ピンク・レディーのセカンドアルバムにして、初めてのライブ盤「チャレンジ・コンサート」。今回から曲ごとに書いていく。前回書いたように、ストリーミング配信(およびCD)は、オリジナルのアナログ盤LPレコードよりも収録されている曲(トラック)の数が多い。通し番号は配信・CD版に従い、カッコ内にLPの曲順(例:Aー1、Bー2など)を記す。



1(Aー1):オープニング〜朝まで踊ろう

1977年3月31日、東京・芝の郵便貯金ホールは満員の観客で埋まっていた。アルバムは開演の直前から始まる。幕が上がったのか、会場には拍手が沸き起こり、ピューピューという指笛と男性ファンの掛け声が響く。同じ人物なのか、「ケイちゃ〜ん!」と絞り出すような声が目立って2度も聴こえる。

26秒後にバンドの演奏が始まる。オープニングはインストで「忘れたいのに」(I Love How You Love Me)。アメリカで61年にパリス・シスターズ、68年にボビー・ヴィントンがヒットさせたポップスの名曲である。日本では69年にラジオの深夜放送「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」の女性3人組パーソナリティ、モコ・ビーバー・オリーブがカバーしたことで知られる。本来は3連符のリズムによるスローテンポのしっとりしたラブソングだが、ここではショーのオープニングに相応しく、少し速めのテンポで軽快に演奏されている。

ちなみにこの時はインストだったが、77年暮れの「バイ・バイ・カーニバル」では、新たに日本語詞をつけて彼女たち自身がエンディングで歌い、その後のコンサートでも定番のレパートリーとなる。

「忘れたいのに」を2コーラス分聴かせてから、2分過ぎにドラムがリズムを変えてさらにアップテンポに。ここでミーちゃんケイちゃんが登場。「ワン、ツー、ワン、ツー、スリー、フォー!」ドラムに合わせて2人のカウントが弾む。

♪今夜は乗れそうだわ 
  シェイク・イト シェイク・イト ベイビー 
  あいつにウインク

1曲目はファーストアルバム「ペッパー警部」でカバーしたベイ・シティ・ローラーズ(BCR)の「朝まで踊ろう」。ファーストアルバムではギター、ベース、ドラム中心のアレンジだったが、ここではホーンセクションが加わり、一段とカッコいい。逆にサビのハモり部分は、ファーストアルバムでは女性コーラスが入っていたが、今回はシンプルにミーちゃんケイちゃん2人だけ。それぞれの個性が溶け合ったピンク・レディーのハーモニーの魅力がダイレクトに味わえる。

2(Aー2):メドレーI
a)マネー・ハニー

b)エンジェル・ベイビー

c)ロックン・ロール・ラブレター

d)二人だけのデート 


1曲目に続いて、ファーストアルバムのBCRのカバー曲から、一気に4曲をメドレーで披露している。個々の曲目についてはアルバム「ペッパー警部」の記事に書いたので今回は触れない。


コンサートの進行は、1曲終えたらお辞儀をし、拍手をもらって次へ行くのが普通だが、そればかりだとどうしても単調になり、テンポも落ちる。その点メドレーは、曲の切れ目に間を作らないので、格段にスピード感、疾走感が増す。特にピンク・レディーのライブでは、よく使われていた。


このメドレーは、時間にして7分20秒あまり。曲の切れ目に間がないということは、歌い手もその間ほとんど休めないということだ。まして「歌って踊って」が身上のピンク・レディー、ほんとうに体力勝負である。「チャレンジ・コンサート」は映像が残っていないようなので、視覚的なことはわからないが、当然振り付けもあった。コンサートを取材した当時のスポニチの記事にはこうある。


彼女達の歌唱力と踊りのセンスはデビュー当時から相応の評価を得ていたが、コンサートにそなえてさらに特訓を重ねた。「振付けの先生がとても厳しくてキチンと出来ないとひっぱたかれることも……」とピンク・レディー。ファンもブラウン管では見られない動きにラブ・コールも一瞬忘れるほどだ。

(スポーツニッポン 77年4月1日)


「振付けの先生」とは、もちろん土居甫氏のことだ。デビューの前から、妥協を許さない厳しい指導を行い、2人はその指導に食らいつくようにして、難しい振り付けも体得してきた。土居センセイとの緊張感ある師弟関係は、彼女たちが人気スターの仲間入りをしたこの時期も全く変わっていなかったことが窺える。


ところでオープニングの「朝まで踊ろう」も入れると、幕が開けてから12〜13分の間、BCRだけで5曲も畳みかけたことになる。なかなか大胆な構成だ。テレビで持ち歌を歌う姿しか知らないファンは、戸惑ったかもしれない。だがファーストアルバムでカバーしただけあって、どの曲もすっかり自分たちのものにして堂々と歌い切っているのは流石で、やっぱりこの2人、タダモノではない。


3(Aー3):ペッパー警部 


ここでようやく、ファンが待ちに待ったお馴染みのヒット曲が披露される。今回のステージでは、オリジナルとほぼ同じテンポで、フルコーラスの演奏である。スタジオ録音と違って、ライブでは当然のことながら、2人は激しい振り付けで動きながら歌っている。そのあたりの微妙な息づかいの違いに耳を澄ましてみるのも、一興である。


4(LP収録無し):ロックン・ローラー・コースター


原題は<Rock and Roller Coaster>。イギリスのジャマイカ移民3世の女性シンガーソングライター、リンダ・ルイスが75年にリリース、日本でも同年に東芝EMIからシングル盤が出た。と言っても、知っている人がどれだけいるだろうか?当時ですら、恐らくコアな洋楽ファンを除けば、一般の日本人にはほぼ知られていなかったと思われる。要はそれほどヒットしなかったのだ。


それをあえて初コンサートツアーの大舞台で、しかも英語で歌ったのは、やはりプロデューサー兼マネージャーで、洋楽に精通していた相馬一比古氏の選曲だったのだろうか。


リンダ・ルイスは5オクターブの声域を誇る才能に恵まれたシンガーで、この曲も音域が広いのが特徴である。これを2人は上手く分担して歌っている。


まずはケイちゃんがソロで歌い出し、音域が高くなる次のパートをミーちゃんが得意の高い声を駆使して歌う。そして後半は中低音のケイちゃんと高音のミーちゃんが、アドリブっぽく掛け合いながら、お互いの声を生かしたパフォーマンスをノリよく繰り広げる。この1曲を聴けば、2人が最高のコンビであることが実によくわかる。次の「にがい涙」と合わせて、コンサートの前半の一番の聴きどころと言っても良いほど、秀逸な出来映えである。評判も良かったらしく、この年の夏に行われた「サマー・ファイア‘77」でも歌われている。


…と、ここまで書いたところで、ケイちゃんの驚くべき証言(2006年「プラチナ・ボックス」ブックレットのインタビュー)を発見した。76年8月25日、「ペッパー警部」でレコードデビューしたその日、東京・日本橋の高島屋(追記:「あこがれ」では日本橋三越となっている)の屋上で、デビュー記念のミニライブが開催されたそうだ。30分ほどのステージだったが、なんとこの「ロックン・ローラー・コースター」も歌ったのだという。同様の営業イベントは恐らく他でも行われただろうから、この曲、彼女たちは結構歌い込んでいたに違いない。道理で完成度が高い訳だと納得した次第である。


5(LP収録なし):にがい涙


作詞:安井かずみ、作曲:筒美京平、歌:スリー・ディグリーズ(The Three Degrees)。75年に日本限定でリリース、知る人ぞ知る日本歌謡史に残る傑作である。スリー・ディグリーズはフィラデルフィア・ソウルを代表する女性ボーカルグループで、74年に「ソウル・トレインのテーマ」、「天使のささやき」が世界的に大ヒット。そんなビッグネームを日本に呼んできて、なんと日本語のポップスを歌わせようという大胆な企画によって生まれたのがこの曲だ。昭和の歌謡界は意外と国際的だったのである。


ミーちゃんケイちゃんとも、ソウルミュージックが大好きで、スリー・ディグリーズもよく聴いていた。この「にがい涙」のカバーも「ロックン・ローラー・コースター」と同様に、ケイちゃんが主旋律を担当し、ミーちゃんが高音で絡むスタイルで、生き生きと歌っている。特にミーちゃんは2度も「イェイ!」と叫ぶほどで、ノリノリな様子が際立つ。いい意味で怖い物知らずというか、若さがほとばしる19歳の2人の歌声は、オリジナルとは違った魅力に満ちあふれている。ホーンセクション大活躍のサウンドも素晴らしい。


曲終わりでやっとMCが入る。2人が「皆さんこんばんは」と挨拶しているので、少なくともこの部分は昼夜2回公演の夜の部に収録したものだとわかる。会場の男性ファンからの声援が止まず、しばしMCが遮られる。


ミーちゃんが「私たちデビューして、早いものでもう1年が経ってしまいました」と言っている。前年8月25日のレコードデビューを起点にすると、この時点ではまだ7か月しか経過していない。「1年経った」と言うのは、恐らく彼女たちが静岡から上京してT&Cに「就職」した前年4月12日を起点にしているようだ。


実際、レコードが発売される前から、「売れるにはとにかく露出が大事」と事務所がガンガン仕事を入れていて、既にハードスケジュールが慢性化していたミーちゃんケイちゃん。がむしゃらに走り続ける内にあっという間に1年が経ったというのが実感だっただろう。それでも「こんなラッキーなデビューはないと思う」とファンに感謝する2人であった。

(続く)