彼女たちは、戦っていた。
何と戦っているのかは、よくわからない。ただひたすらステージに立ち、テレビカメラの前に立つ。眩しいライトを浴び、バンドが演奏を始めれば、全力で歌い、踊るだけだ。次から次へ、終わりの見えない日々。とにかく目の前のことを、がむしゃらにやっていくしかない。
時代は今や、圧倒的に彼女たちを求めていた。わずか1年と少し前、夢を追いかけてやっとのことで海へ漕ぎ出したというのに、小さな船は気がつけばロケットに姿を変えて、どこまでも飛んでいくようだった。
歓声と喝采。際限なく膨らんでいく世の期待を背負い、空腹も眠気も疲れも我慢し、身体の痛みにも耐えて、走り続ける。プレッシャーと不安で、心は張り裂けそうになる。ひょっとして戦っている相手は、自分自身なのかもしれない。
ふと横を見ると、相棒がいる。一緒に戦っている。目を見て、うなづく。2人なら何とかなる。力を合わせて、夢を叶えてきた。支えてくれるスタッフ、ファンのためにも、私たちは戦い続ける。

1977年11月28日の「夜ヒット」、この日もピンク・レディーはヒットチャート独走中の「ウォンテッド (指名手配)」を、例のABBA風のコスチュームで熱唱した。曲の終わりの頭を激しく振るアクションで、ケイちゃんの髪飾りが飛んでいくほど、気迫のこもったパフォーマンスだった。

この夜の司会者(芳村真理、井上順)とのやりとり。
芳村「お2人は今年は忙しかったわね。ほんとうに頑張ったわよね。不景気で何だかんだ言われてたけども、みんなも頑張ったと思うけど、彼女たちも今年すごい頑張った2人だと思うの。」
井上「あの、お目々、テープが当たっちゃったんだよね」
ケイ「はい」
芳村「ねー、その挙げ句にまあ、事故続きだったわね」
ケイ「はい」
芳村「大丈夫?」
ケイ「大丈夫です」
芳村「一回り痩せたもんね2人とも、体も顔も」
井上「とにかくみんな期待してるからね、体壊さないでね、元気でね、ステージで歌を歌ってもらいたい」

ケイちゃんの右目に紙テープが当たったのは、この8日前、富士急ハイランドでの公演中だった。幸い大事には至らなかったが、全治1週間の怪我。事故の2日後に行われた「日本レコード大賞」の部門賞の発表会では、当時のスポニチの記事によると、眼帯をしてステージを務めたようだ。大衆賞の受賞が決まり、客席にいた2人はなんとビューティ・ペア(懐かしい!)に抱えられてステージに上がった。泣いている2人の写真がある。ケイちゃんは手で右目を覆っているせいで、眼帯は確認出来ない。「ケガばかりしてごめんね」とミーちゃんに言ったという。
記事には「通算レコード売り上げ枚数340万枚、テレビ出演292回、320回のステージをこなす殺人的スケジュールにも負けず、元気に大衆賞を手中に収め、涙、涙のピンク・レディーだった」とある。
ちなみに目を怪我する前、17日に行われた「日本歌謡大賞」では、「ウォンテッド 」で放送音楽賞を受賞。この時、司会の高島忠夫氏はケイちゃんにこう声をかけていた。
「ねえ、あなた、あんまり体が丈夫じゃない。 よく頑張りましたね」
するとケイちゃんは間髪入れず「いえ、丈夫です!」と返答。負けず嫌いである。
年末に向けて、賞レースの行方に注目が集まる中、ピンク・レディーの奮闘ぶりとともに、超ハードなスケジュールに追われる過酷な状況が徐々にクローズアップされ、特にケイちゃんの体調を心配する声が広がりつつあった。その中で、さらに激動の12月を迎えることになる。