前に桂離宮に行ったときから、素朴な疑問があって…

 

「公家」って何だろう??

 

 

桂離宮の仏堂には、古今和歌集の解釈を口伝した武将の肖像画が祀られていたんですよ。

成り行き上(?)武将がたずさわっていたけど、要は、「古今和歌集の継承」が、宮家にとって大事だったということみたい。

 

天皇とか公家って、平安時代から乱世の間も、ずーーーっと能天気に和歌作ったり、雅楽奏でたりしてたわけ??

いったい、彼らの歴史上の存在意義ってなんなのかな…?

 

って心に引っかかっていました。

 

一緒に行ったお友達(←幕末維新ファン)は、

 

トイプードル「うーん…時代劇に出てくるお公家って、たいてい状況引っかきまわして混乱させるだけだけどね」

 

って。笑

 

わたしも、お化粧して、甲高い声で喋ってるくらいの印象しかなかったですうさぎクッキーあせる

 

(って、夫くんに言ったら、

 

ニコ「甲高い声だったってどうやってわかるの?」

 

とゲキ詰めされました…。

証明する資料お持ちの方、求ム。)

 

そんな疑問に対するヒントが、冬休みの間に手に取った「近代日本宗教史」シリーズに書いてありました。

 

 

第1章を書かれた未木文美士先生によると、中国で、中華と野蛮を分けるものは、礼の秩序だったのですって。

日本の礼は、公家社会(トップは天皇)の中で形成されて、有職故実(ゆうそくこじつ)として受け継がれてきたと。

礼法を中心として、公家の古典文化が築かれたそうです。

 

たしか、上皇(平成天皇)が退位されたときの理由が、年齢的に儀式を行う身体的な負担が大きいからだと報道されていましたね。

ふだん国民に手を振ってるお姿しか知らなかったから、

 

うさぎクッキー「へ〜そんなに大変なんだ」

 

と正直思いましたが、礼法に則って儀式をすることが仕事なんですね!

そういう儀式がたくさんまだ残っているのだとしたら、それは重労働だ〜あせる

 

礼を重んじる統治方法を、礼治主義と言うらしいです。

礼治主義を提唱した荀子(じゅんし)によると、人間というのは、生まれつき欲望や感情などがあり、どうしても争ったり、奪い合ったりしてしまう(性悪説)。

だから、社会秩序を維持するためには、人間の外側に規範(礼)を作って規制する以外にないと。

 

このブログを参考にさせてもらいました↓

 

確かに、源氏物語だって、女同士の嫉妬すごいし、「光る君へ」だって、藤原道兼が弱いものいじめしまくりでしたよね。

↑個人的には、嫉妬と弱いものいじめだけはしないように気をつけてるうさぎクッキーあせる

 

(中国哲学で出てくる)「性悪」説って、中身が極悪非道のドロボーみたいな人のことかと思っていたから、ピンときてなかったけど、今でいう感情的でメンタル弱い人のことかあ。

っていうか、そう言われると、急にリアリティのある考え方ですね😂

 

要は、感情的な人を治すのはムリなので、とりあえず、礼というルールを守ることにして、お互い平和に暮らしましょう、ということですね。

反対にいえば、礼が必要であるためには、「性悪」じゃなくちゃいけないから、公家って(理路整然というより)感情的なイメージあるのかも??

 

「性悪」とカテゴライズする(?)荀子もどうかと思うけど、感情的な人は、言い換えれば、感性豊かでもあります。

 

武力や理念ではなく、礼を中心とした文化による統治。

それで平安時代が400年続いたのだったら、なんかそれはすごいことのような気がしてきましたうさぎクッキー