ザ・ドリフターズ、森進一、五木ひろし、

沢田研二、布施明、梓みちよ、小柳ルミ子、

和田アキ子、内山田洋とクールファイブ、

野口五郎、西城秀樹、郷ひろみ、

森昌子、山口百恵、桜田淳子、高田みづえ、

キャンディーズ、ピンク・レディー

 

1977年10月3日の「夜のヒットスタジオ」の出演者である。この日は10周年記念特番とあって、超・超・超豪華なラインアップ。ドリフはちょっと意外だが(確かに歌手としても「ドリフのズンドコ節」というミリオンセラーを放ってはいる)、人気絶頂のジュリー、新御三家(ゴロー、ヒデキ、ヒロミ)、旧・花の中3トリオ(昌子、百恵、淳子)に、解散を半年後に控えたキャンディーズ。これだけの売れっ子、大物を一堂にキャスティングできたのは、当時としても「紅白」くらいではなかったか。奇跡のオールスター競演である。(あくまでもネットの情報による。番組全編を見た訳ではない)

 この日は特番のため、出演歌手はそれぞれ過去のヒット曲を歌うことに。「ウォンテッド(指名手配)」がチャート1位を独占中だったピンク・レディーだが、この時はデビュー曲「ペッパー警部」を披露した。

 ミキシングの加減か、冒頭のサビから、ミーちゃんによるハモリの高音パートがかなり強調され、ケイちゃんの主旋律が聴こえづらいところもあるが、それはそれでナマらしく、テンション高めな感じが伝わってくる。

 「夜ヒット」に初登場したわずか10か月前の映像では、まだちょっと垢抜けない素朴なお姉さんたちだったのが、この時にはすっかりスターの顔になり、自信も感じられる。やはり「ペッパー警部」はピンク・レディーの原点、愛着もあるのだろう。いかにも楽しそうで、溌剌としたパフォーマンスである。


 それにしても、花の中3トリオに象徴されるように、当時のアイドルは、中学・高校在学中のデビューが当たり前。その中で、地元・静岡の高校を卒業してからデビューしたピンク・レディーは、異色の存在だったと思われる。芸能界では、中3トリオの方が3~4年先輩なのだが、学年はピンクの方が1年上にあたる。キャンディーズは芸能界でも学年でもピンクより先輩だが、スクールメイツの時代があるので、やはり10代の半ばくらいから、東京の芸能界の空気を吸っていた人たちである。

一方、ミーちゃんケイちゃんは、静岡時代にヤマハのオーディションで認められ、「クッキー」としてセミプロ的な活動はしていたものの、基本的には普通の高校生活を送っていた。ミーちゃんこと未唯mieさんは、雑誌PRESIDENT のインタビューで当時をこう振り返る。


学校の帰りには、「これで食べおさめ!」なんて言いつつ、3人(注・ケイちゃんともう一人の友人)で2~3軒、お店をはしごして買い食いしました。学校の規則では、もちろんそんなことしちゃいけなかったけれど、もう時効よね。コロッケをかじったり、コーヒーゼリーを食べたりしながら、ずっと夢を語り合いました。とても大切な思い出です。


まさに、ごく普通の10代の女の子の日常である。泣きながら「普通の女の子に戻りたい!」と叫んだキャンディーズの台詞は余りに有名だが、逆に「普通の女の子」が、だいぶ遅れて芸能界に滑り込み、いきなり大旋風を巻き起こしたのが、ピンク・レディーである。

もちろん歌い手としては、振り付けも含め、プロとして表現に徹する彼女たちだが、例えば歌の前のインタビューなど、半ばはにかみながら受け応えしている感じは、良い意味で素人っぽく、まさにこの時代の普通のお嬢さんなのである。

そもそも今のアイドルと違って、芸人と絡んで気の利いた切り返しをするとか、トーク力が求められることもなく、あくまでも本業の歌で勝負していた時代だったこともあるが、その中でも芸能界純粋培養のアイドルとはちょっと違う「普通の女の子」感覚を持っていたのがピンク・レディーであり、特にケイちゃんである。もっとも当時は忙しすぎて、芸能界の空気に染まる余裕すらなかったのかもしれないが。

そして、この年もあと3か月。賞レースなどを控え、いよいよ一年で最も過酷な試練の時が訪れようとしていた。