
p11
・・・学校教育を受けた期間が長ければ長いほど、自力飛翔能力は低下する。・・・
こどもというものは実に創造的である。たいていのこどもは労せずして詩人であり、小発明家である。ところが、学校で知識を与えるにつれ、散文的になり、人まねがうまくなる。・・・
学校だけの責任というより、家庭教育や家庭での親の関わり方も重要だと思うけどなぁ。でも、もっと高次元での話なのかも、高い水準の教育を受けている人には学校教育のあり方の比重は大きいのかな?
従業員という従順なグライダーは必要だと思うが、受け身のグライダーより、能動的なグライダーになれた方が人生楽しいし、社会もより良くなるような気がする。
p16~17
・・・熱心な学習者を迎えた教育機関、昔の塾や道場はどうしたか。
入門しても、すぐ教えるようなことはしない。むしろ、教えるのを拒む。・・・
なぜ教えてくれないのか、当然、不満をいだく。これが実は学習意欲を高める役をする。このそとをかつての教育者は心得ていた。あえて教え惜しみをする。
じらせておいてから、やっと教える。といって、すぐにすべてを教え込むのではない。本当のところはなかなか教えない。いかにも陰湿のようだが、結局、それが教わる側のためになる。それを経験で知っていた。
自分のためだったとは気付かず、教えてくれないことに腹を立てて申し訳なかった。おかげで本を読み漁っる事になった。
「人なかに行く」という課題に向き合ってる。私の宿題。
私はバカだから、こどもにすぐに答えを教えてしまっていた。バカだから「教え惜しみ」という技を持っていなかった。「じらしかた」などという技術を持っていなかった。
家庭教育にはこれらが詰まっていた。
頭だけで学ぶのではない。体で覚える。しかし、ことばではなかなか教えてもらえない。名人の師匠はその道の奥義をきわめているけども、はじめからそれを教えるようではその奥義はすぐに崩れてしまう。売家とと唐様で書く三代目、というのとどこか似ている。
どこまでも「教えない」のだなぁ。自らが学ばないでは意味がないということのようだ。自らが学ぶ姿勢があってはじめて身に付き、理解に繋がるものなのかも。