♦診療報酬制度という壁

2020年の診療報酬改定で、緩和ケア病棟入院料の施設基準の見直しが行われました。

今までよりもより多く、在宅医療に参画していくように・・・との厚生労働省の意図が見えるような気がしています。

 

 

これによって、今まで希望していても実現出来なかった在宅での暮らしや看取りを可能にするネットワークが強化されていく方向に進んでいけば・・・と思いながら、数年前の病棟の状況を振り返っています。

 


私の所属していたのは総合病院の中に位置づけられた緩和ケア病棟です。

人口120万人の地域に対して、その病床数はたったの22床。

余りにも少ないこの場所は、全ての人にとって安心できる「終の棲家」ではありませんでした。

 

 

薬物的アプローチ、放射線治療、胸水や腹水の除去など、その名の通り症状が緩和出来た時には、次の生活の場を検討していく必要も生じていたのです。

 

 

自宅での生活と緩和ケア病棟の入院を上手に使い分けて、ご自分の希望に沿った形で過ごせる方も居れば、様々な理由で自宅には戻れず、最後の数か月を病棟で過ごしたいという希望がありながらも、症状が和らぐと次の場所を探して出ていかなければならない人もいます。

 

 

最後の数か月を生きる場所を、探し続ける。

安心した暮らしとは真逆の事が行われていました。

 

 

これは2018年に行われた診療報酬制度の影響が大きかったのだと思います。

 

♦経営と理想との狭間で 

そこに書かれていたものは、次のような内容でした。

 

①直近1年間の入院日数の平均が30日未満で、入院までの待機日数が14日未満であること。もしくは、②直近1年間の在宅退院率(施設も含む)が15%以上であること

 

 

という基準があったのです。

平たく言うと、ベッドの回転率をあげなさい、他の施設や自宅に戻る人を増やしなさい・・・

と言う事です。

 

 

余りにも少ない緩和ケア病棟の病床を、社会的資源として平等にと考えたゆえの方策だったのでしょう。それは理屈としては分かるのですが、現場は置いてけぼりでした。

 

 

この緩和ケア病棟入院料の基準を満たす事で、病院の収益は1000万円~2000万程の差が生まれていたのです。経営上、これは看過できない額だったと思います。

 

 

入院日数が伸びていくと、「どなたに退院の声を掛けるべきか」という会議が始まります。

 

 

「お蔭様で、本当に安心して過ごせています」と、にっこり笑って穏やかに過ごせている方に、そろそろここでは無い場所で・・・と口火を切るのは仕方の無い事とはいえ、互いに痛みを伴うものでした。

 

 

やっと辿り着いた場所として緩和ケア病棟に入院しようとする方達に、「落ち着いたらご退院して頂く事があるとご了承下さい」という念書に同意のサインを得ることから始まる関わり。

決して緩和医療に精通した在宅医が多いとは言えない地域性の中で、この仕組みは本当に辛いものがありました。

 

 

ご家族は入院後からソーシャルワーカーとの面談が始まり、「次の施設」への準備が始まります。やっと決まったと思った矢先にご本人の容態が変化し、転院するに至らずにそのまま・・・という事が繰り返される中で、それまでの労力による心身の消耗感と、もう移動しなくて良いと言う安堵感の織り交ざった複雑な空気が流れる事も珍しくはありませんでした。

 

 

ホスピスの精神が医療にとりこまれ、緩和ケア病棟が単なるがん病棟に変容してしまった。

 

 

そんな思いが、診療報酬改定後の病棟には静かに流れていた事を思い出されます。

 

♦死だけでは無い別れの形

人生の最後に、生きる場所を転々としていく。

決して長く残されてはいないその時間の中を。

 

 

症状緩和と安心した暮らし。

緩和ケア病棟がその二つの環境を提供出来た時点で、次の方へとその席を譲らなくてはならないという状況には、理想と現実の大きな差が存在していました。

 

 

がんを患った80代の認知症の妻への思いを語るご主人の言葉が忘れられません。



「さっきね、そろそろ次の場所を見つけましょうって言われたんです。

でもね、もう残された時間がそう長くないのなら、60年連れ添った妻と自宅で一緒に過ごしたいんです。

でも、子供達がみんな反対するんですよ。家はダメだって。

年寄りの僕には無理だって。父さんには責任とれないだろうって。

 

出来たら二人一緒に暮らせる施設に入りたいけど。僕は元気で、妻はがんだから・・・。

僕ががんなら、妻と一緒に最後まで同じ場所に一緒に居られたのかな。

こうやって離れ離れになって生きていく事になるなんてね。

僕はその心の準備をしてこなかった。仕方が無い、仕方が無いことなんだよね…。」


別れは死という形だけでは無いのだと、その時に痛切に想いました。
 

 

それでも、理想の終の棲家の形を作ろうとしている方達が、この世界には確かにいます。

嘆いて立ち止まってしまうのではなく、無いのならば作り出そう、とする人達がいます。

新しい仕組みを、生み出そうとしている人達が居ます。

 

私も、微力ではありますが、伝えることから少しずつ・・・今の自分に出来る事を。

 

誰にでも訪れる人生の最終段階の生き方を、限られた人だけではなくみんなで考えていけたのならば、一歩ずつでも、少しずつでも変えていくことは出来るのではないでしょうか。

思い描く事が出来ればそれはきっと、いつか形になる日が来ると、私はそう信じています。