なんらかの現実世界を変えたい、という願いは、ほとんどの人が持っているものかもしれません。


自分自身の肉体のこと、容姿や病気や性格から、家族、友達、恋人、仕事、社会、環境‥と限りなくありますね。私にも、たくさんあります。


よく、目にするものすべては、自分自身の内側の投影に過ぎないと言われます。
苦手な人、嫌いな人は自分の鏡役だから、
何か気に障ったり、傷ついたと感じたりした時には、立ち止まって自分を振り返ってみる機会を持つといい‥ということも耳にします。


確かに思い当たることがあったりして、ちょっと意識してみると、現実が変わったような気がする‥という経験を私もしたことがあります。

自分を見つめることを

自分のせいで現実が悪いのだと自分を卑下したり、罪悪感を感じるきっかけにするのではなく、


自分をより幸せな方向に運んでいく手段のひとつとして活用できるならば、それは素晴らしいことだと感じます。



今、改めて私が感じることは

この、変えたいと感じるような現実世界のあらゆるものは、本当に悪なのだろうか?ということです。


私にもたくさん感情があり、願いがあり、また、未熟な未熟な存在ですから、正直に申し上げて、わからない‥
決して揺らがない真実はわからないのです。

けれども、
この世界に存在するあらゆる存在は、存在している以上は、ただ愛なのだとしか思えない自分が奥底にいるのです。


自分を、何かを
消し去りたいくらいに憎んだり、嫌ったり否定したり、変えたいと目をそむけてしまうのはなぜですか?


何かが足りない、足りないと、いつも渇き、求め続けているのはなぜですか?

あなたがどうしても見ようとしない、大切なものはなんですか?

と、静かに優しく、誰かに問われ続けているような気がするのです。
その声は決して責めず、暖かい懐の中で、ほんの一瞬でもその瞬間、私は許されていて、全身でただ委ねているような気がするのです。


誰にでも、もれなく、消して諦めず、どんなあなたでも許し、受け入れ、愛して、ひたすら待ってくださっている存在が必ずいます。
人間の情とは違う無限の愛で、包み込んでくださっています。


その存在がいらっしゃる限り、きっとすべては完璧で大丈夫なのだと思います。


私も、挫けたり、諦めたりの連続ではありますが、信じる練習をしながら、少しずつ歩いてゆけたらと思っています。



前回書かせていただいた感情というのも、個人的には決して悪者ではないと思うのですが、波中にいるときは感情=自分自身と捉えてしまいがちなので、


必要以上に長引いたり、消耗したり、こじれてしまって、楽になること、委ねることが難しくなりがちです。ますます、目に見えることが嫌になって、苦しくなってしまいますね。


今回、感情の手放し方について書ききれなかったので、また次回にお伝えできたらと思います。