20年前の2000年9月11日、東海地方は大雨に襲われました。その日は買い物などの用事で日が暮れてから車を走らせた記憶はありますが、個人的にはそれほど危機を感じた覚えはありません。確かに大雨ではありましたが、それほど意識することもなく普段通りの生活をしていました。雨は止むことなく翌日の明け方まで降り続きました。翌12日、大雨のせいで仕事が休みになったのか、それとも最初から休みの日だったのかは覚えていませんが、日中から目を疑うような光景を目の当たりにすることとなりました。

 

天白川周辺のおおよその浸水エリア

 

  名古屋市内を走る地下鉄に桜通線という路線があります。桜通線の当時の終点は"野並"という駅でしたが、駅周辺はすり鉢状の地形になっているものですから、降り続いた大雨のせいで周辺一帯が水没してしまいました。後日の調査で判明したことですが、調整池に溜まった水は排水ポンプによって天白川に排水されていたものの、天白川を流れる水が藤川を経由して郷下川にまで逆流してしまい、両河川から氾濫した水が再び野並地方へ流れ込んでしまったようです(逆流の方向は下図参照)。しかも、排水ポンプを動かすための燃料を供給する装置が浸水で停止したため、ディーゼルエンジンで動いていた排水ポンプは次々と運転停止してしまったそうです。水没した地域から水が引いたのは翌々日、13日の明け方になってからでした。

 

三川に囲まれた地域は特に被害が大きかった

 

  私は当時その周辺に住んでいたのですが、少し出歩いた先が湖のほとりのような状態になってしまっていて、水没した街の中心や反対側がどうなっているのか確認しようがありませんでした。あらかた水が引いてから一帯を確認しに行ったのですが、当時の様子は文章よりも写真のほうが伝わりやすいと思いますので、興味のある方は画像検索などからご覧になってみてください。今でも印象に残っているのがその地域で営業していた古本屋さんです。おそらく貴重な本も抱えていたことでしょう。何かしらの形で補償がされるとしても現物その物が戻るわけではないと思うと、何とも悲しい気持ちになったのを覚えています。

 

 

 

 

 

あれから20年、、、

被害が大きかった地域を散策してきました

 

天白川の下流側から被災地となった地域を遠くに眺める

 

 

天白川と藤川が合流する付近

 

 

南へ(写真左から右へ)流れる天白川に合流する藤川

 

 

上流側から眺めた藤川合流地点

東側(写真左側)の一部は工場地帯

 

 

藤川の上流は東側へと延びている

古い地元民の話によると昔はカワセミが生息していたらしい

 

 

   

合流付近で管理区域が県と市で分かれている

 

 

藤川と郷下川が合流する付近

これより北側(写真奥側)の被害が特に酷かった

 

 

西へ(写真右から左へ)流れる藤川に合流する郷下川

 

 

郷下川の上流は北側へと延びている

 

 

郷下川合流地点から100メートルほど北上すると、名古屋市内を直線的に横断する幹線道路の東海通に当たる

記事を書いている現在、ウィキペディアの"東海豪雨"の項目に掲載されている写真はこの場所

 

 

 

川の両側には各所にこのような場所が

 

 

普段は出入りが制限されているわけではないので、水位が低ければ下りていくことができる

 

 

 

下流方面

 

 

上流方面

それほど綺麗な川ではない

 

 

辿っていくとすぐに行き止まり

この場所が始点で、川の全長は1000メートル強ほど

 

 

橋の下の右側に排水管の出口が確認できる

垂直方向に管が走っているとすると、地図上で管の始点として想像できるのは500メートル先のゴルフ場

緑地に立っているとは言え、あまり綺麗な水ではなさそう……(あくまでも個人の想像です)

 

 

ゴルフ場とは逆の方向へ300メートルほど行った場所に天白川

 

 

 

おしまい