お久しぶりです。

 

満開の桜は

実家で見ました。

 

 

そして、

やっと、、、

やっと、、

 

実家から帰ってきました。

 

帰宅直後の私の顔は

別人のように目が小さくなっていて

一晩たった頃、

やっと目が大きくなった、

 

と彼が伝えてくれました。

 

どうやら

見たくないものを目の前にすると

目が小さくなるのですね。

 

 

私は、実の母があまりに苦手で

ずっと距離をとってきましたが

一週間、感情を無にして過ごしてきました。

 

母も70歳になり、少しおとなしくなっていて、

というか今は叔父に不満の矛先が向いていて、

私との大きな衝突はなく済みました。

 

でも、重い。

 

何がそんなに重いのか、

帰省の間、ずっと考えていました。

 

母といて嫌な気分になる出来事は無数にありすぎますが、

一体、何が本質か知りたかったのです。

 

その答えのひとつは

なくなった祖母の供養をしながらの

思出話で

それを見つけました。

 

それは意外にも

父と母がひどく不仲であったことや

暴力のことではありませんでした。

 

 

帰ってきたー!好きな人と食べるご飯はやっぱり美味しい。

 

 

 

 

それは

父の話になったときに明確になりました。

 

父が、当日勤めていた会社の社長から

子会社をしないか、

という話になったとき

雇われている方がいい、と判断したことを

母が悔やんでいるという話しでした。

 

自分のストレスも対処できないあなたに、

ストレスの多い経営者の妻が

務まるわけなかろうが、

と静かに思いました。

 

母が父の年収をときどき揶揄したのを思い出しました。

 

母の愚痴を聞くたび

うちは随分、貧乏なのかもしれない、と子供心に心配したものです。

 

 

その母がこんどは私に言うのです。

 

お前が会社をするなら喜んで出資する、

 

と。

 

その瞬間、最大限の、イラっ、とした感情がわききました。

 

そしてわかったのです。

 

母は自分で挑戦することなしに

人に期待ばっかりして

自分はその応援をする、

という安全気楽で、

優越感をもてる立場になりたがっている

それが不愉快だったのだ、と。

 

 

母の期待には絶対に答えたくないし

応援されたくもない。

 

子供時代、過剰なほど習い事をさせてもらいましたが

(させられましたが笑)

母はお前のために、なんでも習わせてやる、

と。

そして

意に沿うときだけ母の顔になる。

自分では何にもしない。

 

むしろ稼ぎの悪い夫を持ってしまった

可哀想な母、

みたいな口ぶり。

 

過剰な期待は

愛などではなく

母の逃げとズルさであって

 

だから彼女の存在が

ひたすらに重かったのです。

 

 
自分の食べたいものをつくる幸せよ。

 

だから母からは

いつも不平と愚痴と泣き言を言っていたのか。

 

従姉のめでたい結婚式ですら

不平と不満と愚痴、泣き言を横に座る親族にぶちまける母を見て

私は、この人を他人だと思うことにしたのを思い出しました。

 

自分はいつも可哀想なのだと主張する母、

そして父に大事にされない母を反面教師として

いつしか私は

 

自分で自分を幸せにできない女は

ゴミ女である、

 

他人に期待する女は

ゴミ女である、

 

男に大事にされないまま甘んじる女も

ゴミ女である、

 

自らを幸せにせよ、

女はそれだけで多分良いのでないか?

 

 

言葉が荒くてすみません。

でも、それを信条というか

確かめるような生き方をするようになりました。

 

ここまで書いてきて

この私の生き方は

母の影響なのだな、と実感し

なんだか膝から崩れ落ちそうな気分ですが

もう少し続けます。

 

上記のことが

母との会話のなかでひらめいたことで

私はやっと、母に

 

人に期待してばっかりやな。

 

なんで自分でやらんの?

いい加減、自分で動いたら?

 

それが言えた。

 

喧嘩にならないよう

必要最低限、

ずっと根に持ってたことをベストタイミングで言えた。

 

私は言えた。

 

やっと言葉にできた!

 

あーっ、スッキリした!!!

 

 

これを、最後の夜に言えたあと

私は一人、寝床で泣けてきました、

もちろん嬉しさで。

 

 

人生にはこういう、

何年もの鬱憤を解消する

奇跡のタイミングがあるのだな、

 

それは見事に用意されてる、

 

そんなことを思いました。