イタリアを旅すると、どんな小さな村にも必ずと言っていいほど教会があります。

石畳の広場には聖人の像が立ち、鐘楼の鐘が街に時を告げる。

クリスマスや復活祭には家族が集まり、何世代にもわたって受け継がれてきた伝統が今も大切に守られています。

そんな風景を見ると、多くの人はこう思うかもしれません。

「イタリアはカトリックの国」

確かにそれは間違いではありません。

ローマにはカトリック世界の中心であるバチカンがあり、イタリアの歴史や文化はカトリック抜きには語れません。

しかし、その一方で意外な事実があります。

実はイタリア国家とローマ教皇庁は、長い間激しく対立していました。

さらに南のシチリアでは、信仰がマフィアによって利用される一方で、多くの聖職者たちが命を懸けてその支配に立ち向かってきたのです。

つまり、イタリアとカトリックの歴史とは単なる信仰の歴史ではありません。

それは、

国家と教会の対立。

冷戦下の政治闘争。

そしてマフィアとの戦い。

こうした数々のドラマが交錯する壮大な物語でもあるのです。

今回は、イタリア本土とシチリア、それぞれが歩んだカトリックとの複雑な関係をたどりながら、信仰が果たしてきた役割を見ていきましょう。

イタリア統一が生んだ「教皇との対立」

現在では一つの国家として知られるイタリアですが、19世紀半ばまで半島は複数の国家に分かれていました。

その中でも特別な存在だったのが、ローマ教皇が直接統治する「教皇領」です。

ところが19世紀後半、イタリア統一運動が進展します。

1861年にイタリア王国が誕生し、さらに1870年にはイタリア軍がローマへ進軍しました。

ローマは新国家の首都となり、教皇領は事実上消滅します。

これに激しく反発したのが教皇ピウス9世でした。

教皇は自らを「バチカンの囚人」と称し、イタリア国家を認めることを拒否します。

さらにカトリック信者に対し、新国家の政治への参加を控えるよう呼びかけました。

こうしてイタリアでは奇妙な状況が生まれます。

国民の大多数はカトリック信者であるにもかかわらず、国家と教会は互いを認めない状態が続いたのです。

この対立は半世紀近くにわたって続くことになります。

ムッソリーニとラテラノ条約

この長年の対立に終止符を打ったのが、1920年代に権力を握ったベニート・ムッソリーニでした。

ファシズム政権を安定させるためには、国民に大きな影響力を持つカトリック教会との関係改善が不可欠でした。

そして1929年、イタリア政府と教皇庁の間で歴史的な「ラテラノ条約」が締結されます。

この条約によって、

・バチカン市国の誕生

・国家と教会の和解

・カトリックの特別な地位の確立

という大きな変化が生まれました。

半世紀に及ぶ対立の末、国家と教会はようやく共存の道を見つけたのです。

戦後イタリアとカトリック政治

第二次世界大戦後、イタリアは共和制国家へと生まれ変わります。

しかしカトリックの政治的影響力はむしろ強まりました。

その中心となったのがキリスト教民主党(DC)です。

冷戦が始まると、西ヨーロッパ最大規模の共産党であるイタリア共産党(PCI)が勢力を拡大します。

教会にとって無神論を掲げる共産主義は大きな脅威でした。

そのため多くの聖職者が反共産主義の立場を明確にし、キリスト教民主党を支持しました。

こうして冷戦期のイタリアでは、カトリックは単なる宗教ではなく、国家の進路そのものに関わる政治的存在となっていったのです。

現代イタリアと「信仰のかたち」

現在のイタリアでは、他のヨーロッパ諸国と同様に世俗化が進んでいます。

1984年にはラテラノ条約が改定され、カトリックは国教としての地位を失いました。

若者の教会離れも進んでいます。

しかし一方で、

洗礼を受ける。

教会で結婚式を挙げる。

クリスマスや復活祭を家族で祝う。

こうした習慣は今も多くの家庭に残っています。

信仰の形は変わっても、カトリック文化は今なおイタリア社会の深い部分に息づいているのです。

シチリアとカトリック――信仰の光と闇

ここで舞台をシチリアへ移してみましょう。

シチリアにもまた、イタリア本土とは異なる独自のカトリック文化があります。

街を歩けば壮麗な教会が立ち並び、聖人祭には何万人もの人々が集まります。

人々は守護聖人に祈りを捧げ、その信仰は生活の隅々まで浸透しています。

しかし、その美しい信仰の歴史には、もう一つの顔が存在します。

マフィアによる宗教の利用です。

そして同時に、その支配へ立ち向かった聖職者たちの勇気の歴史でもあります。

シチリア独自のカトリック文化

シチリアは古代以来、

ギリシャ人

ローマ人

ビザンツ帝国

アラブ人

ノルマン人

など、多くの民族や国家の支配を受けてきました。

そのため教会建築にも独特の特徴が見られます。

黄金に輝くモザイク。

アラブ文化の影響を受けた装飾。

ノルマン様式との融合。

こうした要素が重なり合い、シチリア独自の宗教文化が形成されました。

また、

カターニアの聖アガタ

パレルモの聖ロザリア

など守護聖人への信仰も非常に強く、人々の精神的支柱となっています。

マフィアはなぜ信仰を利用したのか

多くのマフィア関係者は、自らをカトリック信者として位置づけていました。

十字架を飾り、

教会で結婚式を挙げ、

宗教行事にも参加する。

しかし当然ながら、カトリックの教えと犯罪行為は本来相容れません。

それでも彼らは、

「家族を守る」

「地域を守る」

「伝統を守る」

という価値観と宗教的象徴を結びつけ、自らの存在を正当化しようとしました。

さらに長い間、一部地域では恐怖や複雑な社会事情によって、教会側もマフィア問題に積極的に踏み込めない状況が続いていたのです。

信仰の名のもとにマフィアへ立ち向かった人々

1980年代から90年代にかけて、状況は大きく変わります。

マフィアの暴力が激化する中、多くの聖職者が沈黙を破りました。

ヨハネ・パウロ2世の歴史的発言

1993年、シチリアを訪れたローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、異例ともいえる強い言葉でマフィアを非難します。

「悔い改めなさい。神の裁きは必ず訪れる。」

この発言は、教会がマフィアとの決別を明確に示した歴史的転換点となりました。

ドン・ピノ・プグリシ神父

同じ1993年。

パレルモ郊外で活動していたドン・ピノ・プグリシ神父が暗殺されます。

神父は貧困地域の子どもたちがマフィアへ取り込まれることを防ぐため、

学びの場を提供し、

スポーツを教え、

別の人生を歩む可能性を示し続けました。

その活動はマフィアにとって大きな脅威でした。

そして1993年9月15日、神父は自宅前で銃撃されます。

暗殺直前、犯人に穏やかな笑みを向けたという証言は現在も語り継がれています。

後に彼は福者に列せられ、反マフィア運動の象徴となりました。

現代シチリアとアンティマフィア

現在のシチリア教会は明確な反マフィアの立場を取っています。

宗教行事が犯罪組織の権威づけに利用されることを防ぐため、さまざまな対策も行われています。

また若い司祭や市民団体は、

マフィアから没収された土地の活用、

若者への教育活動、

地域社会の再生

に取り組んでいます。

信仰を社会正義へ結びつける新しい動きが広がっているのです。

まとめ

イタリアとシチリアにおけるカトリックの歴史は、単なる宗教史ではありません。

そこには、

国家と教会の対立。

冷戦下の政治闘争。

マフィアとの複雑な関係。

そして不正に立ち向かった人々の勇気。

数多くのドラマが刻まれています。

イタリアの広場に立つ聖人像も、シチリアの壮大な聖人祭も、その背景には長い歴史があります。

信仰が利用された時代もありました。

しかし同時に、信仰が人々に正義へ立ち向かう力を与えた時代もありました。

それこそが、カトリックとイタリア・シチリアの歴史が持つ、最も興味深い姿なのかもしれません。

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