日本の芸能史で、1978年4月の出来事といえば、多くの人の記憶に残っているのは、キャンディーズの解散だろう。後楽園球場で開催されたラストコンサート(4日)には、5万5千人のファンが集まり、別れを惜しんだ。最後のシングルとなった「微笑がえし」は、3月13日付オリコン週間チャートでキャンディーズとして初めての1位を獲得し、3週間にわたってトップの座を保った。

 

その「微笑がえし」から、ランキング初登場で首位を奪ったのが、他ならぬピンク・レディーの7作目のシングル「サウスポー」であった。オリコン1位獲得は、これで「S・O・S」から6作連続となり、勢いはとどまるところを知らないようだった。

 

空前の大ブームの渦中にあって、彼女たちは何を考えていたのか?この時期、日本国内で行われていたコンサート・ツアー「ビバ!ピンク・レディー スプリング・フラッシュ」のプログラムには、2人の次のようなコメントが掲載されている。

 

歌の心をつかんでいきたい

 

デビューしてから今まで、私達はほんとうに恵まれてきました。幼い頃からの夢がこんなに早く実現し、そしてこんなに多くの方たちに愛されることができるなんて、思いもよらないことでした。そして、今年の8月がくれば、もう3年目に入ります。(中略)

 

そして、今年は少し大人の歌も歌っていきたいなって思っています。歌はやっぱり心です。聞く人の心を揺さぶるような歌。悲しい歌では涙を流し、楽しい歌では陽気になり、そんな歌の心を、もっともっとつかんでいきたいと思うのです。

 

あれだけの超人気スターとなり、持てはやされたこの時期にあっても、ミーちゃんケイちゃんのコメントに浮ついたところは全く感じられない。「歌はやっぱり心」という言葉は、まるで演歌の人みたいである。

 

奇想天外な設定の「サウスポー」や「UFO」にも「歌の心」が無い訳ではないだろうが、デビュー3年目、20歳になった彼女たちは、そろそろそれだけでは物足りなさも感じていたようだ。ケイちゃんは、1歳下の桜田淳子さんが「しあわせ芝居」(77年11月リリース、作詞・作曲は中島みゆきさん)を歌うのを聴いて、「いいなぁ、あんな大人っぽい歌が歌えて」と羨ましく思ったという。

 

もともとアイドルを目指すというよりは、立派なシンガーになりたいという志向が強かった彼女たち。「アメリカ!アメリカ!アメリカ!」は、そんな2人が、キャンディーズの解散から約半月後、アメリカ・ラスベガスのトロピカーナ・ホテルで行ったライブを収録したアルバムである。

 

「もっと歌の心をつかみたい」とチャレンジを続けるミーちゃんケイちゃんは、異国のステージでどんなパフォーマンスを繰り広げたのか?今回はアルバムの中盤を聴いていく。

 

 

 

8:ウイザウト・ユー

 

ミーちゃんのソロ。ミーちゃんケイちゃんとも、ソロで洋楽のカバーを披露する際、これまでのコンサートでは日本語で歌っていたのだが、今回初めて英語で挑戦している。

 

オリジナルは70年にイギリスのロックバンド、バッドフィンガーがアルバムの1曲として発表した<Without You>。71年にアメリカの男性シンガーソングライター、ニルソン(Nilsson)がカバーし、翌72年世界的に大ヒットしたことで知られる。90年代には歌姫マライア・キャリーもカバー(邦題:ウィズアウト・ユー)してヒットさせているが、僕らの世代にとっては、やはりニルソンの曲というイメージが強い。(ちなみにニルソンもまた、ビクターがRCAレーベルでレコード販売を手がけていた。)

 

愛する人が去っていく別れの夜、「あなたなしでは生きていけない」と切々と歌う、典型的なラブバラードである。曲の最大の特徴は、何といってもサビの<♪I cant liveIf living is without you…> の繰り返しで、同じメロディーを最初は低く、2度目から1オクターブ高く歌う。当然、歌い手には、それなりの声域の広さが求められる。

 

そういうことも含めて、ミーちゃんらしい選曲といえるのではないか。どちらかといえば、当時はボーイッシュなイメージもあったミーちゃんの方が、むしろ「乙女っぽい」というのか、こういうロマンティックな感じの楽曲を好む傾向にあったようだ。ステージのミーちゃんはラブストーリーのヒロインになり切っている感じで、歌い出しなどはセリフを語りかけるような感じ。そして後半のサビでは、ファルセットを駆使し、表情豊かに歌い上げている。

 

9:朝日のあたる家

 

続いて、ケイちゃんのソロ。今回も「ケイちゃん劇場」と呼ぶにふさわしい個性的なパフォーマンスである。

 

原題は<The House Of The Rising Sun>。もともとはアメリカのトラディショナル・フォークで、作者は不詳。20世紀の初めには、鉱夫の間で歌われていたらしい。おそらく最も知られているのは、イギリスのロックバンド、アニマルズ(The Animals)が64年にヒットさせたバージョンだが、他にもボブ・ディランやジョーン・バエズ、日本ではちあきなおみさんや森山良子さん、山口百恵さんなど、男性、女性、個人、グループ問わず、数えきれないほど多くのアーティストがカバーしている。

 

There is a house in New OrleansThey call the Rising Sun>という有名な歌い出し。ニューオリンズにある「朝日のあたる家」に流れ着いた主人公が、過去を振り返り、半生を悔やむ内容の歌詞である。3連符をベースにしたスローまたはミディアムテンポで歌われることが多く、マイナーな曲調。子どもの頃はラジオなどでこの曲がかかると、なんとも暗い気分になり、個人的には正直あまり好きではなかった。

 

しかし、このラスベガスでのケイちゃんバージョンは、そのイメージを大きく変える斬新なものである。前田憲男氏のアレンジは鮮烈なトランペットで始まり、リズム・セクションがアップテンポで16ビートを刻む。管楽器も全開。ソウルテイストのブラスロックではないか。そしてケイちゃんのボーカルには、なんとエフェクターでディレイまでかかっている。あの時代としては相当攻めていたと思われる。これがハスキーな歌声と相まって独特の効果を生み、まさに「ケイちゃん劇場」が立ち上がっていくのである。

 

ところで洋楽ではよくあることだが、この曲も歌い手が男性か女性かによって、歌詞が少し変わるようだ。前述の歌い出しに続く1行を、例えば男性グループのアニマルズは<And it's been the ruin of many a poor boy>と歌い、女性のジョーン・バエズは最後を<a poor girl>と歌っている。

 

歌の語り手である主人公の性別が変わることで、「朝日のあたる家」とは何か、という解釈も変わってくる。男性の場合は少年院や刑務所、女性の場合は娼館のことだという説がある。浅川マキさんが作詞し、ちあきなおみさんなどが歌ったバージョンでは、娼館をイメージして「朝日楼」という邦題がつけられている。

 

ということは、あの頃子どもたちにも絶大な人気があったスーパーアイドル、ピンク・レディーのケイちゃんが、娼館の女性の歌を歌っていたのか?だとすれば、当時としてはかなり衝撃的だったはずだが、実はケイちゃん、例の箇所を<girl>ではなく<boy>と歌っている。そのあたりを意識していたのか、それともそこまで深く考えず、単に最もヒットしたアニマルズの歌詞を採用しただけなのかはわからない。

 

それはさておき、今回の「ケイちゃん劇場」は鳥肌が立つほどかっこいい。独特のハスキーボイス、時には男性顔負けの「がなり声」まで入れて、ソウルフルなボーカルを聴かせる。バックの「サンバースト・シンガーズ」のコーラスも、いい感じでフォローしてくれている。

 

映像を観ると、今回のケイちゃんはあまりウェットにならず、全体的に表情はクール。だが、後半のクライマックスではステージに両膝をつき、天を仰いで熱唱している。これまでのライブの「ホテル・カリフォルニア」「帰り来ぬ青春」で披露してきた「愛を求めて一人さまよう少女」の魂の叫びのようなパフォーマンスが、このラスベガスのステージでも繰り広げられた。

 

感受性の強いケイちゃん。今回は英語なので、日本語で歌う時ほどは歌詞と感情が「化学反応」を起こすことはなかったかもしれない。それでも、主人公の回想として登場する<mother>や<father>といった言葉に、心が揺さぶられるところがあったのではないだろうか。

 

10:カルメン’77

 

実際のコンサートでは、前回書いた「ペッパー警部」「S・O・S」の後に歌われていて、この後の「渚のシンドバッド」も含めた4曲が続けて披露されている。この曲はワンコーラスのみ、テレビサイズでの演奏である。イントロで観客がワッとどよめくのは、例のユニークな振り付けに感嘆したのだろうか。

 

ところで、馬鹿みたいに当たり前のことを書いて恐縮だが、五線譜というのはすごいもので、言葉や文化が違うアメリカのミュージシャンでも、楽譜さえあれば、本来馴染みのない日本の歌謡曲でも、同じように演奏できるのである。この「カルメン’77」を聴いて、改めて感心してしまった。

 

前田憲男氏のアレンジは、ほぼオリジナルに忠実なのだが、例えばボーカルに絡むギターのフレーズなど、適当なアドリブでこなしても良さそうなものを、ギタリスト(アルバムジャケット裏面のクレジットによるとMitch Holder氏)がオリジナルのフレーズを律儀に再現してくれている。この曲になくてはならないホーンセクションも含めて、安定感のあるハイレベルな演奏でミーちゃんケイちゃんを盛り立てている。

 

11:渚のシンドバッド

 

元々オリジナルの演奏時間が2分30秒あまりと短いこともあり、この曲はフルコーラスで、若干テンポを上げて歌われている。

 

ここでまた音の話から離れてしまうが、この時の映像を観てどうしても触れたくなるのが、6人の女性ダンサーの存在である。

 

この曲では、ステージの両サイドから3人ずつ登場。アラブの女性が被るヒジャブ風の布で頭を覆い、煙管らしきものを持っている。どうやら、タイトルの「シンドバッド」からアラビアン・ナイトを連想して、アラブ風のコスチュームにしたようだ。これは、作詞した阿久悠氏にとっても想定外だったのではないか。この歌のシンドバッドに、そこまでの意味はないよ…と苦笑しそうである。

 

ステージ中央でミーちゃんケイちゃんがいつもの振り付けで歌っている間、ダンサーたちは両サイドでゆっくり目の動きで踊り、間奏になると舞台の上下の位置を入れ替わる形で、バタバタっと移動する。アメリカの観客たちがどう見たかはわからないが、この歌をよく知る僕たち日本人からすると、なんとも微妙な感じと言わざるを得ない。

 

この曲以外にも、オープニングの「スター・ウォーズ」から、ステージに何回か登場してダンスを披露してくれるのだが、正直どうもしっくりこないのだ。

 

この女性ダンサーたち、ケイちゃんがエンディングで<Michael Darrin Dancers>と紹介している。前に引用した朝日新聞の記事ではマイケル・ダーレンのダンス・チーム」となっていた。

 

https://ameblo.jp/kayrose65/entry-12628126442.html

 

 

 

 

このMichael Darrin氏はChoreographer(振付師)で、彼が女性ダンサーたちを率いていたようだ。ネットで検索したところ、ラスベガスで2008年に62歳で亡くなった振付師のMichael Darrinという人物が見つかった。ピンク・レディーのラスベガス公演は78年なので、同一人物の可能性はある。このDarrin氏は、90年に人気歌手でダンサーのポーラ・アブドゥル(Paula Abdul)のミュージックビデオなどの振り付けで脚光を浴び、エミー賞を受賞したこともある。

 

前にも書いた通り、ラスベガス公演にはピンク・レディーのデビューからずっと振り付けを手がけていた土居甫センセイも、当然日本側スタッフの一員として乗り込んでいた。土居氏が後に「ケンカ腰でやってた」と発言しているように、どうもアメリカ側の振付師であるDarrin 氏や女性ダンサーたちは、土居氏の意のままには動いてくれなかったようだ。

 

五線譜があれば通じ合えるミュージシャンとは違って、恐らく「振り付け」については、日米の根本的な考え方の相違のようなものがあって、その溝は短期間では埋められなかったようだ。さしもの土居センセイも途中で匙を投げたのではないか。

 

例えば、前年暮れの「バイ・バイ・カーニバル」で披露された「ロックンロール・パーティー」(アルバムでは「ロックンロール・メドレー」となっている)は、ラスベガスでも歌われた(アルバムには収録されず)のだが、両方の映像を比べれば、バックダンサーの振り付けが全く違うことがわかる。

 

日本国内のコンサートでは、常連のダンスチーム、ポピーズ・シャルマンが、時には主役のミーちゃんケイちゃんと同じ動きでシンクロしたり、「ロコモーション」では機関車をイメージさせる隊列を組んだり、土居センセイの発想を形にすべく、あらゆるリクエストに対応している。だがラスベガスの女性ダンサーたちは、そこまではやってくれなかった。無理もない。たぶん彼女たちが普段からステージで披露しているダンスは、日本の歌謡曲の振り付けとは全く異なるものだったに違いない。

 

しかし、決してアメリカ側が手を抜いていた訳ではない。「渚のシンドバッド」のアラブ風衣装にしても、彼ら彼女らなりに真剣に考えた上でのことだろう。42年前の日米合作ステージ。こうして見ていくと、今でもいろいろ興味深いのである。(続く)