パパ、家に帰ってこれたよ。これからはもうゆっくり休んでね。

パパに手紙を書いて一緒に送ったけど、もう読みましたか?
いくら書いてもパパとの思い出が溢れてきて止まらないよ。
だからメールを送ります。


パパは私の自慢でした。
背が高くて細くてかっこよくて、几帳面で何でもきっちりしてて、物知りで知らないことなんてなくて、私の中ではできないことなんてない完璧な人やのよ。


私の好きになる人も細くて背の高い人ばっかりやったな…それに気づく度に私ってファザコンやなって何度も思ったり。



ママから聞いた話では私が生まれた時は大雪で、急いで車できたモンやから車を田んぼにハマらせて大変やったんでしょ?

パパでもそんなことあるんやーって、聞いた時はびっくりして笑ってしまったよ。


でも小さい時からパパはいなかった。単身赴任で東京にいたから毎週金曜の深夜から日曜新幹線の最終までの時間がパパと過ごす唯一の時間やった。


パパはその短い時間の中でいっぱい遊んでくれたね。
今思えばすっごく疲れてたやろうに、私とお兄ちゃんを連れて色んなとこにも行ってくれた。

買い物行った時はりかちゃんのシンデレラ城だけじゃなくてお姫様りかちゃんも買ってくれて、正直幼いながらも私はすっごく気を遣ってました。

生駒の遊園地行った時私のワガママで3人乗りのウォータースライダー乗ったの覚えてる?
でもやっぱり乗るのが怖くて最後尾に行ったものの、一番前のパパはびしょ濡れになって…面白かったけど男前のパパが濡れて困ってるの見てめっちゃ罪悪感感じてました。あの時は素直に言えなかったけどごめんね。

幼稚園の時は父兄参観にわざわざ来てくれて嬉しかった。でもパパと2人で過ごすのに慣れてなかったし、自分で作ったアクセサリーで変身するなんてのはむっちゃ恥ずかしくてドキドキしてた。


海も万博公園もおばあちゃん家も花博もとにかくいろんなトコへ一緒に連れてってくれた。

時には泣いてわめいてワガママ言ってパパ困らせたね。
ママは「あかん!我慢し!」って言ってもパパは泣いてたら許してくれたり私に甘ちゃんやったでしょ?花博の時やって風車ついてるカチューシャ買ってくれたりさ。


パパが東京に帰る時もいっぱい泣いて離れるのが嫌やった。あんまり長く一緒にいれない分うまくコミュニケーションがとれなくて、いっつも素直になれない付き合いたての中学生みたいなカンジで自分でも戸惑ってはいたんやけどね…


でもそれでもパパのことが大好きで家族4人で出掛けても私はいっつもパパの隣がよかったんよ。

それに甘えて甘えて今まできてしまった。



転勤になって一緒に住んでからはいきなり近くになったからどう接して良いかわかんなかったけど嬉しかったんよ。


私が学校の友達とウマくいかなくて悩んでた時も寝るまでずっと手を握ってくれて。

阪神大震災の日の朝なんて地震直後真っ先に私の無事を確認しにきてくれた。

あの日地震があったって神戸の会社に向かったパパが帰って来なくてめちゃめちゃ不安やったのよ。



そのあとは思春期も相俟ってパパとの関係がギクシャクしだしたね。

反抗もしまくったし、パパが帰ってくると部屋に篭ってみたりパパが寝たのを見計らって帰ってきたりとにかくパパを避けてた。


パパはそんな私に腹が立ってとにかく殴る蹴る引きずり回すってカンジで急に手をあげるようになった。
すごく神経質にもなってた。


真冬の夜に家の外にも出されたし、竹刀でも殴られた。あばらにもヒビ入れられたしまさに「虐待」って感じやった。


あの頃私は自分の言動は棚にあげて、以前の気持ちとは一転、とにかくパパのこと大嫌いやった。


復讐しよう復讐しようって心の中でずっと唱えてきた。


絶対に訴えてやるって思ったし、大学生になったら家を出て、お金だけもらって生きていこうって。

ヒドイ子供やな。
最低やわ。


あの頃はとにかくパパとの関係は最悪やった。
パパから逃げるように逆らうように生きて、そのために嘘もいっぱい着いたしむっちゃ裏切ってきた。


でもパパはこの頃のこと後悔してたんでしょ?
私が家出てからママに言ってたんでしょ?
「ツライ思いさせた」って。

私は当時はわかんなかったけど家出て働くようになってからはすっごい悪いことしたなーって思ったんよ。


パパも家に帰る度に私のこと追いかけるように話かけてきてくれて、それに必死で応えようと思ってた。


でも仕事しだしてからはやっぱりサービス業なのもあるしなかなか休みも取れなくてたまの休みがあってもいつでも家には帰れるわーって思って先延ばしにし続けてしまってた。



パパは盆と正月位はゆっくり過ごしたかったのにね…

ごめんね。本当にごめんね。


パパは京都までよく送ってくれたりしたのに、私のために尽くしてくれたのに、私は結局何にもしてあげらんなかったよ。



孝行したい時に親はなしってパパもよく言ってたけど、本当にそうやね。

いまさらながらそう感じる。


パパはずっと永遠にいると思ってたのにな…
悔しい。



何か色々遠回りしたけど、やっぱり私はパパが大好きです。


誰よりも大好きです。


誰よりもパパは私を愛してくれた。守ってくれた。



それを再確認してしまったら、パパっ子炸裂で自分でも制御が効かないよ。



恥ずかしいことじゃないからこのままでいるけど。

世界一のファザコン目指します。
パパが目を背けたくなる位、パパを愛しつづけるよ。


そして今回のことでパパとママの素敵な夫婦愛を感じることもできた。
気づけてなかった絆を見ることができた。


だから私はパパとママみたいな夫婦を目指すね。


パパは絶対に見守っててね。


そっちは寒くないですか?パパの会いたかった人はいますか?


いつでも帰ってきてね。


待ってるからね。



パパ、色んなこと教えてくれてありがとう。

いっぱい助けてくれてありがとう。

パパの子にしてくれてありがとう。


いっぱいいっぱいありがとう。
11日の朝、健康診断が京都であるから実家を発ってきた。


朦朧とする意識の中、パパのことを考えながら病院へ行って流れ作業の健診に身を任せてきた。


12時40分すべての検査が終わってみると、ママから電話が何回もあった。



「さっき病院から連絡があって今日もパパ点滴外してカニュウレイ(器官切開してるため、呼吸する管)も外して青い顔して歩き回ってたんやって」

って言われた。


10日の日にお医者さんから「かなり苦しんでて寝てないようやし、意識混濁させて痛みから逃れさせてあげたら」

って薦められた。



ママはまたその話をしてきた。
嫌やって答えた。


だってそれをすると、もうパパは寝たきりになっちゃうし、喋ることもこちらの顔を認識することもできなくなってしまうのを容易に想像できたから。


でもあまりにもパパの容態がひどくて、次の日12日の朝10時にその薬を投与するって決まったって夕方位に連絡がきた。



涙が止まらなかった。パパと最後に話したのは10日。

帰り際にギュッと私の手を握ってしんどいのに「身体大事に。仕事頑張れ」って紙に書いてくれた。



帰りたくなかったけど、いつもパパは私に会った後元気になってたから、今回もそうやって信じて帰ってきた。



やけど、状況は一変。



12日はセミナーをやることも決まってたし、今週は色んなことがあるから仕事いかなきゃって思ってたけど、パパのことが頭から離れなくて休ませてもらって帰ることにした。


すーが車で送るって言ってくれてすぐ用意して出発した。


家に着くとお兄ちゃんも横浜から帰ってきてた。



ゴハン食べてお風呂入ってたらお兄ちゃんから「病院行くし早く出て!」って言われた。


びっくりしながらもそのまま車に乗り込み病院へ。


気が気じゃなかった。


パパの容態が急変したとママから連絡があったらしかった。



病院へ行って急いで病室へ向かった。


昨日も来た病室。
パパとバイバイしたとこ。

パパと過ごした病室。


でもパパは昨日までのパパじゃなかった。

瞳孔は開いて白目を剥いて苦しそうに呼吸してた。


意識がなくて呼び掛けても返事してくれなくて、それでも何度も何度もパパを呼んだ。
話しかけた。

いつも痛いって言ってた腰をマッサージした。


氷枕も変えたし、加湿器めちゃんと付けて着替えもさせたし何もかもした。


でもパパは反応してくれなかった。



ガンで唾液と痰がスゴイからそれを止めるための薬を投与したら、今度は痰が詰まって呼吸困難になったってママは言ってた。


何かここへ来て一気にパパを鎮める方法になってて戸惑った。でももう手遅れ。


お兄ちゃんといっぱい話しかけた。


器官の痰を溶かそうと、看護師さんが持ってきてくれた喉に当てる加湿器を一緒にやった。



しばらくしたら呼吸が安定してきて、落ち着いたんやって思った。



でも段々その間隔が広がってきて、息を吸わなくなった。


「パパ吸って!頑張って吸って!」って何度も呼び掛けた。


絶対にまた息してくれるって思ってた。信じてた。待ってた。



やけど来たのは慌てた様子の看護師さんやった。


脈と瞳孔と心臓調べてお医者さんを呼びはった。



その間も私はパパに声をかけ続けた。
パパが息するって、絶対するって信じてたのに…






11月12日0時40分
パパは戻ってこなかった。

あんなに苦しそうやった顔はいつの間にか安らかな寝顔に変わってた。



パパは最後に私の声が届いたのかな?
私の顔は見えた?



何で置いていくの?
まだまだパパとやりたいこといっぱいあったのに…



今までいっぱい困らせたから仕返し?
ひどすぎるよ…



ママがもうぐちゃぐちゃやよ。
パパのこと考えて変になってるよ。



私ももう無理やよ…
今までずっといてくれてたのに何でいなくなるの?



私この先どうしたら良いのかわかんないよ…

早く帰ってきて。
11月になった。父の病気を知ってから半年以上経った。

それと共に病状は良くはならなかった。


10月から父は大学病院の受け入れをしてもらえなくなったために緩和ケアを専門とする病院へと移った。

夏、一時は良くなる兆しが見えたものの退院して療養してからは一変。もう家で看れる状態ではなくなってしまった。


先月、父に彼氏を紹介した。

ほんの数分だったけど、勇気出して父に会ってもらえないかとお願いをし、父もそれに応えてくれた結果だった。


もう言葉を発せなくなってしまったために筆談ではあったけど彼氏のことを認めてくれて、2人で仲良くいてくれと声をかけてくれた。


昨日・今日とまた帰省して父に会ってきた。

父はもう何も口にすることはできない。例え飴であっても水であっても経口摂取がもうできない。胃へ直接の注入食のみが父の食事であるのにも関わらず、ガンに栄養が行くのを防ぐためにその量もかなり減ってしまった。


みるみる間にやせ細り小さくなった身体には骨と皮だけしか残されておらず、その姿は本当に『末期』そのものなんだと思わざるを得なかった。


トイレも行きたくなってから動くまでに時間がかかるため、今日ついに紙オムツを履かされた。


母が毎日洗濯してくる真っさらなパジャマと下着は、吐血と血痰のためにものの数分で汚されてしまう。


でも父は私が買ってきたチョークボードに血が付く度にそれを一生懸命拭いていて、何でそんなに苦しいのに自分のことより私のことを思ってくれるんだろうって考えたらつらくてたまらなかった。


父はそのボードに『家に帰ろう』って書いてくる。

でもそれに対して何も答えられない。


私も一緒に帰りたい。

でも、帰って何かあったらって考えると何もできない自分しか浮かばなくて『そうやな!一緒に帰ろ!』って嘘でも言えない。



ここへ来て小学生以来に父と手を繋いだ。

父に寄り添った。


寝ぼけて私の手を探して見つけた途端「ギュッ」て握ってきた。


涙が止まらなかった。



父の病気が悪くなるにつれて私にできることは減っていく。


気持ちだけが焦ってどうしようもなくて、このままそばにいたいって思っても、結局は医療の知識なんてない分怖くて怖くて逃げ出したくなる。



周りの人は私に休職を勧めてくる。

でもまだ父は死ぬって決まった訳じゃない。



確かに死は近づいてきている。


でもそれを誰が認められるって言うの?

いつどうなるかわからないと言われて半年過ぎた。

もしかしたらまだあと半年頑張れるかもしれないし、明日末期癌が治る薬ができるかもしれない。


未だにそんな望みに賭けてる私はおかしいのかな?


本当は、本当は仕事なんて放ったらかして父のことだけに専念したい。
でも、もし万が一のことがあった時、母と2人で路頭に迷う訳にはいかない。


そうなるともう訳がわからなくなってしまう…




年内もつかなと考えてる私もいれば、春になって暖かくなったら車椅子で散歩しようなんて考えてる私もいる。



自分の中にあらゆる意見がありすぎて、混沌としすぎて答えを導くことができない。





でも、ただ思うのは父に生きててほしいってこと。


また笑って欲しいってこと。




そのためだったら何だってするのに…



父のいない日なんて考えられない。



お願いだから、もうこれ以上の思いはさせないでください
5日の日、初めてすー(彼氏)とうちの実家へ行きました。


随分前から話はあったのですが、お父さんの入退院の繰り返しやら何やらで先延ばしになりまして。


とゆーか、お父さんがいたら一緒には行けてないですけど…

すーが定職に就かない限りは会わせられません。


まっ、今回はお母さんがめっちゃウェルカムしてくれたのですーも行く気満々できてくれました。


すーの仕事が終わってからレンタカー借りて、一路大阪の外れまでブィ~ンっと。


出たのが遅かったので着いたのも18時前でしたが、お母さんのウェルカムの仕方ったらそりゃもーすごかった。


以前私が入院した時にすーとお母さんは顔を合わせてるのですが、めちゃんこしっかり挨拶するのはこの日が初めてで。


すー来た途端ひざまづいて挨拶してきてビックリした。


で、ダイニングには沢山の料理が。


私が話したすーの好きな料理がところ狭しと並んでました。


お父さんの看病だけでも大変やのに朝から私らのためにせっせと作ってくれてたんやろなーと思うと胸がギューンってなりました。



お母さんも1人ぼっちから久しぶりに解放されてか楽しそうでした。


お風呂まで用意してくれててできれば泊まれたらよかったけど、何せ次の日は朝っぱらから仕事やので遠慮してしばらくはゆっくり過ごしてました。


でもあまり遅くなると夜道の運転怖いので20時すぎには帰ることに。


今まで実家に帰った時はお母さんに京都まで送ってもらっていて、実家でバイバイなんてことは初めてやから変なカンジでした。


何かお母さんを一人置き去りにするようなそんなカンジがして、お母さんも心なしか寂しそうで、実家離れて初めてバイバイする時泣きました。



ホンマはもっと長い時間いたかったけどできなくて…いても邪魔するだけやし何も手伝えへんけど、きっといないよりかはマシやろなって思ったらツラくてツラくて。

しばらく涙が止まりませんでした。


また11日~帰るのですぐ会えるんですけどね。



しかもその時にまたお父さんも退院してくるかもしれないので、久しぶりに家で家族団らんしたいなって思います。


早くお父さんにもすーを会わせられたら良いのやけど…


どうにもこーにもあと少しでもお父さんの体調が回復してくれるのと、すーが就職しない限りは踏み出せない雰囲気です。


両方とも私がどうにかできることではないので応援するしかできませんが…



実家出てからはまたドライブがてら京都に戻り、ブィ~ンっといろんなとこ行って家路につきました。



初めてのことだらけで変な1日でしたが、楽しかったです。


またお母さんが寂しくならんように、今度からはすーも一緒にちょいちょい帰ろうと思います。



変な文章。稚拙すぎー!
記録やしお許しください。
年とってきたからか?何か毎日おなじみのものが出てきます。

○ヤクルト
小さい時、お腹が痛くなると看護師のお母さんは薬ではなくヤクルトを処方してくれてました。

それから20年、自分でヤクルトを買って飲むようになりました。

寝起きに1本、お風呂上がりに1本。


ホンマはもっと飲みたいけど、大人になった私はあの少量には意味があることを理解できるので我慢してます。


○ウイダーインゼリー
こちらは今の私の食生活の要。
身体によくないってわかってるのですが…

朝にマルチミネラル、昼にマルチビタミン時々ファイバーインみたいな。

冷たくておいしいんだー!
今は痩せたいし身体に支障を感じられるまではしばらく続けます。


もちろん他にも食べてるしあんまり意味ないかもしれないけど。ぷー



○ボディーショップのボディーソープ

以前も使ったことあったのですが、何せ匂いに好き嫌いがあるのと泡が柔らかすぎる気がしてしばらく敬遠してたのです。


やけど…今は好きなん見つかって愛用しまくりです。
うん。癒される~!


何か自分の生活に合うモンもっと見つけてゆきたいです。
最近?いつから最近なのかはわかりませんが、徒然なるままに書いてみます。

○お父さん自宅療養
抗癌剤治療を一旦中止しておうちでゴハン食べて体力つけることに励んでます。

このまま治療続けても体力もたないのでまずはゴハン食べて栄養とらなきゃダメやのです。


でも最近は食べれて無い様子。お医者さんも無理して食べると余計に悪くなると言うてはるからスープとか食べてるみたい。


お母さんが裏ごししまくってようやく飲める。


最近またお母さんと話したけど、末期だから完治はあり得ないと。

最近私も治ることを望むのではなく、治らないことを受け入れることにした。
決して治ることを『諦める』のではなくて。

だから今自分にできること精一杯するだけ。
お父さんが安心できるように。
お父さんが頑張れるように。



○美容院変えました

何となく、もっと他も見てみたいと思って変えてみました。
したらばすっごい素敵人の集まる素敵な空間やった。
初回はなんと7時間もかかるとゆー…
そりゃフルコース(パーマ、カット、カラー)で頼んだ私がいけなかったのは否め無いけど、予約した時いけますと言うてはったから行ってみたんす。

したらば…多分待ち時間はトータル3時間位はあったかも。
途中で『そんな忙しいなら私帰りますよ…』と嫌味でもなく純粋に申し訳なくて思った。

でも素敵人が素敵すぎて我慢できたのでした。


2年ぶり位に前髪も作って可愛くなった気がしてます。ふふふ。


なーんて。
秋には前髪ぱっつんにするのこと。バツンとチャキンと切ってやりたいので、顔やせに励みたいと思います。



○彼氏がまた…
今年も試験ダメでした。

2年前の今頃、『2年待つ!2年で結果出せへんかったら別れる!』と啖呵切った私も彼氏も2歳年をとりました。


そして結果は残念なものでした。

もう『また頑張れば良いよ!』なんて言えませんでした。


追い込めなかった自分にも、追い込まなかった彼氏にも無性に腹がたったとゆーか悔しかったし、やるせない気持ちになったのでした。


何かもー疲れてしまって。


気づけば6年つきあってきて、一緒に住むのは5年も経っていて、今更別々の人生やと割り切ることもできなくて。


彼氏と自分の将来を重ねたくてもリアルに考えることは許されなくて。


夢は夢やと割り切って見てきたけど、叶えたくても叶えられなくて、1人で努力してもどうしようもなくて、そんな夢ほど酷なものはなくて…


一緒にいる自分がちっぽけで意味のないものに思えてしまった。
彼氏にとってはきっとそうなのだろうと。



自分のために、早く家族を作りたいと思う。

だけど今はそれ以上に、長くは生きられないお父さんのために、お父さんの顔を綻ばせるために、そうしたいって思う。


それも結局自分のためになるのやろうけど、お父さんのためにならないって言い切れないとも思うから。


時間がなくてイライラする。


最近そんなのの繰り返し。



結局思うがままに書いたからまとまりもナシ。



そして最近のアメブロはエロサイトからの攻撃が激しすぎてウザい。


私のケータイにも1年ぶり位に出会い系メールが来てマジでウザい。



すべてがうまくいくのはいつの日なのか。


結局それもまた、明日からの私の頑張り次第なのよね。
self management
self motivate
self development



これは以前よくお世話になっていた上司がよく言っていた言葉。


私たち社会人にはこれが常に求められる、と。


そしてこれを達成できるか否かが今後の成功の鍵になる、と。



最近すごくすごーく、この言葉が浮かんできます。


めっちゃ大事なことやと思う。


いかに自分自身を自分自身で管理できるか。
体調管理もそうだと思うし、自身の目標管理もそうで。

いかに自分自身でモチベーションを高いまま維持できるか。


いかに自分の成長に努められるか。


大人になるってそうゆうことやなぁとか、漠然とでも考えてみたり。



私自身、何だか最近いいカンジな気がしています。

めっちゃアバウトな表現ですが…



特に何かが長けてる訳ではないのですが、ブレなくなってきたとゆーか、やはり根本にある自身のコアに自信が持てるようになってきたとゆーか確実なものになってきたとゆーか…


じわじわとそれを実感する毎日。


前向きに生きていけてる気がする日々。




ただ、何だかウマくいってないなぁとか思うのも事実。


私自身は至って普通と言うか崩れてません。

そうでなく、自分の大事にしたいものや大事にしているものが何かに脅かされている感じ。



でも怖いとか思うのは少しだけ。

一緒に頑張ってきていてこれからもそうだと信じれる仲間がいるから。


何か怖くないのです。


『チーム』ってこうゆうことよなぁーって思ったり。


今こそみんなで踏ん張る時。


どうかどうか軌道修正できますように。



でも…

やっぱり何かある気がするし、お祓いでも行こかな…
ヤケになってる訳ではないけど何かに追われるかのように自炊する毎日。


今までも作ってましたよ。
でも『できる時に』的なカンジで毎日でもなく気分的なもので、週4日作る時もあれば週1しか作らん時もあったりと、もうそれは『家事』ではなくて。



今はそうじゃないんです。

6月~ずーっと彼氏と私のお弁当&夕食を作り続けています。


仕事が早番であれ遅番であれ、とにかく作る作る作る!

今のところこの1ヶ月間で被った献立もなく、レパートリーもお陰様で増えてます。


最近の趣味?は冷凍食品作り。
お肉やお魚を安い時に買いだめしてお弁当用や夕食に使えるように下味をつけて保存したり。


主婦の方からしたら当たり前のことかもしれませんが、私からしたら快挙なことです。


不規則な生活しながらって結構疲れる…

しかも今は彼氏は食事に関しては全くのノータッチやし…


たまにサボリたいって思うんです。
面倒クサーって思ったり。


でもでもっ!!


何でか作り続ける私。


お菓子作りは高校生ん時にハマってやってたので、今後はパンでも焼けるようになろうかと目論んでます。


ゆくゆくは子供にキャラ弁作ってあげたり、ホームパーティーなんてできちゃうような素敵なお母さんになりたいです。


もちろん庭付き1戸建てで庭ではゴールデンレトリバーが駆け回っていて、ブランコなんかもあっちゃうような素敵なマイホームでね…ふふ。


すっごい妄想膨らみまくり。

叶えられるよう鍛錬致します。
今さっき母から連絡があり、父の一時退院がほぼ決定とのこと!


早ければ来週末にもと言うことで、言葉通り『安堵』しました。


今父は点滴のみの栄養補給を止めて三分粥&離乳食的な食事になっているのですが、今日母が病院に行った際には五分粥になっていたらしいです!!


スゴイ進歩!!


まだまだ喉の癌は残ったままなので父的には大変みたいですが、何より喜ばしい。


父も食事ができないのはかなりのストレスだったので、それを考えると嬉しくて嬉しくて…


まだ安心できないですが、徐々に前進してることを感じてます。



母も本当に嬉しそうで。


昨日まで実家に帰っていてゆっくり過ごしたんですけど、結構ヒステリックになっていたんで気丈に振る舞ってるけどやっぱりツライんやろうって感じてて。



私もそれを理解した上で大人になれたら良かったんですけど、甘えてるんでしょう、衝突してしまうばかりで…


昔は父がいない家の方が安心?して過ごせてましたが、いざ父がいなくなると家族全員の歯車が狂ってしまうものです。



一時の反抗であれ、そう思ったことを撤回したい。


誰も不必要な存在なんていない。



それを今更ながら痛感した私はバカだけど、だからこそ今まで以上に父や母や兄を大事にできると思うから、早く家族4人で団欒したいです。



そこに高級料理とか特別な景色とか、何もなくて良いからとにかく4人で過ごしたいです。



今からが家族本番…みたいな。



母は父と『70歳になったら旅行に行こう』って約束したことをずっと覚えていて、それも叶えてあげたい。


今の私の一番の夢。
今実家に帰ってきています。
23日が大阪で研修的なものがあったので終了後そのまま帰省。
上司の心遣いもあり連休を頂いており今回はゆっくり過ごさせてもらってます。


23日は母と色々くっちゃべりながらも過ごし、今日24日は父のお見舞いに行ってきました。


阪大病院は今も開発の進んでいる彩都にありますが、個人的にはすごく好きなカンジ。
緑が多くてうるさすぎず、交通の便も整っていてまぁまぁ不便ではない。
吹田を含む北摂の良いとこです。

ネックはモノレール。やはり阪急沿線が良いのが私的なこだわり。


まぁそんな余計なことは抜きにして良い環境の中に大病院がある訳です。


父の病室へと、母と向かっているとふと目の前で何かデジャヴのような出来事が…



『んっ?!』


っと思い睨む様に見ていました。



父でした。
父がスタスタともう何とも普通に、そりゃもうフツーにトイレへと歩いていたのです。


もうめちゃんこ驚きました。びっくりもびっくり。

点滴も外れてて、でもヨタヨタ歩いていた以前からは想像もできない位の普通さ。


母も点滴が取れたことを初めて知ったようで(2日おきに母は通ってます)病室で2人キャッキャキャッキャ喜んでました。


病室も移動していて、窓から見えるのは太陽の塔…の裏側。
なかなか裏側見ません。

小さい時は日曜日や休みの日はお弁当を持って万博公園に家族で行っていたので、病室から見える景色をもとに父や母と思い出話に花を咲かせることができました。



ただ、やはり心配事と言うかショックだったのが…


父の頭です。
うちの父は髪の毛フサフサで毛髪の悩みからはほど遠い人だったんですけど、もう髪の毛も抜け落ちて、キレイな坊主とはお世辞にも言えない状態で…


点滴をずっとしていた分お風呂に入れないので坊主にはしたんですけど、何かあの頭を見たらやっぱり悲しくなりました。


おしゃれでスマートな父って言うイメージが強いからこそなんですけど。


時折恥ずかしそうに頭を触る姿を見ると胸がグゥーっと締め付けられるようでした。



でも前より四肢も太くなっていて蕁麻疹も治まっていて、顔色もよくて随分元気そうだったから本当によかったです。



今は離乳食のようなものだけど食事もできるようになってきてかなりの進歩です。



それと…病室で過ごしたほんの2時間でしたが、何だか『家族団欒』ってこんなカンジなのかなって言うような楽しい時間を過ごすことができました。



完治はまだ遠いし油断ならない状態続いてますが、それでも良い方向に進んでいるカンジがしています。



だから私も、いつ父が帰ってきても良いように今は実家の庭いじりをしてます。
ガーデニングとはほど遠く全くの素人で土いじりなんて死んでも嫌やと思ってましたが…頑張ってます。


まずは父の体調が悪くなってから野放し&荒れ放題の庭の整備からですけどね。


かなり猟奇的なカンジでクワを片手に雑草の根っこ掘り起こしまくり、突然現れてくる害虫達と戦いながらも何とか次の段階へとこぎ着けることができました。


次7月頭に帰ってきますが、その頃には土も安定してそう…



今は家を守るとゆーか、父の性格によく似た私が父の過ごしやすいような家を作るべきと思っているのでそんな使命感みたいなものに燃えています。

京都に戻ったら良いモン仕入れてみます。
次は彼氏も一緒に来るので男でないとできないところを手伝ってもらったりしながら…


正直今は仕事よりも燃えてるかもです、苦笑。