今日はパパの命日。
あれから1年が経った。
先月に一周忌と納骨を終え、親族絡みの仕事は終わり。
みなさんに参加してもらい、法要を行うというのは大変大事なことで、集まって頂いたのはありがたいことだけど、何だかパパを偲ぶというよりは段取りを全うしなければというようなカンジで私的には淡々と事を運ぶことしかできなかった。
お兄ちゃんやママは準備で大変だったと思う。
目的が何だかわからなくなっていた気もしなくなかった。
気付けば1年経ってた。
日々の生活に必死で今日という日を忘れていた。
自分がパパの死から目を背けていたのもあるかもしれないけど…
1年前の今日。パパはいなくなった。
最後の姿、やせ細ったあの身体、苦しそうな最期は今だに鮮明に蘇ってくる。
毎日何かとママとパパの話をする。
毎日思い出して悲しくなるのを抑えてる。
でも、本当は全て吐き出したくて、泣き叫びたくて、パパを返してと思わずにはいられない。
人の命は平等で、誰がどうとか裁くことは私にはできないけど、のうのうと悪いことをしながら生き続けている人を見る度に、「何故あの人ではなくパパなのか」と思ってしまう。
いつも傍で見守ってくれているはずと思いながらも、近くにその姿はない現実はそんな思いをも時に掻き消し、諦めさせる。
でもきっとパパはいるよーって思ったり。
その繰り返し。
いるなら出てきてみせてよと、
いるなら声をかけてよと、
せめて夢に出てきてよという願いさえ叶わない。
パパはこの1年どこで何をしていたのか。
そしてこれから先どこで何をするのか。
わからない。
ただ、この世にいないという事実だけが冷たく残る。
忘れられないあの姿、あの最期。
それはいつまで経っても私を、私たちを悲しませる。
ただただ生活しているだけで、前になんて進めてない。
人の死とは、大事な人の死とはそういうものなんだ。
いつでも帰ってきて良いのに帰ってこないパパ。
もう待つのは嫌だよ。
そんなこと思っても帰ってきてくれない。
いつの日か、また会える日が来るのだろうか。
一緒に暮らせる時が来るのだろうか。
巡り巡る思いは消えぬまま。
あれから1年が経った。
先月に一周忌と納骨を終え、親族絡みの仕事は終わり。
みなさんに参加してもらい、法要を行うというのは大変大事なことで、集まって頂いたのはありがたいことだけど、何だかパパを偲ぶというよりは段取りを全うしなければというようなカンジで私的には淡々と事を運ぶことしかできなかった。
お兄ちゃんやママは準備で大変だったと思う。
目的が何だかわからなくなっていた気もしなくなかった。
気付けば1年経ってた。
日々の生活に必死で今日という日を忘れていた。
自分がパパの死から目を背けていたのもあるかもしれないけど…
1年前の今日。パパはいなくなった。
最後の姿、やせ細ったあの身体、苦しそうな最期は今だに鮮明に蘇ってくる。
毎日何かとママとパパの話をする。
毎日思い出して悲しくなるのを抑えてる。
でも、本当は全て吐き出したくて、泣き叫びたくて、パパを返してと思わずにはいられない。
人の命は平等で、誰がどうとか裁くことは私にはできないけど、のうのうと悪いことをしながら生き続けている人を見る度に、「何故あの人ではなくパパなのか」と思ってしまう。
いつも傍で見守ってくれているはずと思いながらも、近くにその姿はない現実はそんな思いをも時に掻き消し、諦めさせる。
でもきっとパパはいるよーって思ったり。
その繰り返し。
いるなら出てきてみせてよと、
いるなら声をかけてよと、
せめて夢に出てきてよという願いさえ叶わない。
パパはこの1年どこで何をしていたのか。
そしてこれから先どこで何をするのか。
わからない。
ただ、この世にいないという事実だけが冷たく残る。
忘れられないあの姿、あの最期。
それはいつまで経っても私を、私たちを悲しませる。
ただただ生活しているだけで、前になんて進めてない。
人の死とは、大事な人の死とはそういうものなんだ。
いつでも帰ってきて良いのに帰ってこないパパ。
もう待つのは嫌だよ。
そんなこと思っても帰ってきてくれない。
いつの日か、また会える日が来るのだろうか。
一緒に暮らせる時が来るのだろうか。
巡り巡る思いは消えぬまま。