♪この世をいきいきとバラ色に飾るには

  心が感じやすい方がいい OH!

 

「あれ?」ミーちゃんが歌い始めたソロパートをDVDで視聴しながら、なぜか違和感を覚えた。1981年3月30日、ピンク・レディー解散前日の「夜ヒット」、最後のシングル曲「OH!」の歌唱シーン。楽曲は確かに「OH!」だが、何か違っていないか?モヤモヤとしたまま、歌はケイちゃんのソロに引き継がれる。

 

♪形だけ整えた よそ行きの顔より

  小さな言葉で 裸になるがいい OH!OH!

 

違和感の理由がわかった。彼女たちが歌っていたのは、2番の歌詞なのだ。当時、テレビの歌番組では、1曲あたりに割り当てられる歌唱時間は2~3分が当たり前、楽曲をフルコーラスで聴かせることは珍しかった。なので、テレビサイズとして1番のみ、または1番+サビの繰り返し、という形で歌われるのが一般的だったのだが、なぜかこの時の「OH!」は2番から歌い出しているのだ。

 

この時期の他の出演番組ではどうだったのか?「Singles Premium」のDVDに収録された「スター誕生!」(3月22日と29日)、「ザ・トップテン」(「夜ヒット」と同じ30日の午後8時から生放送)を改めて確認したところ、やはりいずれも2番の歌詞を歌っている。また、動画サイトで視聴した「ザ・ベストテン」(26日)も同じく2番だった。

 

なぜテレビでは2番を歌っていたのか、その理由はわからない。作詞者、阿久悠氏の意向だったのかもしれないし、そうではないかもしれない。あくまで推測だが、1番の歌詞(♪この世に驚きやときめきがなくなれば/季節はいつも冬を動かない OH!…)と2番を比較すると、1番だけでは「だからどうなの?何が言いたいの?」という感じになるかもしれない。テレビではあえて2番を歌った方が、よりストレートにメッセージが伝わるという判断もあったのではないか。

 

実はこの日の「夜ヒット」では、さらに奇妙なことが生じていた。もともと「夜ヒット」は、放送時間が夜10時台でもあり、出来るだけ楽曲をフルコーラスでじっくり聴かせることを基本にしていた。その上、この日の主役はピンク・レディーだ。番組サイドは「OH!」をフルコーラス歌える時間を、きちんと確保していたのである。その結果、どうなったか?


他の番組と同様、2人はまず2番から歌い、間奏を挟んで、後から1番を歌ったのである。おそらく、この時だけの極めてイレギュラーな曲構成だろう。ちなみに、翌日のファイナル・コンサートでは、レコードの通りに、1番、2番の順でフルコーラスを歌っている。



ビクターの担当ディレクター、飯田久彦氏はラストシングルの制作に際して、ピンク・レディーのデビュー以来、数々のメガヒットを手がけ、大ブームの原動力となった阿久悠氏・都倉俊一氏の黄金コンビに作詞・作曲を依頼した。阿久氏は「そろそろ本人たちが歌いたい曲を」と書いた79年の「マンデー・モナリザ・クラブ」を以て、ピンクへの作品提供に一応の区切りをつけていた。飯田氏は「もう書いてもらえるとは思っていなかった」そうだ。だが、阿久氏は「最後に書くんだったらバラードがいいね」と快諾したという。(「Singles Premium」ライナーノート)

阿久・都倉コンビの曲作りは、ほとんどの場合、まずタイトルを決めてから都倉氏が先に曲を書き、そこに阿久氏が詞をつけるという流れだった。しかし、都倉氏によると「OH!」は阿久氏の詞が先に書かれたという。それだけ作詞者の思いが歌詞に強く反映されていることになる。

タイトルの「OH!」について、阿久氏は「王選手のOHもあるし、王様のOHもあるし、いろんな意味を含んだOHだ」と言っていたと飯田氏が回想している。ちなみに「サウスポー」の「背番号1のすごい奴」のモデルとなった王貞治選手は、前年80年のシーズンを最後に現役を引退していた。

歌い手の活動の最後を飾るラストソングとして、「OH!」は、やや異色である。キャンディーズの「微笑がえし」や山口百恵さんの「さよならの向う側」は、恋人や大切な人との「別れ」の情景や心情を歌い上げ、そこに歌い手自身からファンへのお別れと感謝のメッセージを重ねるという、いわばわかりやすいラストソングだった。

それに対して、「OH!」で歌われているのは「別れ」ではない。むしろ、これから新しい人生を歩んでいくミーちゃんケイちゃん、そしてピンク・レディーと一緒に歌って踊った若い人たちに向けて、人生の先輩である阿久氏が静かに語りかけるような、半ば独り言のような歌詞である。

驚いた時、心が動いた時、誰もが思わず口にする「OH!」。一見取るに足らない小さな言葉の中に、実は大切なものがある…

この時、2人は23歳。一つ一つの言葉を自分の中で噛みしめるように、あるいは向かい合ってお互いに確かめ合うように、この曲を歌っているように見える。ケイちゃん(増田惠子さん)は、当時は正直なところ、阿久氏、都倉氏が何を伝えようとしていたのか、よくわからなかったと後に語っている。

無理もない。超多忙を極め、次から次へと新しいことにチャレンジする刺激的な青春の日々を駆け抜けてきた彼女たちに「♪ありふれた毎日の繰り返しの中で」なんて歌詞が、まだ実感できようはずがない。それは当時のファンの多くも同様だっただろう。だが、年齢を重ね、さまざまな人生経験を積むにつれて、じわじわと効いてくる時限装置のような曲が、この「OH!」なのである。

ケイちゃんの回想によると、当時、阿久氏らは「何年かしたら、この曲を理解するときがくるだろう」と言っていたらしい。ケイちゃん自身は、2003〜05年の再結成ツアーでその意味がようやくわかったという。この時のツアーで、多くの人から「いい曲だね!」という声が寄せられた。聴き手の方も年齢を重ねる中で、この曲がそれぞれの人生に寄り添っていることを、ケイちゃんは実感したそうだ。(個人的には、2011年に行われた“INNOVATION” ツアーDVDの「OH!」も好きだ。50代になった2人が2時間以上ものステージを務めたコンサートのアンコールで歌われるのだが、涙無しでは見られない!)

「OH!」という言葉(言葉になる以前の、声だったり、息だったりもする)を生み出すもの。それは、阿久氏の著書の中の言葉を借りれば「人間の中の子供心」ではないか。ピンク・レディーの歌や振り付けは、単に「子どもに受けた」のではなく、世代を超えてあらゆる人の中に存在する「子供心」に響いたのである。

どんなに歳を重ねても、子どものように素直で瑞々しい感性を忘れず、いつも好奇心のアンテナを張り、驚いたり、ときめいたり、物事を楽しむ精神を持ち続けること。それが、あなたがあなた自身であることの証でもある…

新曲を出す度に、斬新なパフォーマンスで日本中を「OH!」と言わせたピンク・レディーを総括する、彼女たちに相応しいラストソングだと言えよう。ただし、大衆性、わかりやすさという点から見れば、「微笑がえし」や「さよならの向う側」のようなラストソングをイメージしていた当時のファンや若い聴衆たちを、戸惑わせるものだったことも否めない。(「スター誕生!」で歌った時の映像に、短く客席のカットが入っているのだが、観客たちは恐ろしく無表情に見える)


「OH!」に関して、ケイちゃんはもう一つ興味深いエピソードを語っている。それは76年2月、高校卒業を翌月に控え、彼女たちが芸能界入りをかけた最後のチャンスとして出場した「スター誕生!」決戦大会でのこと。別のオーディション番組に派手目のステージ衣装で出場して「新鮮さがない」と落とされた苦い経験から、2人が素人っぽく見せるための戦略として、あえて垢抜けないサロペットを着て舞台に立ったのはよく知られている。

とはいえ、やはり女の子である。ちょっと襟元が寂しいよねえ、という話になり、地元の静岡駅に当時あった商業施設、新静岡センターで、衣装のシャツの襟につけるお揃いのバッジを買った。そのバッジが、まさに「Oh!」の文字を象っていたのである(hは小文字)。決戦大会の映像を確認すると、確かに映っていた。青のサロペットのケイちゃんは青、赤のミーちゃんは黄色と緑の「Oh!」バッジをつけて「部屋を出て下さい」を歌っている。

このバッジのことを、「スタ誕」の審査員だった阿久氏は記憶していて、「OH!」を書いたのだろうか?それとも、偶然の一致なのか?阿久氏自身の言及は見つかっていないので、真相はわからないが、阿久悠という稀代の作詞家には、やはり底知れないすごみを感じざるを得ない。

この日の「夜ヒット」に戻る。スポットライトを浴びて「OH!」を熱唱するミーちゃんケイちゃんの周りを他の出演者たちが取り囲み、セットの奥の階段状に高くなった壇の上には、星空をイメージしたホリゾントを背景に、コーラス隊も並んでいる。そして、曲の盛り上がりに合わせて、当時はまだ珍しかったペンライトをみんなで振る演出も取り入れられた。

よく見ると、2人を取り囲む輪の中に、この日の“公式”の出演者とは別に、よく見知った顔があった。藤村俊二氏(デビュー間もない頃、レギュラー出演していた「シャボン玉ホリデー」で共演)、新沼謙治氏(「スタ誕」の先輩で、2人がお兄ちゃんと慕っていた)、石野真子ちゃん(「スタ誕」、ビクターの後輩)、うつみ宮土理さん(「シャワラン」、「シャボン玉こんにちは」の牛乳石鹸つながり?)など。メドレーを歌った“公式”出演者たちの多くが、彼女たちとの縁が薄いメンバーだっただけに、駆けつけた顔ぶれにちょっとホッとする。

♪OH!OH!OH! ときめきのOH!
  OH!OH!OH! よろこびのOH!
  はじらいのOH!  感激のOH!
  よろこびのOH!

編曲は、彼女たちのコンサートツアーにも参加していた井上鑑氏。これまで作曲と編曲を兼ねていた都倉氏が、この頃アメリカに活動拠点を移していたため、井上氏が起用されたと思われるが、これぞバラードの王道という堂々たるアレンジである。シンプルなピアノ伴奏から始まり、徐々にストリングス、コーラスで音の厚みを増してドラマティックに盛り上げていく。特にエンディングのギターソロが印象的だ。

翌日のファイナル・コンサートを残して、ピンク・レディーとしてテレビの歌番組で歌ったのは、この「夜ヒット」が最後であった。演奏が終わると、ミーちゃんが右手を差し出し、ケイちゃんが少し照れたような笑顔で、その手を握り返した。