大阪のOMO7という星野リゾートのホテルに泊まりました
そして、ホテル主催の新世界のまち歩きツアーに、ホテルで合流した母とアメリカ人義父も一緒に参加しました。
新世界へ来たのは、たぶん20年ぶりくらい…。
当時は、夫くんの案内で串かつとフグ料理のお店を「はしご」した記憶が。
串かつ食べたら、蕁麻疹が出たんですよね。←油がダメだった
行ったのは11月だったからか、街全体が薄暗くて、木枯らし吹いているイメージだったな。
オッチャンの街、って感じで、雰囲気もあまり良くなくて、早々に撤退しました。
さて、今はどうなってるのか…。
じゃんじゃん横丁の囲碁のお店は健在だった!
20年前入った串カツ屋さんもあったけど、今回は素通りで。
20年前に比べると、外国人観光客がたくさんいて、街全体に活気があって明るい…
浅草ロックの周辺みたいな(外国人観光客向け)下町の飲み屋街とお土産屋街になっていました。
一方で、新世界市場という古い商店街はシャッター街になっていました。
ツアーのあと、適当に入った居酒屋さんで夕ご飯を食べたあと、長女ちゃんが弓道をやりたいと。
秘宝館って、意味深な店名だけど、気付かないふりをして、健全に楽しみました。笑
最近、gentrification(ジェントリフィケーション)という言葉を知ったのだけど…
元々貧しい地域にマネーが流入することによって、その地域がキレイになったり、富裕化することだそう。
新世界に起きているのは、観光地化による、まさにそれなのでは?
翌朝夫くんがコンビニに買い物に行ったら、
「おっちゃんが道路で寝てた
」
し、最寄り駅では上半身裸の人が歩いているようなこの地域も、どんどん変わっていくんだろうな。
今回パンク事件で痛い目にあってるので、複雑な気持ちではあるのですが、近代的な街から排除される人たちはどうなるのか?
タイヤ切られたあとカーナビでディーラー探していた時、偶然目についた天王寺駅前の地名が「悲田院町」だったことに、なんか言葉が詰まるのですよね。