横浜市議会議員の古谷靖彦氏が本会議で「息子が不登校です」と言ったそうな。例によってどうやら子供が教員に傷つくことを言われたとかなんとか。全部は読んでいないですが。不登校は自慢で、悪いのは教員。そして子供は流行の発達障害。お約束のあらすじで、ますます教師不足に一躍買っていますw不登校児なんか恥ずべき存在なんだから蔵の中に隠しとけよ。表沙汰にするな。自民党の宮城県議、中島源陽氏は「不登校」という言葉は子供を傷つける、と言った。政治家が議会でこういうことを言うのは、不登校擁護を訴えれば、自分の支持率が上がるし、少なくとも自分のイメージは傷つかないという保証があるからだろう。政治家なんだから、もし自分の子供が不登校なのが自分のイメージを下げると思ったら蔵の中に隠して、「いない存在」にするはずだから。中島県議は「不登校」は子供の心傷つけるって本気で言っているのかい?傷つけるはずないって知りながら、人気取りのために言っている気がするんだけど。だってさ、他になんて言えばいいのよ。そもそも、「登校を拒否する」から「登校拒否」だったんでしょ?それが子供を傷つけるってんで、「登校」しないって意味で「不登校」って呼び変えたと。これ以上「傷つけない呼び方」ってないんじゃない?だって、差別用語でもなくて、単なる事実の呼称じゃん。漢語で「登校」の上の部分に否定形の「不」をつけただけ。これで傷つく子供がいたら、不登校児をなんて呼べばいいんだか。

 

で、もうこの二人も、あるいは国も、あれだよな、国が不登校特例校を300作るってことは、国が学校サボりOKを出しているもんだから、コロナ前まで味方のいなかった不登校児の親と、コロナ後に子供が不登校になった親は、そりゃ国のお墨付きだからガンガンブログで「うちの子不登校、流行の最先端」って綴るし、行政もブームに負けじと子供の居所スペース確保に走るでしょう。流行怖いな。はやりすたりあるしな。

 

たーだーし、義務教育制度廃止して、国がもう、学校行くか行かないか、選択制にするっていう方向に舵取りするんならば、そう決めたんならね、不登校によるハンデで仕事がない、生活保護受けたいって不登校児のなれの果てが役所に駆け込んだとき、生活保護を承認するかしないかも、選択制で当然いいよね?だって、義務教育受けないと、凡才で特別な能力のない子供はまともな働き口ないよってはっきり告知していますよね、どこでもかしこでも。それでも「今サボりたい」「今特別扱いして大事に扱え!」って欲望を満たすために「朝起きれない」「大勢の人がいるのが怖い」「当てられるのがいやだから教室入れない」って言って「ノーストレスの場所くれないと学校行きませんよ~」って言っているんだから(ノーストレスの場所がこの世界にあるんならば見せて貰いたいもんだ)、義務教育の義務を果たさない子供、無理して果たさせるつもりもないバカ親、こういう連中が生活保護のときだけ、「義務を果たさないくせに権利だけ主張する」ってのが許されないのは、覚悟の上なんでしょ?我慢して学校へ通った人は、いざ働けなくなったとき、それまで頑張ってサボらずに社会に貢献する仕事もしてきた訳だし、満額貰えて当然。不登校一年ちょっとのやつは減額。まるまる行かないで学歴ないし頭悪いしノーストレス状態が好きでこらえ性ないから仕事ないから生活保護受けたいってやつは絶対認めたらダメでしょう。学校行けって言わない親が悪かったんだし、仮に親に逆らって登校拒否するほど芯が強いならば、一人で何でもやって食っていけ。生活保護なんて頼るな。国に逆らったんだから、都合悪くなったときだけ国に弱いツラして頼るな。最初から分かり切った上でサボるスタンス貫いたんでしょ?学校行かないのは悪いこと、デメリットいっぱい被ること、社会は散々告知しましたよ。そもそも、その生活保護のお金ってのが、真面目に学校行って真面目に働いている人が取られる税金なんだぜ。真面目に学校行った同年代の人たちが真面目に働いて収める税金を盗んで行く気?真面目に学校行った子と同列に扱える訳ないじゃん。

 

特別な才能って言えば、さっきのネットニュースに、「小中学校一切不登校の男性が芸大に合格」なんてまたレアケースの成功事例挙げて、不登校礼賛煽ってたね。彼は幼稚園で拒絶反応あって、行かなくなって、小学校入る前に、学校関係の大人相手に「学校行かない宣言」したそうな。親も容認。父親は会社員で母親は音楽家って書いてあったけど、どんな社会規範してんだかな。呆れたわ。まあ、でもこれは芸大って成功事例あってのもんだから、相変わらず成功事例をほとんどすべてのケースって勘違いしちゃう不登校児は、「自分は無理」って思っといた方がいいわ。親にしても、芸大受からなかったらただの学歴ゼロの無職だけど、そんでもいいと思って育てたんだか。理解不能。ま、この子も小学校1年で学校関係者相手に「行かない宣言」するとはめちゃくちゃ自己主張強すぎだな。ヒトラーよか自己主張強いわ。こんな6歳、怖いわ。多分学校生活全く知らないから、協調性はゼロでしょう。

 

とにかくグーグル検索に不登校ネタが出て来るのが苦痛なんで、見るに堪えないんで、もうやめて欲しいんだけど、終わらないねーこのブーム。遮断出来ないってのがまたひどい。ネットのない時代ならば、見たくないテレビは見ない、本は読まない、で済んだのに、ネットだと、勝手に流れて来ちゃうからいかんともしがたい。だって不登校礼賛って不条理過ぎるんだもん。こちらが明らかに間違っていると思う意見を押し付けて、同調圧力でダダ流しするのも、パワハラつか、いやがらせだと思うので、とうとうこんなブログ書かざるを得ないくらいフラストレーションたまった。少数派の考えが間違っているっていう前提もなんだかね・・・てか、私の回り、本当に早稲田出の才女で二児の子育てした友人、この人敬虔なクリスチャンで、基本的に、障害者とかお年寄りとか、弱い人にすごい優しい人なんだけど、その本当の弱者に「寄り添う」人が、「今の不登校児は甘えすぎ!」ってこれ私への同調じゃなくて自分から結構強く言ってるし(ってことは、この人から見ても、不登校児は「本当の弱者」じゃないってことだよな。不登校児が「多数派の同調圧力によって作られた偽物の弱者」だって見抜いてんだよね、この友人も)、あと、美容カウンセラーの人も「なんか今の不登校問題、変ですよね!」と言っているし、ああ、それに若い医者も言っていたわ。てか、常識で考えたら、ここまで一つの考えがグーグル検索で上がって来るのは、絶対変なんだよ。不登校礼賛はおかしいって人が、自分のリアルな周囲にいるのに、誰も言わない(言えない?)のは、不自然過ぎる。ただ、不登校礼賛があまりに異様に強いから、こういう「ちょっとおかしいんじゃん?」て不登校礼賛に疑問を抱いている人が、もう発言する余地ないんだよ。だって、1人くらい、「礼賛しすぎ、おかしくない?」っていうのが出てきてもいいのに、こてんぱてんにされんのがいやなのか、面倒なのか、出て来ないじゃん。ここまで礼賛ネタだけが出て、不登校批判が1つもないと、北朝鮮中央テレビの将軍様礼賛みたいで気持ち悪いわ。グーグルはモンペに買収されてんのか。

 

だけど、自然と、世間が不登校礼賛、不登校批判はできませんってなっているから、批判する私の側が、口が悪いとか攻撃性強い、ってなるけれど、現状に反対する人ってのは、攻撃する人だからね。攻撃しないで、どうやって反対するんだよw不登校礼賛ブームが終わんないと、こっちの文句も終わんないよ。てか、より過激になっていくわ。なんせ毎日不登校礼賛ネタが自己主張するかのごとくグーグルに出て来るんだから。不登校児の自己顕示欲と同じくらい自己主張強い。で、「この正論に、絶対反対してはなるまい。反論する者は非人道的だ」と言わんかのごとく。誰か勇気ある教育専門家だか教育評論家、不登校=甘えとか不登校=悪とか言ってみんかい。ヘタレばっかやんけー。

 

世の中って、ネガティブな意見でも非合法な意見でも、多数派の意見に、国が日和るんだよね。結局多数になっちゃってる社会現象だからしょうがない。国が「家から追い出すぞ!もし家にいても一言も口利かねえぞ!お前の存在自体スルーだ!」って叱り飛ばして学校行かせろ!ってお触れなんか出したら、モンペが暴動起こす時代になっちゃったから、不登校特例校を300も作るしかないんだよ。「私は不登校なんだから大事に扱って!」って言う悪知恵ばっかついているくせに勉強は全然ついてけない女生徒みたいなカスのためにな。こいつの親が叱らないのがまた毒親の毒親たる所以だわ。困惑してないで叱り飛ばせ!学校行け!行かない限り大事に扱う訳ねーだろ!他の子は我慢して行ってるんだ!不登校特例校の不良連中に悪知恵つけて貰ったお前の将来が怖いわ!お前は非行少女だ!って家から追い出せつってんだろ。

 

多数派が時代を作るから、その時代に流行ったり社会現象になった人におもねりましょうってのは、今まで散々繰り返されてきた。

 

私は池袋暴走運転の被害者、松永拓也さんを貶すつもりは全くないし、松永さんは「飯塚に死刑を!」って言っていいくらいなのに、「刑務所に行って欲しい」でよく留めたな、と感心した。だから、松永さんを侮辱した若い男が、逮捕起訴されたとき、同情も何もなかった。ただ、思ったのは、「これが世間の注目を集めた上級国民、そして90歳でその前に何回も事故起こした老害が運転していたことで圧倒的に世間が松永さんに味方した事件じゃなかったら、『侮辱』に問われなかったんじゃないか」とは思った。つまり、その時代に大多数を占める世論に逆行していると、激しく責められる、そしてその世論は、時代とともに変わっていくのに、時代を見極めないでなんかすると、弾劾されないでいいものもされてしまう、というのは不快に思った。つまり、何の発言をするにも「様子見」をしながらやらないといけないってのは、大嫌いなんだよな。別に不登校が時代の趨勢に合っているっていう部分を松永さんに当て嵌めたいっていうんじゃなくて、他に比喩が思いつかなかったからこの例を出しただけで、不登校児は悪、松永さんはどの時代であっても100%被害者だから、全然スタンスが違うんだよ。でも、上級国民以外の老害が結構死亡事故を起こしているが小さくしか報じられない。そういう老害の判決はいきおい、飯塚幸三より軽くなる。それに、そういう事故の被害者を侮辱したやつがいても、被害者が侮辱罪で訴えるかどうか、あるいは侮辱罪で逮捕されるかどうか。要するに全部多数決、以前は「不登校は純然たる悪」が多数決の大半、今は「不登校に寄り添う」のが多数決の大半、だから行政、教師、国、議員は全部「寄り添う寄り添う」言って施設を作り、親はふてぶてしく「うちの子は不登校で~~~す。皆さん、私の不登校児の壊れそうな心に寄り添っている話を聞いて下さ~~~い。スタップ細胞はありま~~~す!」みたいにプロパガンダしている。

 

という現象を、私は、ちょうど自分が不登校児と同じ年代の頃、見たことがあった・・・

 

今は万引きの検挙率は、高齢者が最多で、未成年者を上回る。つまり、最近の未成年者は、不登校以外の問題行動や非行に走らないのである。といい傾向だと思ったら、単に不登校にシフトしただけだったのでよくない傾向だった。

 

しかし、私が十代の頃は、今の不登校児に当たる連中が、ちょうど「ツッパリ」(アメちゃんの言葉でヤンキーっす)と呼ばれていた一群だった。そのツッパリさんたちが、今の不登校児よろしく「傷ついたナイーブな純粋さゆえツッパリになった」「だから愛情に飢えた寂しい彼らの心に寄り添わなければならない」「彼らのメッセージに耳を傾け、痛みを分かち合い、つらさを共有し」云々かんぬん、とされて綿菓子みたいにやんわり扱われていたのだ。当然ツッパリが、つまり少年非行がピークの頃だったから、それはもう、国が、今不登校児に対応する様に、あの手この手で非行少年のための施設だとかケアだとか、色々やっていた。こういうご時世に、「ツッパリはただのわがまま、おちこぼれ、いなくなれ」と言ってはいけない世論だったのを思い出す。

 

と言っても私はそもそもどの辺りから知っているかというと、まだ小学生のとき大ベストセラーになった「積木くずし」あたりからだ。その前の昭和54年には金八先生の第一弾(マッチとトシちゃんがデビューしたやつ)で、杉田かおるが鶴見慎吾の子供を妊娠して出産するってのがメインの話、翌昭和55年には第二弾、校内暴力がメインの話で、自殺した沖田浩之と直江喜一が出ていて、校内暴力を止めるために警察官が中学に乱入して、そのとき中島みゆきの「世情」が流れる中でスローモーションで直江喜一が逮捕されるとかそんな話だったはず。余計な話だが、「世情」をかけてスロー画像で何かを流すと、大体感動的な話になるので、他の動画にも使えると思った。しかし、小学生なので、ドラマをリアルタイムで見ていない。小学生から見ると、中学3年生はおっさんだ。おっさんは怖い。積木くずしが流行っているのを知ったのは、自宅で取っている新聞で「〇〇万部突破!多くの子育てに悩む親から大反響の嵐!」みたいに書いてあったので、読んでみたのが始まりだった。読んだのは中学1年だった。中学1年の娘が「不登校なんだから大事に扱って!」と言った話と同じで、中学1年くらいで「不良少女が今熱い!」とか「不良少女だと大人が構ってくれる」とか思うと、何だか非行に走らなければすごい損する気がするのは確かなので、まあ、もしこの時代だったら自分も「非行少女なんだから大事に扱って!」とさも自分のメンタルが非行に走るほど苦しんでいるかの様に装ったかも知れない。実際、積木くずしという本の帯には「著者の痛み、否、由香里ちゃん(非行少女である当事者)の痛みを・・・」という誰か映画監督のコメントが書かれていて、なるほど大人というのは、非行少女は誰しも心が傷つき痛んでいると思っているのか、と驚いた覚えがある。なぜならば自分が実際積木くずしを読んでみて、割と明るい簡易なストーリー展開で、「都会の不良とはなかなかかっこよいではないか」と思うことはあったが、由香里ちゃんに「痛み」があるなんて、読んだ限りでは全く感じられなかったからだ。つまり、時流は「非行少年少女の痛みに寄り添い、訴えに耳を傾け、愛情を注ぎ、あなたはたった一人の大切なあなたなのだから自分を大事にして。あなたは悪くない、悪いのは大人たち。自分を責めないで」みたいな非行少年少女を救おう、肯定しようとしていたのだから、私みたいなひねくれ者がこの時代にいて、「非行少年少女なんて役立たずだから淘汰してしまえ」「寄り添うとか言って甘やかしているんじゃないよ。つけ上がって足元見られるぞ」と言ったらろくなことにならなかっただろう。けどさー、時代変われば人変わる、で、今はこのセリフ、非行少年には皆言ってるよねw潮目が変わったのは、やっぱ、サカキバラ事件が大きかったかなあ。あの事件で、未成年を罵っていいんだ、っていう国民の共犯意識が根付いた感じ。

そんで今となっては、不登校がガラス細工の繊細な一群なので「寄り添わなければ、病気だから」と言っている割に、非行少年は単に人間失格って言える社会にすっかり変わっちまったんだから不思議なもんだ。不登校児こそ人間失格だけどね。だって、非行少年は、本人は同情引こうとか自分は心を病んでいるから甘やかして大事に扱えとか騒がなかったぞ。不登校児だけが、自分は心を病んでいるので特権階級だから甘やかして一切責めるな、大事に扱えと騒いでいる。ツッパリよか全然ずる賢い、あざといではないか。あと、国も当時はツッパリで出席日数足りないのは自己責任として出席扱いにしなかったが、不登校児には、不登校特例校まで作って、それを出席扱いにしてやる、と至れり尽くせり。何で不登校児は「心病んでいる弱い子供」扱いで精神障害っぽくしてあげて、ツッパリには「サボるやつには制裁するぞ」として断罪しているのかが分からん。やってること同じだわ。問題行動、逸脱行為、それから規範意識やルールを守る意識の低下、不登校児も非行少年もそっくり当てはまるだろ。勉強嫌いだから勉強しない、いやなことはしない、授業中勝手にふらっと出て行く、そういうのって非行少年が全盛期にやっていたのと同じだわ。つまり、単にモラルが欠落してんだよ、不登校児も非行少年も。不登校児は非行少年と同じで病んでいるんでも何でもない、今の甘すぎる大人が何でも認めるから、モラルが完全に欠如しちゃっただけでやりたい放題なだけなんだって気づけよ、おい。モラルが欠如してんのを、心が弱いから決まりに従えないんだ、って勘違いすんなって言ってんのに、本当大人は不登校児に手のひらで操られてるわ。同じことをしても、かつてのツッパリには、教師が怒って「勉強しろ!授業中に勝手にサボって出て行くな!」って普通の教育していたぞ。今は勉強やりたくないならやらないでいい、学校いやならサボっていい、それじゃ現代の非行少年(不登校児)を容認しているだけで、なんつーか、ツッパリに一応教育しようとしていた、社会のルール教えようとしていた昔の時代の教育よか退行してんじゃないか。そのうち校内暴力が流行るんじゃね?で、また中島みゆきの「世情」が流れてね・・・それに、勉強したくなければしないでいい特例校には、カリキュラムはあってないようなものだから、出席扱いにして、中学の教育はきちんとしたぞ、というのは、裏口入学ぐらい不正なやり口で、全然義務教育終了程度の勉強なんぞさせていないから、学力身についていないから、出席扱いは本当にズルい、というか、やはりこれは裏口入学じゃなくて、裏口卒業、とでも言いましょうかね?そういう意味では、不登校特例校卒業というのは、少年院卒業と同じくらい恥ずべき隠さなくちゃいけない卒業ですね。差別されますからね、そんな国が突貫工事で作った不登校特例校卒業なんて言われても。だったら少年院の方が、まだ歴史も伝統も知名度もあるから不登校特例校よりはエリート。不登校特例校卒業は、もう少年院卒業よりおちこぼれの集団。少年院にさえ入学できなかったのかっていう下層中の下層w

 

でも、この時代を覚えているからこそ、今の不登校全面肯定ブームが、80年代に少年非行や校内暴力が横行したために、要するにそういう未成年が増えたために「非行少年少女を受け止めよう」と思う大人ばかりになって彼らに寄り添う様な趨勢が作られたプロセスと同じで、この、非行少年という言葉が、今は不登校児、と変わっただけに過ぎないんじゃないかと思う。ゆえに、不登校児がまた減れば、不登校肯定ブームもすたれる、なぜならば、不登校が問題にならなくなったら多数派の意見に国が迎合しないでも済むし(国は国民の批判が怖いだけさw)、実際対策もしないでも学校へ誰もが行くわけだから、80年代の少年非行や校内暴力と同じに見ればいいのかも知れないとも思う。

 

てなわけで、不登校児肯定ってのはブームだと思っている。でも、もしブームじゃないとしたら、義務教育は本当に解体すると思うけど。だって学校行かない理由が「勉強したくない」「朝起きたくない」「毎日決められた時間に行くのが苦しい」「先生に当てられたくない」「足が動かない」「お腹が痛い」「大勢人がいる場所が怖い」みたいな理由なんだから(こんな理由ならばまともな親ならば許さないはず。どんだけ親ガチャ外れた不登校児が多いんだよ。だから不登校児は失敗作なんだよ)、学校が、もう行っても行かなくてもいいサークルレベルと化している。ちょっと体や心が調子悪ければ遅刻早退オッケーで、行き先も告げずに飄然と授業中にいなくなっても構わないってのは、もう学校じゃないから、それをずーっと300校作ったときに、それが主流になって、「さすがにおかしいだろ」って言える人が誰もいなくなったら、本当に学校の意味がなくなるからね。てか、不登校児以外の、学校行っている健全な子供も皆「勉強したくない」「朝起きたくない」「先生に当てられたくない」「仮病に腹痛と足が動かないことを理由にしたい」って思っているからね。そうしたら、普通に学校行っている子供が「不公平だ!」と反旗を翻し、全員不登校特例校へなだれ込むに決まってる。だって、めちゃくちゃズルい話じゃん。なぜかこんだけサボりにサボりぬいた挙げ句、普通の学校と同じ卒業資格が貰えて、こんな楽な環境だったら、誰がブラックな正規の学校へ行くかって話になるでしょ?正直者がバカを見る。全員不登校児みたいな病んだキャラの芝居やった方が得だって思うよ。「何年も学校へ来なかった不登校児が『難しいルールがない』と言って学校を楽しんでくれています」とか、終始スタッフや教師や行政がこういう口調なんだけど、何で「楽しんでくれています」「学校へ来てくれています」とか、お客さん扱いなんだか。レストランじゃあるまいし。「来てくれる」とスタッフや教師の給料が上がるんかい?あと、社会は「難しいルール」だらけだから、いくら今甘やかして貰っても、一般社会には出られないって認識しておいて。今ぬるま湯で数年後地獄w。そうなってから分かるだろうよ。だから勘違いして下手に自信つけんなよ、そこの不登校児、お前はダメ人間なんだって自覚しとけw「体調や心の状態に応じて途中休憩も認める」とか、なんか高齢者の介護施設みたいだよな。6歳から15歳で、内臓はすでに70代じゃ、ますます働き口ないな。義務教育終わったら、すぐ老人介護施設に直行すんのか分からないけれど、とにかく生活保護や老齢年金は受けるなよ。あれは、「義務」を果たした人間が貰うべき「権利」のお金だからな。

 

人が大勢いるのが怖いっていう不登校児の言葉を、大人が「個というものに目覚めたのだ、多様化の一環だ」とマジで言っていて、それが教師だってのが、気味悪いんだけれど。学校だけじゃなくて、最低限のルールがないと、不登校児自体生きていけないんだって教える教師がいないのも、教師の質が劣化してる証拠だよね。単純な例、不登校特例校だと、「いやなことはしないでいい」わけだから、トイレ入ったとき、自分がトイレットペーパー使い果たしちゃった後に、ペーパー補充するの面倒だったら補充もしないで、そのままふらっとどこかへ行っても構わないわけだけど、そうなったら、その後にトイレに入る不登校児どもは、皆お尻が拭けない、みたいな、要するに「やりたくないことはやらなくていい」ってのは、実に色んな弊害が出て来るの、分かってるのかなーと。まあ、教師は不登校児には下僕だから、近所のマツキヨに、トイレットペーパー買いに走るだろうけどね。なにしろ、不登校児様たちに、「いやなことは一切やらせちゃいけない」からね。買い物も含めて。

 

コンビニ店員に不登校児がなったらいやだな、と思う。お釣りも数えられないし、商品があるか調べてくれって言ってもその商品読めないし、いやなことはやらないでいいって教師と親から教わっているから、私のレジの前に「あ、ちょっとやりたいこと思い出した」とか言って突然店から出て行って、私は精算も出来ないままだろうし、まあそれなら、そっちが放棄したんだから、こっちも商品勝手に持ってっちゃうけどねw

 

言っとくけどね、不登校児、病気じゃないから。えこひいきは無用。非行少年が病気でも何でもなかったようにね。

「不登校児が学校へ行けない理由はとても複雑です。学校だけじゃなく、たくさんの要素に悩んでいることもある。自分で説明できない何かがあるのだろうし、うまく説明が出来たら子供たちも苦しまなくて済む」と話す教師wいやいや、説明することもできないくらい追い詰められている子は、説明できない、しても理解されない、否定される、叱られる、と周囲の大人におびえているから、学校行かない、なんて自己主張を堂々とできませんよ。従ってそういう子供は自分に厳しく、自分を追い詰めながら学校へ行く。学校へ行かないって自己主張出来る子は大人に向かって説得力ある説明を思いつく悪知恵がうまいのと(つまり、大人自体をもう全く怖がっていないっていうね)、あと、たまに普通の学校へ出て行ったとき、担任や保健の先生から「大丈夫?無理しなくていいのよ。宿題も無理しないでね」とか言われ、クラスメートも腫れ物に触るみたいに優しくしてくれるのが気持ちいいだけ。今の快楽を望んで、将来を見ない辺りは、本当愚かだけれど、実際自分のこれからの人生がどうなるかは、かつての非行少年少女の末路が証明してくれているからいいわ。この教師さん「学校にいけない子供たちの多くは、個人よりも大勢を優先するということに違和感を持つのかなと感じています。集団がリスクになった時期を経て、理由はいろいろですが、『集団になじめない』ということに気が付いた子供が多いと感じています」と、とことん能天気www。明治5年から、あるいは戦後から数えても80年くらい続いた義務教育制度を、たった3年のコロナ禍によって起こった一過性の異常現象を根拠に否定して、せっせと通常の義務教育の全廃にひた走っている感じであります。てか、どこまで不登校児が「お客さん」なんだよ。お客さんの深層心理の好意的な分析結果がこれか。これも全部、かつての非行少年少女が今どうなっているかを参考にしてみるんだね。

 

末路っていうならばね、上で書いた積木くずし、の著者の穂積隆信氏、妻の美千子さん、そして非行少女である夫婦の一人娘、由香里さん、全員死んでます。全員ここまでドラマチックかね、っていうくらい、不幸のオンパレード。

 

積木くずしが売れに売れまくって、物凄い美談になっていた時期、こういう悲劇的な家族の終焉を想像してもいなかった当時の朝日新聞の「声」(読者投稿欄)に載っていた投書を思い出しました。この投稿者は、何と地方の中学校の校長先生です。

「こんな立派な親御さんに育てられた少女が、どうしてこんな風になってしまったのか分からない。でも最後に親の真摯な態度によって立ち直った。素晴らしい両親で、素晴らしい感動的な書籍だった」

みたいな感じのこと、教育者のくせに能天気な積木くずし全面肯定論を訴えています。教育大で何を学んで校長になったんでしょうか?と、まあ、教師というものはかくの如くバカです。校長もね。今も昔も、バカなんです、教師ってのは。

他にも由香里さんには「早く立ち直って親御さんを安心させてやりなさい」という手紙が全国から山ほど届いたんだとか。

この時点では、「健全な親に育てられた子供が突然非行に走った」という感じで、発言する機会を持たせて貰えない由香里さんだけが完全な悪者。

どんだけ積木くずしに騙されてんだよ。

 

「積木くずし」は、今更中身を言えば、小学校卒業まで身体の弱かった由香里さんが中学で健康を取り戻したと思ったら非行になってしまい、学校をサボってシンナーを吸って深夜徘徊で補導されるのを繰り返す、所轄警察署の少年係の警察官は「親の愛情と忍耐」という今の不登校の親に寄り添えと助言する教師みたいな平凡なことを言います。しかし由香里さんは学校にずっと行かず不良仲間とシンナー遊びをして、頭はアフロにし、黒い長いスカート、派手な化粧、竹の子族(昔流行っていたそういう人たちの集団ですw)云々、非行に走る日々を送ります。そこで、所轄の警察署じゃなくて、警視庁本部の少年課という少年のことだけやる竹江さんという人にすがって、「甘やかすな、家に帰らなかったら追い出せ」みたな真逆のやり方で立ち直らせた・・・という美談で終わっていますが、本がベストセラーになり、ドラマ化され、これが当時本当に今の不登校児みたいに、子供の非行で悩む親が多かったため、視聴率は民放ドラマ視聴率歴代1位で、これは何と平成も終わった令和になっても、破られていないんですね。不登校ブームのずっと前には少年非行校内暴力ブーム。こういうドラマがあると子供は皆真似をする。だから、不登校児の感情も見えるんです。不登校児も、今中学では20人に1人が不登校で、しかも親は不登校児を怒ってはいけない、子供の心に寄り添えって、変な教育者や変な心理学者や変な有象無象の世論や、変な国や変な行政が言っているのも全部ネットで今の子は昔の子以上に情報を知り尽くしてますから、「じゃあそのブームに乗っかって不登校やってみるか。親も叱らないはずだ、へへへ」みたいなのも多いでしょうね。まあ私は積木くずしは本がつまらなかったので、ドラマは見なかったんですが、その後のスキャンダルの方が大きかったのは普通に今に至るまで喧伝されているんで知っています。親は溢れんばかりの印税で有頂天になり、由香里さんを一人にしておいて、本人がきちんと学校へ復帰もしていない、勉強も遅れている、高校も行けない、この先どうすんの、ってのを先に考えるのが普通なのに、そうならないで、何と全くの赤の他人である悩める親たちの相談を受けるために全国を駆け回り、見ず知らずの非行少年少女が穂積夫婦を頼ってくるのに応えて、教育評論家となって色んな人と対談する。そこで親から束縛されなくなった由香里さんは今度はシンナーじゃなく覚せい剤で逮捕されるんですね。昭和の時代だから、16歳の未成年なのに、もう半ば有名人ってことで、テレビで彼女の顔が公開されていました。これじゃ立ち直れません。大人はまた「親が放置して他の子供のことばかり心配しているから由香里さんは寂しかったんだろう」と、非行少女の心はガラス細工説を主張しますが、由香里さんは別にガラスのメンタルではなく、単に親が常に不在で、うるさく言われなくて楽ちんだから、覚せい剤が楽しいからやったというのが正直なところでしょう。おまけに母親の美千子さんは、由香里さんが生まれる前から、何やら怪しい自称会計士の塚口とかいうのと不倫関係。この美千子さんは、もともと長崎県で金持ちのおじさんのお妾さんをやって家族を養っていたということで、旦那の穂積隆信氏の方が、まあ本を書いた張本人だし、しかも俳優で一般人ではなく知名度があったため、ごうごうと非難されていますが、この奥さんの方が旦那さんよか実はだいぶ不真面目ですな。大人版の不良。娘の由香里さんより不良。それで、美千子さんが妊娠したことを知った塚口は「楽しみだな、どっちの子だか」とにやにやしたとか、で、由香里さんの本当の父親は自分なのか、それともこの不倫相手だったのか、みたいなことも、穂積氏は家庭が完全に壊れてから、後々の本で書いています。そして、由香里さんの家は、美千子さんが、夫の留守に塚口を連れ込んでいて、それを由香里さんは「恐らく母親の愛人だろう」と推測しながらもスルーして自分の部屋へ入っていくみたいな状態。一方、穂積氏にも不倫相手がいたっていうんだから、本当つくづく非行に走っているのは明らかに娘よか両親だってわけですよ。その後、美千子さんは塚口と相談して、資産家の息子であった穂積氏の財産を乗っ取り、穂積氏を無一文にしてしまいます。そして穂積氏は離婚。妻に裏切られた穂積氏には多額の負債だけが残ります。一方、悪いことをした美千子さんもバチが当たって、塚口にお金を全部搾り取られて生活保護を受け、身体を壊し、頸動脈を切って自殺。そのときの所持金は2万円。美千子さんは長崎原爆の被爆者でした。放射線被爆には、被爆者本人よりもその子供、つまり被爆二世の方が身体が悪い、というケースがままあるのですが、由香里さんもそのパターンで、生後すぐから小学校時代までずっと入退院の繰り返し、悪い母親であったが責任を感じた美千子さんから生体腎移植を受けるのですが、受けた数年後に由香里さんは多臓器不全で35歳で死去。穂積さんも美千子さんと離婚してから再婚した女性に先立たれ、自分も負債を返し続けながら必死に舞台で俳優の仕事をし続けるのですが、体調もすぐれず最後は生活保護で、ガンを発症してしまうのですが、治療費を払うお金もろくになく、放置したせいもあって、そのままなくなりました。

 

覚えているのは、美談美談と持ち上げていたマスコミが、由香里さんの覚せい剤での逮捕で、「完全な教育の失敗」と積木くずしを恐ろしくこき下ろしていたことですね。

 

それを思い出すと、今有頂天になって不登校ブームに乗って世論も不登校を礼賛し、イケイケドンドンでフリースクールだの不登校特例校だの別室登校だの作っては大喜びしていても、それが終わったとき、空しいのは不登校の当事者だけで、残るのは小卒でも中卒でもない、学校行事も知らない、自分は皆と違うという疎外感だけ。多様化多様化って言っても、その多様性に耐えられるのは、それこそ今みたいにLGBTQが差別されていた時代にはっきり「俺はホモだー!」と言えた美輪明宏さんみたいな、よっぽどメンタル強い人じゃないと、多様性と口では言いながら内心で相手が持っている元不登校児である自分への差別感情を感じ取ってしまい、負けてしまいます。従って、今、おバカな教師が耳打ちする「多様性の時代だから学校行かないのも多様性」と言われてその気になっている不登校児はもともと、抗いがたい差別の中を立ち向かっていく努力も出来ず、逃げ得の経験しかないヤカラなのですから、不登校ブーム終わったら積木くずしの如く、単なる学力不足、人生経験不足、友達不足、倫理観欠如、規範意識ゼロ、帰属する場所なし、という素敵なお土産だけが手元に残ります。そして、時代が変わり、またいずれ学校へ行く子供が増えたら、その頃には、今の不登校児はもういい大人で、普通に学校へ行く小さな子供たちから「えー、おじさん、中学校も小学校も怠けていたのー?バカじゃないのー?そんな子供のときからサボり癖があったなんて、人生これからもいいことないよ~~~因果応報って知ってる?怠けたやつには、それなりの天罰が返って来るんだよ~~~お天道様は見てるからね~~~www」と言われるだけ。だって、不登校児はいつまでも子供じゃないんだから。「不登校児は大事に扱って!」って言っていられる賞味期限、中学3年までですからね。16歳になったら「特別大事に扱って!」って言っても「理由は?」って聞かれたら、何も言えないでしょ?現役不登校児は15歳が定年で、今は何者でもない、無職の16歳?行けても通信制高校の16歳だから。その場合「無職だから大事に扱って!」「通信制高校生だから大事に扱って!」と言っても大事に扱って貰えないし、相手にもされませんよ。そのセリフ切り札になるのは義務教育の9年間だけだかんね。

 

今はこんだけ不登校ブームで、それに乗じて不登校をやってる連中が多いから、しかも親もそれで怒らなくなって甘やかしてくれる様になって嬉しいから、あと、先生や普通に学校行っている同級生にちやほやされるから不登校やりたーい、って感覚で隣がやってんならば自分も、って逃げ得の不登校やってんだよ。

ミーハーで頭の足りないにわかメンヘラちゃんたちは。

 

不登校礼賛ブーム終わったら、ブーム否定に入るよ。時代ってそうだからね。絶賛の次は叩きのめし、肯定の次は否定、右にそれ過ぎたら今度は左へ軌道修正。今の不登校礼賛が、やりすぎだから、やりすぎであるならばあるほど、揺り返しも反動も凄いから。我慢して学校通っていたやつが暴動起こすって可能性もあるし。不登校特権やめろやーーー!!って。だから在日特権と似てるって言ったじゃん。とにかく右行ったら左行って、縦行ったら横行って。その繰り返しが、時代ってやつの正体。一度不自然なくらい持ち上げられたブームってのは、今度、ガッシャン!と逆に完全否定されるのだ。だから今の不登校全盛時代の不登校児、自分の子供くらいの年齢の毎日学校行く時代の子供たちから、「だっせー」って笑われるだろうね。竹の子族ダサいでしょ?それと一緒。不登校児ブームなんて、竹の子族ブームみたいなファッションだからさ、コロナ禍の後に咲いたあだ花っやつね。一時的で、永遠じゃない流行、ファッションてやつよ。

 

不登校批判記事一切上がって来ない、北朝鮮中央テレビ的将軍様マンセー的なグーグル検索システムが怖い。