COVID-19で当たり前のことが当たり前で無くなくなってしまいました。想定外の現実を生きる今だからこそ知っていただきたい知恵があります。

 

9月28日は、ユダヤにとって最も大切な日、Yom Kippurでした。Yom Kippurは「つぐないの日」です。前日の日暮れからこの日の日暮れまで、最低25時間水も飲まない絶食をし、入浴、洗髪などもしないで白装束で神様に祈る風習があります。

 

もちろん、ユダヤ教はとても論理的な宗教なので、乳幼児や妊婦、病人や高齢者などの絶食によって健康を害する人々は絶食しないことが奨励されます。つまり、どの程度の我慢をするかは本人次第。しなくても誰も文句は言わないし、やったからと言って自慢にもなりません。

 

現代人にとって食べたり飲んだりする事は息をするような当たり前のことです。しかし人類の歴史では食べ物があることの方がまれで、食べられないことが当たり前でした。食べずに働き、学び、祈ったのです。ユダヤ人は年に一度食と水を断つことで、自分がいかに恵まれているかを認識します。

 

祈りでは、幾度となく犯した罪を思い返して謝罪して許しを乞う機会があります。「ザマアミロ」、「いいきみだ」、「自業自得」といった人の不幸を喜ぶような気持ち、妬み、恨み、軽蔑、お金や物への執着などの負の感情は全部罪です。仕事を先延ばしにする、人に押し付ける、できないことを人のせいにする、言い訳をするなどの怠惰な態度も罪です。人の話を上の空で聞く、親や家族をないがしろにする、思ってもいないお世辞を言うことも罪。高価なものを見せびらかしたり、自慢話をしたりすることも罪。助けが必要な人を助けないのも、助けが必要な人に気づかないのも罪。食べすぎ、飲み過ぎ、噂話、陰口、無駄使い、自分自身を大切にしないことも罪です。

 

ユダヤ教では人間の体は神のものという考えがあります。ですから、他人を傷つけることや助けないことは罪。他殺と同様に自殺は大罪です。

 

またこの日には泣き崩れることも許されます。神様との対話なので思いっきり自分をさらけ出して、辛い気持ちや苦しみを出し切ります。

 

ご存知の方も多いと思いますが、ユダヤの歴史は差別と虐殺の連続でした。近年でも墓が荒らされたり、教会が襲撃されたりしますが、ユダヤだからといって投獄されたり、入学を拒絶されたりする事はありません。でも私の義父の時代にはそれが当たり前でした。

 

私の義父が医学部に行った頃は、アイビーリーグ(ハーバードなどのアメリカ東海岸の有名大学)の医学部はユダヤ人の入学者数を制限し、彼が入学したジョンホプキンス大学では「1学年3人まで」だったそうです。その後この制度は撤廃され、彼の弟(ダンナの叔父)が入学した年は、同級生のほとんどはユダヤ人だったとそうです。

 

わたしはこの話を聞いて、「差別だ!」と憤慨したのですが彼らは平然とこう言ったのです。「差別ではないんだ。医学界はユダヤ人が急増することを恐れただけだったんだ」と。そしてこれがユダヤ人の一般的な考え方なのです。

 

怒ったり、文句を言ったりして時間を無駄にするのではなく、物事をいろいろな角度で考え、状況を正しく捉えて柔軟に行動するように、幼い頃から教えられているのです。

 

そのためにYom Kippurは重要な役割を果たします。少なくても年に一度、自我を放棄して神と向き合い、涙を流し、犯した罪を悔やみ、許しを乞うことで学びます。犯した罪を忘れるのではなく、許してもらうことで自分を否定することなく肯定的に生きることができるのです。

 

自分を大切にして前に向かって進むユダヤの知恵、参考にしていただければ幸いです。