無事に弾丸国際結婚を済まし(出会ってから結婚まで1年経ってなかった)、日本語学校でアルバイトをしながら語学学校で北京語を学んでいた私。
お金はないけど、何もかも日本で思い描いていた生活。
結婚したら、もっと何かが劇的に変わるのかと思いきや、なんだかママゴトかお嫁さんごっこみたいな生活なのねぇ。留学経験がある香港人夫に、節約術を教えてもらいながら、二人で買い物に行き、料理をし、一緒に掃除をして。
半年も過ぎたら、北京語は中級コースを半分終え、日本語の教師も慣れてきてしまった。
生徒たちは、働きながら日本語学校に夜通う。 みんな高卒か専門卒みたいだったから、お給料も高くはないはず。それでも、日本への憧れ、日本文化が好き、日本のアイドルのコンサートに行きたい!という熱意があった。
それなのに、私は逆に慣れてしまったのです。
時間帯も20時~22時で、新婚の新米主婦を楽しみたい私には、負担になってたのかも。
そう思っていた矢先、あるお話が迷い込んできた。
それは香港人夫の兄がやってる会社の関係会社で、日本人のスタッフを探しているというもの。
アルバイトでいいからと。
昼間の仕事に魅力を感じた私は、即OKした。
数日後、日本語学校の先生に事情を話し、次の先生の手配をお願いした。もちろん、お世話になった先生、生徒、学校に迷惑を掛けたくないので、できるだけ私も続けますので・・・と。
面接の日。
香港人夫の兄と地下鉄の駅で待ち合わせた。
前にも書いたけど、兄は私にはあまり興味がない人なので、会話ほぼ無し。
ちなみに兄は、ファッショにも興味がなさそうで、当時~現在もリーバイスのジーンズにナイキのナイロンパーカ&スニーカーを愛用している人。いつも手ぶらで現れる。不思議な人なのです。
ナイトスポットとして有名な街、昼間は普通のサラリーマンが多いけど、フィリピンパブやタイのレストラン、バーが軒を連ねている。飲まない私は初めて足を踏み入れた。
とあるビルの12階。フロアーには2件の会社が入ってた。その一つのチャイムを鳴らす。
会社名も掲げていない怪しい扉が開く。
中から出てきたのは、でっかい香港人の女性!
身長も大きいが、横幅もかなり大きい。めがねをかけていて、機嫌の悪そうな、いかにも香港人女性。
彼女と義兄は、いくつか広東語を交わし、中へ通してくれた。
笑いながら会釈する私に香港人女性は、口元だけで笑い返し、背の低い私に冷たい目線を下ろした。
彼女はその風貌からは想像もできない美しい英語名を名乗った。(大変失礼やね、私)
「Hello! Nice to meet you 」
びっくり今から私が面接するのは、白人さんかよ!
ポロシャツにスニーカーというカジュアルウエアに身を包む、魔女のような大きな鼻が印象的な中年紳士。
義兄と白人さんの英会話が進む。あれ?義兄ペラペラやん。
・・・英語で面接?義兄よ・・・言ってくださいよ・・・!
私は元々英語が好きで、英語科に通っていた学歴もあるけど・・それは日本での話しであって、実際に白人さんと対面で、しかもいきなり面接するなんて思っておらず・・・緊張してしまった。
今思えば、中学までの英語力と単語力があれば、簡単な会話は成立するのだし、あとは目を見て、キチンとコミュニケーションをとって、相手の云わんとしている事を聞き取れればよいのだ。
白人さん=ボスは、会社の説明、なぜ日本人を雇いたいのか、仕事内容を、ゆっくり簡単に説明してくれた。私は全て理解したところで、ボス&義兄は、私の時給について話し始めた。
義兄「関西妻、いくら欲しいの?」
関西妻「えっ、えーと・・いくらでもいいです・・・ごにょごにょ」←ダメな見本、日本人丸出し。
義兄「100ドルくらいにしておく?どう?」
ボス「関西妻、もしだけど、よかったら、今日今から働いて帰るかい?早く帰りたければ途中で帰ってもいいよ。シフトも全て好きにしていいんだよ。そうだ、毎日来てくれるんだったら、時給じゃなくて、月給にしようか?」
関西妻「あ、はい。毎日来れます、でも、シフトでもいいです・・よ・・」←まだ意見なし。
義兄「じゃあ、月給にしたら?じゃあとりあえず、13000ドルにしようか。じゃね、僕は帰るから」
関西妻「わかった。ありがとうございました。」
義兄はサッサと帰ってしまった
取り残された私は、大魔神のような香港人女性(経理担当だった)に引き渡されたコワイー
それから昼はこの会社でバイトし、夜は週2,3回日本語教師のバイトをしてたのです。