年末のレコード大賞に絡めてもう一つ 。
6分半の4曲メドレーを熱唱した後のケイちゃんのコメントが、ネットでも話題になりました。
「去年たくさん、私たちの身に余る賛辞をたくさんいただいたので、そのお礼を込めて今日は死んでもいいと思って頑張りました」

ケイちゃんらしく、笑いながら可愛らしく仰ったので、多くの方が微笑ましくお聴きになったかと思います。もちろんそれで良いのですが、実はケイちゃんの場合、これがただの冗談ではなく、半ば本気でそれくらいの覚悟をもってステージに臨んでいるのではないかと想像しています。

伝説というか、ファンのみなさんにはよく知られているエピソードだと思いますが、実際にケイちゃんは文字通り命をかけて「死んでもいい」と思ってステージに立ったことがあるのです。

それは、ピンク・レディーが人気絶頂期にあった1977年12月27日、武道館でのコンサートのこと。この頃ほぼ休日もなしで1日10数件の仕事をこなし、睡眠時間も2、3時間という超ハードな日々を送っていたピンク・レディー。とうとう12月16日、ケイちゃんは盲腸をこじらせた腹膜炎で倒れてしまいます。状態はかなり悪く、緊急手術を受けたものの、膿を吸わせるガーゼをお腹の中に詰めておかなければならないため、10センチほどもある傷口は縫合せずに開いたままの状態。通常ならば3週間は入院すべきところ、ケイちゃんは「早く仕事に戻りたい」と自ら主張し、9日後の25日に退院します。
ちなみに退院時の様子をスポーツニッポンが写真付きで記事にしていますが、看護師さんたちに囲まれた私服のケイちゃん、身長162センチは当時の一般の女性たちの中に立つとかなり際立っていて、さすがにオーラが漂ってます。

さて2日後、武道館に1万2千人を集めたコンサートに臨むのですが、ケイちゃんはなんと開いた傷口の上からサランラップを何重にも巻いてステージに。万が一に備えて舞台裏には医師が待機。衣装は体液がにじみ出ても目立たないよう、黒っぽいものにしました。彼女は2004年に出版した自叙伝「あこがれ」の中でこの時のことを振り返っています。

今までにないほどのファンの方々の声援と絶叫!私はオープニングの曲から泣いていた。お腹にサランラップを巻いていることも忘れ、お腹にガーゼが詰まっていることも忘れ、私は思い切り動き回った。私はここで死んでもいい!  と思うほど酔っていた。

後にも先にも、こんな壮絶な経験をしているアイドルが他にいたでしょうか!?だからきっとステージに立つ時の腹の据わり方が違うのだと思います。

ケイちゃんは2011年の再結成の時、「ほぼ日新聞」での糸井重里さんとの対談で、何があろうとあの時のことを思えばなんでもない、ピンク・レディーになったら命を捧げないと許してもらえない、とまで言っています。
それは、義務や使命のために自分を犠牲にするという意味ではありません。自分が決めたこと、自分が選んだ好きな道だからどんな苦しみがあっても最後までやり遂げる、そしてそれは自分にとって何よりも楽しいこと。だからこそ「死んでもいい」と思って全力で歌い踊ることができ、今でも多くの人に感動を与えられるのではないでしょうか。

そんなピンク・レディーがレコ大であのパフォーマンスを全身全霊で披露してくれたことに、ただただ感謝感激でした。司会の安住アナが「全国のファンのみなさんに代わってありがとうを…」と言ってくれたのは、まさに気持ちを代弁してもらったようで、嬉しかったです。