#こちらは、フランスに渡るマレーシアの空港で記載したもの。
今更だけど、アップします。 私が、いつも実家にいると感じる違和感について。
田舎に暮らすということ。
家族と暮らすということ。
私は、田舎で生まれ育ったので、
都会で育つ、ということを知らない。
大学生で大阪に出るまで、本当に何もない田舎で育った。
小学生の頃から、津山を出たいと思っていた。
自分には、すごく窮屈だったし、
何も面白みもない退屈な土地だった。
遠くの都会に何があるのかはわからなかったけれど、一瞬でも出たかった。
そこではお金がいることがなんとなくわかっていたから、
お金を稼げる手段として、それなりの職業、それなりの大学に行かなければならないだろう、
と思い込んでいた。
出てみて思ったことは、
田舎に帰るたびに、やっぱりちょっとしたしがらみが
私にはいっぱいでそれがすごく窮屈なのだ、最初の2-3日。
そして、1週間もいれば居心地がよすぎて出られなくなる。
なので、私は、地元に5日くらいしか滞在しない。
都会で、私は、出身地も学歴も、●●高校出身、●●の街出身、
●●さんの家の出身、長女、とか、そういうことと無縁になれる。
東京は、まだまだ閉鎖的だと思うけれど、
同和地区とか、そういう差別的な昔からある変な概念に無頓着で入られる。
(東京にもあるのかもしれないけれど、
私の根っこはそこに今はないため、わからない)
そういう、はたから見れば本当にどうでもいいことに、
がんじがらめになることが、子どもの頃から本当に嫌だった。
都会にいると、そういった根っこの部分に無頓着になれるから居心地がいい。
でも、それは、他の田舎にはあてはまらないのかもしれない。
自分のルーツがある家族のいるところに、
私はその苛立ちを感じるのかもしれない。
家族は悲しむかもしれないけれど、
実家に帰って、家族の一員として、外部と接触するとき、
私は、そのしがらみ、みたいなものを感じて不快になったり、
疲れることがあるのだ。
そして、遠く離れた知り合いとコンタクトをとるとほっとしたり、
早く東京に戻りたくなってしまうのだ。
でも、今回、妹が新しい家族をつくろうとしていることに接して、
家族とか、しがらみ、とかいろんなことを考えたのだ。
もともと、親族はたくさんいるけれど、
私の家族は核家族だ。
近くにいつも見つめてくれる祖父母や親戚がいるけれど、
構成されている家族は父母私、妹、弟。
とくに、父母は、それぞれ3人兄弟の末っ子ということもあり、
比較的自由だし、いつもそれぞれの家族からかわいがられている感じだ。
なので、はじめて、私たち家族が拡大しようとする場面に遭遇したのだ。
それは、幸せなことだけれど、
同時にわずらわしさを伴う。
喜びも多いと同時にお互いにそれなりの摩擦(いい意味も含め)やストレスを伴う。
とくに最初は。
※これは、当人たちの感想、というより、はたから見ていた私のわずらわしさなので、念のため。
そこで、今まで築いてきた、
祖父母たちの関係や、両親たちが気づいてきたまわりとの関係。
それこそ、祖父母はたくさんの家族を見つめてきた。
そして、ひとりひとりが、役割を演じることで、
すべてがまるく収まっていることを感じたのだ。
未熟な私はずっと気づかなかったけれど、
それにより、本当に今まで、守られていたんだな、と思った。
ずっとわずらわしいと感じていた、自分の根っこの部分は、
みんながそれぞれの役割をみんなのために演じることにより
私は後ろ指を指されることなく立っていられるし、
大事にしてもらえているんだな、と感じた。
祖父の役割、
祖母の役割、
長女の役割、
次女の役割、
三女の役割、
それぞれの夫としての役割、
それぞれの妻としての役割、
長男の嫁としての役割、
初孫としての役割、
女の子としての役割。
ずーっと自分が嫌だな、と思っていたものに、
こんなにも守られていたなんて思わなかったわ、
と思い、
私も、それなりの姉としての役割を演じたり、
娘としての役割を演じたり、
三姉妹の末っ子の長女しての役割を演じたり、してみようと思うわけである。
みんなが居心地よく、
私が居心地よくあるために。
今更だけど、アップします。 私が、いつも実家にいると感じる違和感について。
田舎に暮らすということ。
家族と暮らすということ。
私は、田舎で生まれ育ったので、
都会で育つ、ということを知らない。
大学生で大阪に出るまで、本当に何もない田舎で育った。
小学生の頃から、津山を出たいと思っていた。
自分には、すごく窮屈だったし、
何も面白みもない退屈な土地だった。
遠くの都会に何があるのかはわからなかったけれど、一瞬でも出たかった。
そこではお金がいることがなんとなくわかっていたから、
お金を稼げる手段として、それなりの職業、それなりの大学に行かなければならないだろう、
と思い込んでいた。
出てみて思ったことは、
田舎に帰るたびに、やっぱりちょっとしたしがらみが
私にはいっぱいでそれがすごく窮屈なのだ、最初の2-3日。
そして、1週間もいれば居心地がよすぎて出られなくなる。
なので、私は、地元に5日くらいしか滞在しない。
都会で、私は、出身地も学歴も、●●高校出身、●●の街出身、
●●さんの家の出身、長女、とか、そういうことと無縁になれる。
東京は、まだまだ閉鎖的だと思うけれど、
同和地区とか、そういう差別的な昔からある変な概念に無頓着で入られる。
(東京にもあるのかもしれないけれど、
私の根っこはそこに今はないため、わからない)
そういう、はたから見れば本当にどうでもいいことに、
がんじがらめになることが、子どもの頃から本当に嫌だった。
都会にいると、そういった根っこの部分に無頓着になれるから居心地がいい。
でも、それは、他の田舎にはあてはまらないのかもしれない。
自分のルーツがある家族のいるところに、
私はその苛立ちを感じるのかもしれない。
家族は悲しむかもしれないけれど、
実家に帰って、家族の一員として、外部と接触するとき、
私は、そのしがらみ、みたいなものを感じて不快になったり、
疲れることがあるのだ。
そして、遠く離れた知り合いとコンタクトをとるとほっとしたり、
早く東京に戻りたくなってしまうのだ。
でも、今回、妹が新しい家族をつくろうとしていることに接して、
家族とか、しがらみ、とかいろんなことを考えたのだ。
もともと、親族はたくさんいるけれど、
私の家族は核家族だ。
近くにいつも見つめてくれる祖父母や親戚がいるけれど、
構成されている家族は父母私、妹、弟。
とくに、父母は、それぞれ3人兄弟の末っ子ということもあり、
比較的自由だし、いつもそれぞれの家族からかわいがられている感じだ。
なので、はじめて、私たち家族が拡大しようとする場面に遭遇したのだ。
それは、幸せなことだけれど、
同時にわずらわしさを伴う。
喜びも多いと同時にお互いにそれなりの摩擦(いい意味も含め)やストレスを伴う。
とくに最初は。
※これは、当人たちの感想、というより、はたから見ていた私のわずらわしさなので、念のため。
そこで、今まで築いてきた、
祖父母たちの関係や、両親たちが気づいてきたまわりとの関係。
それこそ、祖父母はたくさんの家族を見つめてきた。
そして、ひとりひとりが、役割を演じることで、
すべてがまるく収まっていることを感じたのだ。
未熟な私はずっと気づかなかったけれど、
それにより、本当に今まで、守られていたんだな、と思った。
ずっとわずらわしいと感じていた、自分の根っこの部分は、
みんながそれぞれの役割をみんなのために演じることにより
私は後ろ指を指されることなく立っていられるし、
大事にしてもらえているんだな、と感じた。
祖父の役割、
祖母の役割、
長女の役割、
次女の役割、
三女の役割、
それぞれの夫としての役割、
それぞれの妻としての役割、
長男の嫁としての役割、
初孫としての役割、
女の子としての役割。
ずーっと自分が嫌だな、と思っていたものに、
こんなにも守られていたなんて思わなかったわ、
と思い、
私も、それなりの姉としての役割を演じたり、
娘としての役割を演じたり、
三姉妹の末っ子の長女しての役割を演じたり、してみようと思うわけである。
みんなが居心地よく、
私が居心地よくあるために。