニッポン78年11月9日付)と評している。2人の勘の良さは、天性のものに加え、デビュー前からハードスケジュールに追われる中で、培われたものだろう。新曲やコンサートツアーの度に、楽曲や振り付けを短期間でマスターし、本番ではしっかり自分たちのものにして堂々としたパフォーマンスを見せる、彼女たちの集中力、適応力の高さが、ここでも存分に発揮されていたと思われる。

そしてミーちゃんのファンの方には申し訳ないが、ケイちゃんファンの自分としては、この映画を「増田啓子の活動大写真」と呼びたいくらい、ケイちゃんの魅力が全開である。ここぞという台詞を言う時、力が入ってかすれる声。商店街の人混みの中を、なぜか首が右側に傾いたまま、一所懸命に走る姿。そんなクセがすごいケイちゃんが、一段と愛おしく見えるのである。そして「西部劇篇」では主演なのに、ケイちゃんにまさかの展開が…ああ、ケイちゃん!

百恵ちゃん映画と2本立て

当時は2本立て上映が一般的で、「ピンク・レディーの活動大写真」は、山口百恵さん三浦友和さんコンビが主演する「炎の舞」との同時上映だった。入場料を払うと2本見られる仕組みで、チラシなども2作がセットになっているものが作られた。当時の歌謡曲の人気を反映して、映画の興行で「百恵・ピンク連合軍」が結成されたことになる。

百恵さんはアイドル歌手でありながら、早くから女優としても活躍、74年暮れ公開の「伊豆の踊り子」で初主演して以来、主に文芸作品を中心に、百恵・友和コンビで数々の東宝映画に出演していた。「炎の舞」は既に主演9作目。正月映画への起用も5年連続で、すっかり東宝の顔になっていた。アイドルの中でも別格の存在だった。

百恵・友和コンビと言えば、小説を原作とするシリアスな純愛もの路線がほぼ定番になっていた。となると、同時上映の作品には、全く違ったテイストが求められる。「活動大写真」が軽めのコメディタッチになったのは、そんな事情もあったのだろう。

当時の新聞広告を見ると、公開日の12月16日には、東宝本社ビル(東宝会館)にあった千代田劇場では、百恵さん友和さんが劇場前で挨拶を行なっている。あくまでメインは「炎の舞」で、昔のシングルレコードにたとえるなら「活動大写真」はB面扱いだったのである。

ただ面白いことに、同じ東宝系の劇場でも、日劇(日本劇場)では、79年1月1日から10日まで、ザ・ドリフターズのショー(実演)と「活動大写真」の上映をセットで行なっていた。なるほど、ドリフと組み合わせるのであれば、シリアスな百恵ちゃんよりも、ピンク・レディーの方だろう。

実はこの年の正月映画はライバルが強力だった。松竹が「男はつらいよ 噂の寅次郎」で、東映は「トラック野郎・一番星北へ帰る」。いずれも当時の人気シリーズである。

配給収入では両者に及ばなかったが、それでも「百恵・ピンク連合軍」は9億2000万円を稼ぎ出し、79年の配給収入ランキング8位となった。百恵・友和映画の過去の実績(いずれも他作品と2本立て)と比較するとそれまでの9作の中では最高額だった。当時のスポニチの記事によると「活動大写真」の製作費は2億5000万円だったというから、それなりの好成績だったのではないか。

ちなみに「活動大写真」の「人情篇」に出演している春川ますみさんは「トラック野郎」シリーズに、「SF篇」に出ている佐藤蛾次郎さんは「男はつらいよ」シリーズにレギュラー出演しており、正月映画の掛け持ちとなった。このあたりも、おおらかだった昭和を感じる。

以上、話は尽きないが、キリがないのでこの辺で終わりにしたい。最後まで読んでいただきありがとうございました。