帰宅いたしましたっビックリマーク


入院も手術も初の体験で、ビビりまくり、精神的にも辛くて、おかしくなりそうでした。
でも、医師や看護士さんたちの懸命な介護のおかげで、私でもなんとか乗り越える事ができました。


子供やお年寄りに話すような看護士さんたちの優しい話し方は、病人にはとってありがたいものですね。安心できました。

ちょっとして欲しい事があっても、日本人らしく「ナースコールする程の急用では無いから、後で来てくれた時に頼もう」とか、「心配な事があるけど、聞こうかどうしようか」という精神は捨て、して欲しい事はすぐに言い、聞きたい事は医師を呼び出しても聞きました。

こういう所は、海外に出て良かった点ではあります。(小さい事かも知れませんが)
ガーゼや絆創膏の交換と、説明が足りないと感じた際の2回、コールをさせて頂きました。



家からは少しだけ遠い病院でしたが、口コミなどで探してでも行った甲斐はあった、と思えます。
同じ日に同じ手術をした人の中でも、一番回復も早かったみたいで、翌日朝からすぐに歩く練習も出来ました。


毎日4時間ほど見舞いに来てくれ、洗濯物を持ち帰り、夜に洗濯して翌日また新しいタオルや服を持ってきてくれた香港人夫。出来すぎじゃないのOK
彼は、この1週間でかなり日焼けしました 笑

「午後2時~8時の長い面会時間なのに、全然人がいないじゃん!」と驚いていました。
「日本人はよほどじゃないと、家族親族全員毎日は見舞いに来ないから・・」と言うと、「ふう・・・ん」と納得しない様子。

日本はまさに今、孤独なご老人や虐待のニュースばかりで、家族を大切にる香港や中国の人には信じられない話でしょう。


厄年の今年、身にふりかかる災難ばかりですが、それでも入院の経験も自分にとってはプラスになったと思います。今までに気づけなかった事を学びました。

お医者さん、看護士さん、両親、香港人夫、友人、ブログを読んでくださってる方、ありがとう星
準備した英文の履歴書や職務経歴書、自己紹介文を夫にチェックしてもらい、いざ面接日。私は日本で働いていたアパレルブランドの一番お気に入りの黒パンツスーツとハイヒールで行った。

約束場所はホテルロビーかと思ってたら、裏の従業員通路口。
保安のおじさんに面接に来た事を告げると、しばらくして若い女の子が現れ、付いてくるように言われた。

従業員入り口からすぐ、地下に向かってらせん状にずっと地下まで階段が続いていて、豪華絢爛なホテルからは想像もできないくらい、殺風景な階段と通路。
壁は新旧のカビが覆っていた。きっと湿気がこもって通気が悪い通路口にカビが生えるのだろう・・。

先を歩く彼女の後ろ姿から推定して・・・

女の子はぽっちゃり、まだ20歳前後、トレイニーか新人のようで、香港人女子に多いブリブリの服装だった。
首が詰まっていてフリルが付いているトップスに、ひざ下丈の広がったスカート、太いローヒール。
センスが・・・お姫様。

そうこうしているうちに地下の重い扉を引くと、あわただしくいろんな姿の従業員が往来している階へ出た。
コックさんやフロント、ベルボーイ、スーツ姿の人・・・。

みんな表での緊張した表情では無く、いつものボーっとした顔。休憩中か、食事時間か。


そのままお姫様に付いていくと、HR(人事課)に到着。
しばらく待たせられる事・・・15分~20分。

今度は少し年上の赤いメガネの女性に呼ばれた。
メガネは、真面目そうな20代後半女性でキチンとスーツを着ていた。

別室に通され、面接が始まった。

メガネ「何語ができますか?」(英語)
関西妻「英語と広東語が少し。あとは日本語です」と英語で答えた。

メガネ「じゃあ、英語からはじめましょうか。自己紹介をしてください」

5分程度話して・・

メガネ「じゃあ、今度は広東語で少し話しましょう。どこで習ったの??」

これも5~10分程度話して・・

メガネ「私は日本語できないから、日本語の面接はやめとくわ!」

笑う所だったみたいだけど、真面目そうな彼女がそんな事を言うとは思わなかったので、えへへ~と中途半端な笑いをしてしまった。

メガネ「じゃあ人事のマネージャーを呼んでくるから、待っててね」

マネージャーの面接までもまた15分ほど待たされた。
「関西妻さん、こちらへ」

通されたお部屋はHRマネージャーの部屋。
狭いが個室を与えられている。机の上は書類だらけ。
マネージャーは50代女性で英語も流暢。高級そうなスーツ&ヒールを着ていて、人目で一般の香港人では無い事が見て取れる。

香港人は有る程度の金持ちレベルの人でも無頓着というか、普通の服装も多いけど、彼女はヘアスタイルもショートで軽くパーマが掛かっていて手入れが完璧に行き届いていた。
アクセサリーも翡翠とか純金ではなく、大きなパールのネックレス&リング。

香港以外の場所で生活した事がありますね?

商売柄、その人の持ち物や生活、嗜好を見てしまうのでした。
販売員は、靴や時計でそのお客さんの懐具合や嗜好を見るもんです。


彼女も私の英語・広東語から大した事の無いキャリアが分かるのでしょう。
紹介や経歴を話した後に、一番重要な給料の話になった。

マネージャー「(上目遣いで)希望は?」
関西妻「ホテルの経験も無いので・・前職くらいあれば・・」

しまった叫び

転職の度にキャリアと給料アップアップが常識の香港で謙遜し、前職の給料もらえれば・・とか言っちゃった。

しかもホテルの経験ないので~とか自分で言っちゃった。


香港では「こんにちは」しか話せなくても「私は日本語ができます!」と堂々と言ってのけるすごい人も多いと聞くのに。。。

マネージャーは、それまでちょっと浮かないような顔をしてたのに、前職と同じでよいと分かると表情が一気に明るくなった。
日本人=希少=給料高いという構図でも出来上がっていたのでしょうか。

彼女は何かの書類にハンコをポン!と押し、
「今日はこれで終わりです。ありがとうございました音譜」と言った。

ほっとして帰途に着くと途中で携帯が鳴った。

「ホテルの人事ですが。明日もう一度来れますか??」
2次面接の呼び出しでした。 
また過去の話に戻ります。2007年ごろ。

バイトから昇格してマネージャーにまでなれたのに、買収によってあっさりフリーター(ただの主婦?)に舞い戻ってしまってから2ヶ月。

またしてもコネで仕事の話が舞い込んで来たのです。

この頃私は専業主婦を満喫しつつも、夫家族の「関西妻、いつになったら就活するんや?」という露骨な視線に耐え切れず、何件か面接を受けてはいた。

この頃の私のターゲットは

①航空または空港②ホテル業界。

日本だと、それ専門の学校などに通って、運よく入れる業界なのかも知れない。

でも、ここは香港。
日本人売り手市場。絶対に求人はあるはず。(と、勝手に思い込んでいた)

航空会社2社受けて、1社落ち、1社は給料&条件が折り合わず。。。
空港は2社受けて、1社落ち、1社は同じく給料&条件が合わず。
航空業界はなかなかシビアすぎる給料で、みんな副業してるらしかった。そんなのムリ!

やっぱり英語にペラペ~ラのスキルと自信がないからか・・・と落ち込んでいた頃。

夫の友人が「奥さん、ホテルの仕事に興味ないの?」と話を持ちかけてきてくれた。


ホテルドアあるある~~~ありま~すパー

英語と中国語はイマイチだが、接客サービスと笑顔には自信がある。
適当な広東語と丁寧な日本語もできる。(夫とは標準語で話すので、普段、関西弁は出ません)
(実際は、香港で関西圏の方とは関西弁で話すと大絶賛&娘のように大切にしてもらえるのでしたリボン


早速、英語のレジュメ(履歴書)と自己紹介文を用意して、ホテルの面接に走る人
こういう事もあろうかと、卒業証明書と就職証明書のオリジナルも日本から持って行っていた。


思えば、この就職が①大きなストレスと②これからかかる病気と③香港を嫌いになる(日本に帰国する)、大きな、大きな原因となっていくのでした。