「罪悪感は、そりゃ、あるよ。

でも、罪悪感が大きくなってしまったら、

本当に自分がやりたいと思うことが、

罪悪感に隠れて、わからなくなるよ。」



昨日、

父母からの期待がしんどいと彼に話すと、

返ってきた言葉。



前職を辞め、

この3年間ほど、

母の建てたNPOで働き、

母の働きざまを側で見てきた。



そして、父が定年してから、

父も同じくこのNPOで働き、

想いの違う父母の間に立って、

穏便に事が進むように配慮してきた。
(つもりだけど、実際は多分違う( ̄▽ ̄))



そして、いま、

わたしは、そこから離れようとしている。

それは父母にも伝えていて、

でも、秋頃かな~と曖昧にしか伝えてないから、
(そうだ、わたしがはっきり言ってないんじゃん)

時折、父母が、

「次、この仕事どうや」とか、

「いつか、戻ってきたいと思うことがあれば…」

と、口にする。それがしんどい。

それは、父母からの愛情なんだけど。




で、彼に話を聞いてもらううち、

出てきたわたしの中の想い。



「お母さん、

わたしが、NPOを手伝うって言ったせいで、

苦労ばっかりさせてごめん」


「お母さんにばかり、

しんどい思いをさせて、ごめん」

だった。



この件、もう、手放せたと思ってたのに。

まだまだ、握りしめていた。

………(இωஇ)驚愕。

と、ともに。

改めて思い知る、母の頑張り教の破壊力。





父母からの期待に、

応えたいと思う自分もいる。

応えなきゃ嫌われるとか、

自分に自信がないからとか、

そういうことは全然ない(断言)のに、

なんか強い、この想い。

なんでだろって考えたら、

単純に、それだけ、

わたしが、

両親を大好きだからなんだと思った。




驚くほど親バカで、

社会的に弱い人達の力になりたいと、

心から望む人達。

「人は優しい」のだと、

世界に対する基本的な信頼感を、

わたしに教えてくれた。



そんな両親が、

大好きで仕方なくて、

だからこそ、彼らを支えたい、

期待に応えたいと、思うんだろうなぁ。

そして、それができないと思うと、

その「好き」の分だけ、

罪悪感が大きくなる。



でも、「期待に応える」だけが、

両親への愛情の見せ方ではないんだよね、

きっと。



両親を大好きなわたしも、

だけど期待に応えられないわたしも、

両方、存在してていいんだ。




「好き」の気持ちと、

その人が期待する「行動」を、

イコールで考えなくていいんだ。



は~~。

こんなところまでは、彼に話してないけど。

でも、吐き出せたから、

落ち着いて考えられた。


「気分がしんどい」と、

そっけないわたしの態度に、

「どうしたん?」と歩み寄ってくれて、

話し出すまで、待ってくれる。


「あぁ、ひとりじゃないんだ」

そう思えることが

こんなに心を強くするなんて、

すっかり、ここ数年、忘れていた。

冷たい世界に勝手に移住してたな。

そろそろまた、引越そう。

驚くほど、温かくて優しい世界へ。