私がツイッターで貶したせいでツイッターが凍結された。

不登校ブログを書いて子供の不登校をさらしものにしている、角舘有理、今じんこ、ラン、といった面々について書いたことで、

誰かの不興を買ったのであろう。いやいやこうしたブログママ、今や本まで出して稼いでいるし、子供が不登校になってくれたお陰で家計大助かり、他にも問題起こしてくれないかしら~、と問題行動起こし待ちだろうね。次は非行?それとも殺人?そうなればもっと売れるぞ~~~www

以前書いた様に、昭和期に娘の非行を綴って「娘をさらしものにした」と罵られた積木くずしの作者、穂積隆信という俳優の様な

責められ方は、今の、この誰もがブログで自己主張を出来る時代にはもうなされないのだろう。

上の不登校ブログを書いてさらし、それでいつか恥を掻く自分の「不登校児である」子供の将来を考えられない頭のゆるいママの面々は、いつも元気に不登校大賛成で、

布教の如くそれを国民に押し付けようと頑張っている。子供の恥をさらしてお金稼ぎも出来て、本当にお金になるからありがたい子供だわ、もっと不登校して下さい、そうすればママもっと稼げるから、ってところか?

「不登校コンサルタント」を自称するランという女は、臨床心理士の資格でもあるのか、それともただの感傷からか、

こんなことを言っている(てか、不登校コンサルタントって何だよwww)。

いじめがなくなっても自己肯定感が低い子は学校へ行けない自分を責め「動けなくなってしまうのでなかなか学校へ戻れない」。

一見「ふーんそうか」と普通に受け流してしまう文章だ。

だが逆だ。

心が凍り付いていないから「動けない」自分を「肯定し容認」している、からこそ、「動けない」ままでいられるのだ。

簡単な例を挙げれば分かるが、まあ極端な話、北朝鮮でこれが通用するかというと通用しない。

強制収容所や公開処刑を目の当たりにして生活しているかの国の国民が学校へ行けという命令や圧力を食らっていながら

「身体が動けない」などと甘いことを言っていたら、彼らは銃殺されてしまう。

つまり、恐怖で身体が凍り付くと、「動けない」のではなく、「動けなくとも動く」という防衛本能が働く。

従って北朝鮮だったら不登校児みたいな性格でも、学校が嫌でも恐怖心から心神耗弱みたいにふらふらしながら学校へ行くんだよな。別に北朝鮮に行ったことなんかないけれど、こういう状態になったとき、私自身が、自分が心神耗弱っぽくなって、身体が強張って、選択肢もなく、何でも指図通りにするからこそ、この辺は本当によく分かる。

動けない、という状態の背景には、「動けない自分を肯定してくれる親への期待や甘え」「一日家にいても口を利いてくれて怒らず怒鳴らず殴らない親への安心感」があるのは誰でも分かるだろう。

家でいたたまれず、まだ学校の方がましだったら、学校へ行くのが普通だ。

従って、身体が動かせず家にいる、というのは家がそれほど居心地が悪くないからだ。

大人の引きこもりと違って、親が老齢で子供を養えないという年代にまで行っていないせいで、不登校児は、家の居心地がある程度いいのだ。大人の引きこもりが突然親を殺したりするのは当然居心地が悪いからで、不登校児がそうならないのは、家庭の居心地がいいからで、もし不登校などしたら親が朝から晩までただの一言も口を利いてくれないで、ご飯を食べる間中、監視がついているみたいで恐怖で身体が凍り付くならば、むしろ学校へ逃げる。まして、このランの記事の中では、「いじめが終わっている」という前提でも学校へ行けない不登校児、という前提なのだから、いじめのない学校と、張り詰めた家だったら、学校へ逃げる方がましってなるだろう。だから、不登校児ってのは、心神耗弱で親の指図通りに学校へ行ってしまう、もう判断する気力も失せた子供よりかずっと自己主張の強い「学校へ行けない!身体が動かない!」と訴えるだけの「力」を心身に蓄えているってことで、かつ、その甘えが容認されるとの楽観予測も出来る、めちゃくちゃ心の張り詰めていないリラックスしまくっている子供なんだけれどね、これのどこが「自己肯定が低く心の耐性がない」(ランの記事より)んだか、もうたくましいとしか言い様のないのが不登校児なんだけれどねw

梅宮アンナが娘の不登校自慢していたけれど、娘の百々果とかいう子(確かこの名前だった様な気が・・・違っているかな)がめちゃくちゃ気が強いから不登校してて、アンナも容認してて、平日にディズニー行ったとか。いじめかケンカかで、相手を許さなかったらしい、この百々果って子が。それをアンナの母親のクラウディアは「甘やかすな」と怒ったが、アンナは「相手の子供が悪いから行かせない」と随分強気だったからな。まあ、不登校児がメンタル弱かったなんて今は昔だろう。これが今の不登校児とその親の「普通」。私と私の子供はいつも正しい。悪いのはいつも他の子供と教師と学校。あのさ、毎回思うけれど、もし間違って、自分の子供が加害行為をしたり、問題行動を起こしたら、こいつら親子ともども赤っ恥だぜwww今まで散々同級生が悪い、学校と教師が悪いなんて威張っていた子が何か失敗したら、全員に小気味よく笑われて叩かれるんだけれど、そのリスク考えながら回りを叩いている?アンナは「娘は自分をいじめた子を許さなかったし、娘の行っているインターナショナルスクールは、いじめはいじめる方が悪いと百パーセント考えているので、いじめた側に退学してもらいます、と言ってくれた」とか意気軒高だけれど、これで、この自分が信じ切っている娘が、突然もし出来心で万引きとかしたら、本当に赤っ恥www

んで、まあとにかくさ、そんな感じで、上に書いた「甘えが許されるとの楽観予測のもと」子供は「学校へ行けない、行きたくない」と切り出す。これが出来なければ切り出せないんだよな。内側に溜め込んじゃう「本当に弱い子」は。だから繰り返すけれど本当に不登校児は強さの極み。

通常、心がフリーズしていると、楽観予測はできないのが人間なんだよ。必ず大変なことになるっていう「悲観予測」によって、すべてのことが恐ろしくなるのが、本当に恐怖にとりつかれた、周囲に味方もいないんだ・・・って絶望しきった、がっちがちに凝り固まった人間の性ってやつだからね。

不登校児になれるってことだけで、もうこいつらは、本当の恐怖や苦悩を知りません、プライドも全くありません。

従って、ランという人の一見尤もらしい話は、実は甘ったるいだけの表層をなぞっているだけで、これで自称コンサルタントだから、感傷的な不登校児の母親がいかにこういう女に「コンサルタント」されることを求めているかよく分かる。

読売のヨミドクターに高校一年の「桃花」(仮名)という子供の話が載っていた(2023年7月14日)。おーこっちも「ももか」か。

このガキは、進学校に入ったが入学後の5月に教室で過呼吸を起こして保健室へ運ばれ、6月から不登校になる。心療内科へ母親と行って、診療が進むにつれてぽろぽろと涙を流して父親と母親の話、自分の気持ちなどを語りだす。それから学校へ戻らず、通信制高校へ転校し、そこの水が合ったのでそこを卒業。ファストフード店員、ボーイフレンドもいる、と。

こういうタイプは進学校の器ではない。「市内の進学校」というから、大したレベルではないのかも知れない。

本当に勉強の出来る子は、プライドが高いので不登校も出来なければ心療内科で簡単にぽろぽろ泣いて苦悩を訴えることも出来ない。

実際この子は今はファストフード店員で別に構わないくらい上昇志向もゼロだ。

この程度のレベルで彼氏も出来てリア充で済んでいる子が、そもそも進学校で我慢をする力を身に着けている他の面々と同じ人種の訳がないだろう。

心療内科で「抱えきれなかった問題を・・・」みたいに書かれていた気がするが、だとしたら物凄く薄っぺらな悩みだ。

現代の子供たちの悩みが薄っぺらになり過ぎているので、簡単に学校に行けなくなり、簡単に弱音を吐き、簡単に涙を流し、簡単に苦しい哀しい怖い傷ついたと騒ぐ。

昔会社員やっていたとき、朝の電車で若い女が若干床に胃液を吐いて、すぐ電車から降りたのを見て、会社に行ってから男性社員に話したんだよ。そうしたら、「女性って強いからね」って言う。「何で?」と聞いたら、「割と小さい症状がこまごま出るでしょ、だからすぐ具合悪いか分かる。男性は大きな病気が溜まりに溜まるまで表面に見える形で症状が現れない」という説明を聞かされて、なるほど~と思った。

不登校児って、何かこの比喩がよく表している薄っぺらさを感じるね。溜めに溜めないですぐ症状出てしまうから、結果として生き残ってしまうっていう、弱い振りした強者ね、いつもいつも私が言っているやつ。

「不登校新聞」なんて新聞を出すヤカラもいて、これは石井志昴とかいうヤツが書いているが、ネタは当然不登校しかない。人生経験がそれしかないんだから、そりゃ当然何も書ける訳がないw。こいつ自身が負け組自慢をしていて、まあ、前書いた高野兄弟の現代版だが、今はネットがあるから、出版できなくともこの類の連中が生き残っていける。教員、校則、いじめなどにより、中二から不登校、フリースクールへ入った、1982年生まれというから生まれた時代が恵まれていたんだね、高野兄弟より。多分教員から校則からいじめからすべて気に入らなかったというんだから、いじめ自体が大したことなかったんだろうな、と笑ってしまう。ちょっとからかわれたくらいで、耐性がないもんだから、家へ逃げ込んだクチだろう。もしいじめが壮絶だったら、教員と校則が理由、という部分は書かないだろう。もしそうならばもういじめの記憶だけに苛まれて教員や校則の問題なんてすっ飛んじゃうだろうからね。まあ、何もかも気に入らなかったっていう、尾崎豊テイストで、しかし何の才能もない、しかし何か発表したい、そうか、自分には不登校しかないが、逆に不登校自慢があった、これで行くか、みたいにやってこの歳まで生きて来た不登校商売のあざとさがむんむんするw

やっぱ高野兄弟の「ヒストリーズラン」みたいだわww

しかも、19歳の創刊当時から新聞作りに関わっていたならば、メンタル全然弱くない、単なるサボりじゃん。学校面倒くさいから行きたくないだけだった。大多数に適合できないだけの協調性ないヤツだったって話でしょ?けど学歴なくて、けど目立ちたくて、だから新聞発行に走った~~~ネタはこれしかないから不登校~~~www

安っぽい苦悩。不登校ネタ世の中からなくなったら書く本がなくなるね~www

まあしっかり学校行った茂木健一郎が不登校ユーチューバーゆたぼんを支持するのは理解するにしても、不登校児だったヤツが不登校新聞出して不登校正しい、認めろって言ってんのは、負け組が負け組認めろ、万引き犯が万引き犯認めろって言っているのと同じで、ある人が別の他人を認めてやれって言っているのと違って、客観性がない。自分で自分を擁護しているだけっていうね。それは不登校児ママやパパのブログの自画自賛の気持ち悪さと全員共通。他人を見て「これは認めるべき」って言っている人と、自分(や自分の子供)が人生失敗して「その失敗した人生を認めろ~おい社会!」って騒いで、問題行動を問題行動って呼ぶな~、不登校は問題行動じゃない!文科省が認めた!だから俺らは文科省のお墨付きだ~~~!って叫んでいるんじゃ全然違うわ。後者は盗人猛々しいwww単なる自己愛に過ぎない。情けない・・・😢言っとくけれど、元々「問題行動」だったから、時代が味方して、今の時代、たまたま問題行動じゃないってことにしていこう、ってだけで、最初っから問題行動じゃなかった訳じゃないからね。ってことは、バリアフリーになったからで、本来はネガティブな行為だからこそ、「違うんだわ~~~、概念変えるんだわ~~~」と騒いでるんでしょ?誰の目から見ても不登校が素晴らしい行為だったら、こんなに問題ないないって騒ぐことないんだからさ~~~辛ければ何もしなくていいってことになっただけ。そのうち変わるよ。辛ければ非行に走ってもいい、辛ければ万引きしてもいい、辛ければ大麻やってもいい、辛ければ)以下略・・・

 

角舘有理、今じんこ、ラン、石井志昴、このたぐいの連中、今、文科省や行政が不登校礼賛に走り「学校が子供に合わせるべき」という究極のお子様至上主義を出して来たのに便乗して儲けている、儲けたい、一枚絡みたい、のはよく分かるが。

 

大学時代、友人たちが流行らせた言葉。

「苦悩を謳歌しているよね」

人間失格を書いた太宰治を嘲笑しながら言い表したものだが、まさか、三十年後に、ここまで苦悩を謳歌するガキが跳梁跋扈するとは、その再来かと改めて嘲笑し、ついでに気分が悪くなっても仕方がない。

「人間失格」

酷い小説だよなあ。自分を笑ってくれ、笑ってくれ、こんな私で済みません、私は人間ではなくなりました、といやに腰が低いから本当に謙遜しているのかと思うと、中身はもう自慢のオンパレード。自分は大地主の生まれで東京で美学生になり女給と心中し自分だけ生き残った、顔も結構イケメンでみたいに言いたそうにして、なのにカルモチン(当時の睡眠薬)でラリッて、私は人間ではなくなりました、・・・と言いつつ、「神様みたいにいい子だった」と他人から言われる、と自画自賛してて、「苦悩を謳歌」って言葉を作り出した例の友人は、太宰治と、尾崎豊(こいつ当時はバカにされてたんだぜ、今の子はカリスマ扱いしてるが、当時は笑いものwww)を合わせて太宰豊、という名前を作って、「こいつらのキャッチフレーズは「Laugh at me」(こんなダメな俺を笑ってくれい、笑ってくれい)だよね」とバカにしまくっていたのを思い出す。太宰なんて本当、真面目に読む学生はいなかったけれどね。皆こぞってバカにしているっていう。15歳でバイクを盗んでタバコをふかしたことと校舎の窓を割った話しか歌に出来ない、不良だの十代の代弁者だのと言われながらやった非合法行為はこの程度かっていう、だったらどこぞの工業高校でも行けばいいんだが、なぜかそこは受験は頑張って青学高校へ行ったフェイクの不良願望の尾崎豊と、太宰治は笑われ者ツートップだったが、不登校界隈の連中はこれにそっくりなんだが、今は(いや、いつの時代もか?)心の時代だとかで、こういうクサいほどの甘ったるいやつが受けるって訳ね。

 

そんで、その外国版。日本人はやたらドストエフスキーの「罪と罰」を重い小説と掲げているみたいだが、これも外国版「苦悩を謳歌」している小説で、これを読んでる人間も気持ち悪い、と知り合いのおじさんが言っていたわ。

自分に何も加害行為をしていない金貸しの女二人を殺害しながら、なぜか周囲は皆この殺人鬼ラスコーリニコフの味方で、

精神鑑定まで実施されて通り魔みたいに二人殺しながらたった懲役八年のシベリア送り、しかもソーニャという愛人まで一緒について

来てくれるっていう。そこでゴキブリかなんか浮いたシチューを食べさせられた、とかなんとか。

二人も通り魔的に殺して懲役八年で済むんならば、自分もやった方が得だしさ、それでゴキブリの浮いたシチューに腹立ててるのは随分わがままだと思うんだが、作中じゃ、かなり重い刑だ~みたいな言い方してるぜ~

うん、小説としてドストちゃん、全然全体を俯瞰する力ないね、何で誰もが殺人鬼の味方になるなんてご都合主義書いてんの?

んで、苦しんでいる苦しんでいると騒ぐこの殺人鬼はなに苦悩を謳歌してんの?

今の不登校児、不登校児のママのブログ、パパのブログ、不登校本の出版、不登校漫画、果ては不登校新聞作って目立とうとしているやつ、ラスコーリニコフとそっくりだよね、この被害者意識と、「苦悩を謳歌」してる辺りが。

こういう苦悩を見るとさ、昔週刊新潮で書評の仕事でやった「北条民雄の生涯」なんて本を思い出すな。

高山文彦っていうジャーナリストが、戦前、差別されながらも作家として生きた北条民雄の人生を描いたもので、さすがにこれはガチの気の毒だった。

ハンセン氏病にかかってね、東村山の療養所で孤立無援で死んでいくんだよ。差別の中。23歳でね。

地元徳島県では家族が彼の存在そのものを「いなかったこと」にしていた。ハンセン氏病患者は「汚れた者」として、

「無ライ県運動」が行われ、ライ病患者のいる県は「不潔な県」とされて、ハンセン氏病患者は、狂犬の如く追われ、駆除されたんだよ。「清潔な県」を作ることを奨励されてね。不登校程度の、「自分の意志で学校行かない」という自分自身の勝手な選択のせいで差別されたんでもなければ、「身体が動かない」なんて甘えのせいで差別されたんでもなくて、単に偶発的に不幸なその菌を身体に持っちゃったってだけでね。

これはもう「苦悩を謳歌」なんてもんじゃない。本物の苦悩だよね。

で、この療養所の人が皆テレビのインタビューなんかで、諦観の微笑を浮かべているのを見て、私はあるこの関係の仕事をしていた人に尋ねた。

「なぜ彼らは泣かないんですか?」

「人間は、本当に本当に苦しい目に遭うと、泣けない。笑うんですよ」

おい、心療内科でぽろぽろ簡単に泣けるというファストフードレベルがお似合いの頭緩いプライドゼロの桃花とかいう女、聞いたか?お前が泣けるのはな、「本当に辛い」まで行ってないからなんだとよ、分かるか?もっと奥深くまで悩んでみろよ。泣けねーぞ。

心が凍ったら涙が出ないって分かるよな?凍ってるもんから水は出ないからなあ。

だから凍った表面で笑うだけなんだよ。

こうした中から誕生した患者である北条の「いのちの初夜」という作品は、今の甘ったるい不登校児を取り巻く世界の中で、その不登校児の苦悩が偽物であるがゆえに、本物の苦悩として美しく揺らめきだす。

今の不登校児は、プライドはゼロだし、すぐビービー泣いて苦しいと言って見苦しく逃げてケロッとして、日本滅びるぞ、と思わず「憂国」してしまうわw心の時代とか言ってないで、武士道精神でも思い出して葉隠でも読め、不登校ブログで子供の問題行動を感傷的な文章でさらして金稼ぐバカ母親ども、気高くなれ!

 

現代でこうした北条みたいな「本当の苦悩」を一人で背負い込んでいたのが、電通の高橋まつりさんだ。母子家庭から東大に入り、電通に入ったエリートだったが、24歳で自殺している。

電通は私が大学の頃は120人採用のうち100人がコネ採用、残り20人が一般採用だった。

なぜ知っているかというと、大学時代の親友が電通の佐藤雅彦さん(多分一般採用、東大卒)に憧れて、コマーシャルを作りたい、と凄まじい情熱を燃やしていて、しかも一般採用は全員東大だという。じゃあうちらみたいな私大じゃムリじゃんよ、と思ったが、でも玉砕覚悟で受けると彼女は言って、私も巻き添え食って一緒に受けたのを覚えているからだ。

100人のコネ採用は安倍昭恵とか昔の中西防衛庁長官の息子とかそんなメンツで、安倍昭恵は「アフターファイブが私の時間」と、昼間はだるそうに「ただいるだけ」、中西防衛庁長官の息子に至っては後日大麻で逮捕されるんだが、電通の自分のデスクから大麻がはみ出していたというくらいの会社で、コネ採用は遊びに来るだけ、残りの20人が会社を支えているのかな、と思ったものだ。大宮エリーなんかは電通だが東大なので、恐らく一般採用だろう。

で、この会社の学歴で判断しますよ、というメッセージは露骨で、「東大、京大・・・」(旧帝大が羅列)「早慶上智、マーチ」(が羅列)して書かれている。そして、「これらの大学の学生は丸をして下さい。その他の大学の人は学校名をお書き下さい」と書かれ、入社する前から、マーチまでしか相手にしてませんよ、とはっきり学生にアピールしてくるんだよね。

こんな会社に受かる訳ない。で、私はついでに受けただけだが、親友はガチだったんで、大学で会ったとき、壁を殴って泣いて悔しがっていたのを思い出すわ。

 

こういう差別的な一般枠に、母子家庭で頑張って東大行って、電通も受かった高橋まつりさんという女性が入って自殺したことは、知っている人は知っているだろう。地味で人気のなかった、希望外の部門に配属され、体育会系の会社で、上司からの罵声のもと、睡眠時間平均2,3時間、というのが続いた後、彼女は自殺してしまう。これは電通のブラックぶりを示す話として結構問題になった。

さて、こういうのを「苦悩を謳歌」しているのではない人、と私は規定するのだが、彼女は心療内科に行ってぼろぼろ泣いたりしなかった。母親は当然「仕事辞めてくれればよかったのに」と深く哀しんだが、ここで心療内科でぼろぼろ泣ける桃花ほど辛抱一つ出来ないバカとは違うw

きっと彼女は、自分は東大から電通という細い細い穴を潜り抜けて選抜された特別な存在だという矜持があった。仕事を辞めると親に怒られるのではないか、失望させるのではないか、親を食べさせることが出来なくなるのではないか、何より、今まで培った努力をどぶに捨てるならば、命を捨てる方が・・・との視野狭窄に陥った。これは、やはり「本当の苦悩」だろう。自分に厳しいところ、それが

今の不登校全盛時代に、これまた輝いている様で、高橋まつりさんの死は哀しいが、それでもこうしたメンタリティーを持つ人が

頑張らない誰かさんを支えているんだというのは本当に感じる。

東大から電通。確かに惜しいスペックだ。

上に書いた「女性はすぐ症状が出て大病に気づくが、男性は小さい症状が出ないので大病が分かりにくい」という比喩がこれほど似合うエピソードも珍しい。

上に書いた桃花なんかは進学校ですぐ過呼吸不登校からの心療内科でぽろぽろ泣いて辛い苦しいと心情吐露をためわず、得たものをあっさり手放して退学し、末路はファストフードの店員でそれでも将来のことを何も気にせず(一生ファストフード店員でいいのかとかさ)、今がよけりゃいいと彼氏と楽しく遊んでいるんだから、性格自体が薄っぺら、悩みの中身も薄っぺら、人生も薄っぺら、本当、まつりさんと比べてケアする必要なんてないと思いますね。大切な何かを失わないために、必死で耐えて守り抜くってことを知らない不登校の典型的人種なんだから。天気雨みたいに、簡単に泣いて、簡単に笑う。何十年先を考えることもない単細胞で、まつりさんみたいな、手に入れたものを必死に腕に抱えて人に悩みを打ち明けることもなく黙って耐え抜く人が減って行って、桃花的な、不登校新聞の石井的な、全然耐えないで「これでいいんだ」というプライドゼロのヤツばかりになったら、繰り返すが日本を背負って行く人は?まつりさん的な人がいなければ、社会は本当に回らないんだけれど。まつりさんだったら、「手に入れた進学校」を「過呼吸不登校」みたいなバカバカしいことで手放すことなんて絶対せずに体調管理し学校を皆勤し、心療内科にも行かず切り抜け、感情を殺して踏ん張るだろう。泣いたって笑ったって、自分の人生が勝利か敗北かを決定づけるのは、自身の努力しかない、自分の相談相手は自分しかいない、って、彼女は知っていただろうから。

にもかかわらず、この桃花の話レベルの苦悩がネットで盛んに垂れ流されるのは、何でも発信できる時代だからこうなったんだろ?限られた人間しか発信できなかった時代のがよかったくらいだわ。昔だったら、不登校ブログや新聞や漫画みたいなくだらない感傷的な駄文は到底日の目を見なかったからな!

 

他に身の回りで高橋まつりさん的な「武士は多くは語りますまい」として、わが道を行った人物を二人知っているが、二人とも学歴も優秀だし我慢強かった。涙も本心も見せないで苦しみも見せず自分で消化して生きた(てか別に今も生きている、自殺している訳ではない)。そういう人を見てきた自分に、もう不登校で文科省や学校が「子供に学校を適応させていく」と日和るの見るとゲロ吐きそう。

 

不登校児よ、戦争や飢饉で、いつか本当の苦悩が来たとき、もう「苦悩を謳歌」は出来ないぞ、覚えとけよ。

不登校ブログや新聞や漫画書いているその界隈のお取り巻きや行政関係者なんかもな。

本当の苦悩ってやつが来たとき、分かるまで偽物の苦悩を謳歌しとけばいいさwww

 

自分を甘やかせ、って、今の時代にいかにも耳障りいいフレーズだがな、さすがに自分を甘やかしすぎなんだよ不登校児!

 

中島みゆきの「命の別名」にこんな歌詞がある。

 

たやすく涙を流せるならば、たやすく痛みも分かるだろう

けれども人には笑顔のままで、泣いてるときもある

 

本当に苦しんだ人は、泣けないよ。涙に騙される大人と親と世間。不登校児はそれで同情を引く駆け引きを出来るくらいは

あざといよ。あんまり子供を舐めない方がいいよ。大人の解釈が単純すぎる。てか、逆に、人前で平気で泣いているガキを見たら、「泣けるくらいだから大したことないんだな、心配いらないな」とでも思っておけ。