独立を考えたら読む本 | 天職起業で「人生は逆転できる!」講演家・作家

天職起業で「人生は逆転できる!」講演家・作家

創業・起業・小さな会社やお店の成功事例
ベストセラー16万部

◆まえがき  「独立を考えたら読む本」

私が企業調査会社に勤めていたとき、独立者の動機は何だったのか?その実態調査をした。法務局にでざっと300社を閲覧。独立5年以内の会社に絞り、実際に100人に面接した結果、意外な結果が出た。独立の動機は大きく分けると、次の3つになる。

■計画的独立型

1番目は計画的独立型である。早くから独立の願望を持ち、何歳になったらこのような業種で独立しようと考え、計画的に独立した人である。ところが、意外なことに、このタイプは100人中わずか5人しかいなかった。

・孫正義、ワタミ、日本電産・永守、相馬、データ復旧藤井、一蘭・吉富、はせがわ、

■外部強制型

二番目は外部強制である。これは、本人が独立しようなどとはまったく考えていなかった、あるいは独立を考えていたとしても決心は弱く、本気ではなかったのに、ある外部の事情のため、やむなく独立せざるをえなかったというケースである。このケースは次の4つに細分できる。

1、 会社の倒産

1つ目は、今まで勤めていた会社の倒産である。勤め先を失ったので、やむなく自分が担当していた得意先を廻り、得意先の同意を得て経営を始めたという場合である。土木・建設関係の会社では特にこのタイプが多いようだ。
・福一不動産、ディックス、
2、 営業所の閉鎖

2つ目は営業所の閉鎖である。勤務先の業績が思わしくなく、営業所も閉鎖になったが、社長から「もし君があとを引き受けて経営を続けるなら、得意先も事務所の机も君にあげるがどうか」と言われ、事業を始めたケースである。福岡には札幌などと同じく、出先機関が特別に多いので、このケースが少なからず見られた。

3、事業部あるいは工場の閉鎖

外部強制の3つ目は事業部の閉鎖、あるいは工場の閉鎖があり、そのとき前の仕事の一部を引き継いで経営を始めたという場合だ。これは営業所の閉鎖と同じ内容になる。

4、 人間関係の悪化

外部強制の4つ目は、人間関係の悪化である。初めは独立の意思などまったくなかったものの、仕事の進め方をめぐって社長や上司と意見が合わなくなり、それが原因で人間関係が悪くなった。あるいは、社長が遊んでばかりのくせに、それがために業績が悪くなったのにもかかわらず、オーナー風を吹かせて従業員の責任ばかりを追求する。こうした理由でやむなく独立という場合である。

・京セラ、やずや、竹田陽一、フォーバル、ホームテック

以上、初めは独立する気はなかったが、外部から強いプレッシャーがかかり、これが引き金となってやむなく独立したという人が、100人中55人も占めていた。

■失業型

独立動機の3番目は、失業である。なんらかの事情で前の勤務先を辞め、次の就職先を探してたがいつまでたっても見つからないので、やむを得ず自分で事業を始めたというケースである。なかには自分から会社を辞めたのではなく、辞めさせられた人もいたはずだ。このケースは100人中40人もいた。独立の動機は外部強制型と同じであるが、外部強制型は前の会社を離れたあと、直ちに行動を起こしていたのに対して、失業型は6ヶ月以上のブランクがあり、大半は雇用保険が切れたあとで独立していたので、一応区別した。

・一風堂、ビズナビ長田、栢野、

このように独立の動機を大きく分けると、計画的独立型、外部強制型、失業型の3つに分けられ、それぞれの比率は5%、55%、40%になる。つまり、まず人生計画を立て、次にその計画に従って独立した人は意外に少なかったのである。

この時、同時に独立者の学歴も調査したが、「計画型」は全員が高卒で、大卒は一人もいなかった。そして、このタイプはどういうわけだが、全員が飲食業やサービス業を選んでいた。次に、独立者100人の中に、旧国立一期校卒は一人もいなかった。

独立する前の勤め先は中小企業が圧倒的に多く、上場企業は一人もいなかった。つまり、独立者は中小企業から生まれるのである。独立者の平均年齢は38歳。最も若い人で28歳、高い人で46歳であった。

また、定年退職後に独立した人は一人もいなかった。これは、定年になったあとで事業を始める人は法人化しないことに通じる。ちなみに士業や医師のほとんどは法人化しないので、この調査には含まれていない。

いつの時代も、雑誌やマスコミでは成功者が華々しく紹介される。しかし、人生計画を立て、その計画に基づいて経営を始めた人は5%で、しかもこの5%は学歴が不利で、その不利さが独立の大きな動機になっているのである。

さらに独立者の95%を占める人は、ある意味では組織の本流から脱落した人たちである。こうした事情から考えると、独立は「人生の敗者復活戦」のように映る。

しかも、こうして独立した人で、10年間経営が続けられるのはわずか2割で、8割の独立者は途中で経営が続けられなくなるという厳しい現実がある。

事業に失敗したら多額の借金ができる。そればかりか、再就職もきわめて難しくなる。独立を考えている人は、何よりも先立ってこの冷厳な事実を知っておいてもらいたい。

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◆栢野のコラム

この調査は1980年頃で、事情は今と違うかもしれない。

図表は2010年の帝国データバンク調査だが、それには外部強制要因はほとんどない。前向きな項目ばかり。これは起業だけでなく、転職理由もそうだ。質問項目は「自分を活かしたい」とかが多いが、ダメ社員で辞めた、クビになった、も多いはず。が、そんな答えはできないしね。面接とか公には。

もちろん、自分の実力が勤務先では活かせない、器に入りきれないから、もっと良い転職や起業した人もたくさん知っている。

が、起業動機でいちばん多いのは、今も「仕方なく」だろう。特にバブル崩壊以降、リーマンショック以降、「再就職できないから」が多いはず。

私は最初の起業は32歳の時で、理由は「4社就職・転職したが全部失敗。今の4社目も将来性がないし、なんか詐欺的でイヤだ。が、この歳で5社目ではろくな転職先もないだろう。異業種交流会に出ると、なんか大したことないのに社長とか代表が沢山いる。あの程度ならなれるのでは?それに、大企業にいる同級生に勝つには、自分で社長になるしかない!」だったw 準備期間は半年なかった。ある意味、暴発的。直前までいたのはチラシのポスティング会社だったが、それは自分でやる気はなかった。で、何やったらいいかわからない。ニュービジネスとかFCも考えたが、脱サラ合宿を2日間受け、そこで自分を振り返り、「無料職業相談業」を考案。実際には人材紹介業で、半年後には実質廃業することになったが、モデルに本多信一さんという作家・相談家・コンサルタントがいた。1941年生まれで時事通信社にいたが、内気神経衰弱気味で30歳で退社。現代職業研究所で脱サラ。四谷の若葉町のおんぼろアパートで、自分と同じ職業に悩む人を相手に無料で相談相手を週の半分。残りの日で診断士として研修やコンサル。本も私が会った1991年で30冊ぐらい書いていたが、印税なんか知れている。半分は相談ボランティア仕事。妻子持ちだがどう見ても貧乏。書生が1人いた。仕事場の六畳間は原稿用紙や資料が散乱。起業相談をしたが、特にこっちの深いヒヤリングをするわけでもなく、「あなたは営業経験あるから大丈夫でしょう」程度。今思うと、無料だからの手抜きいい加減レベル。が、なんか憧れたね。その後、本多さんの「会社を辞めてどう生きるか」など数冊を読んだ。なんか俺もこんな人生歩みたい。あと、他には企業内新規事業コンサルタント・オゥトゥジャパンの日野さん(現・ネット通信教育のアットマーク国際高校を経営)、脱サラコンサル+起業セミナー主催してた創業開発研究所の小久保さん、新聞切り抜き雑誌+人脈交流会開催の週刊キウイの池田さん、などに憧れた。その1年後には実家の借金事件で福岡へ帰ることになるが、7社目を経て今の株)インタークロスで独立。当初は広告代理店だったが、10年前からは講演・セミナー交流会・著者の端くれ。で、起業や経営の相談にはボランティアで乗っている。そう。本多信一さん、小久保さん、池田さんを足して3で割ったような人生をやってる。直接の師匠や話のメインは竹田陽一や田中真澄や九州ベンチャー大学他で付き合ってきた様々な起業家に学んだことだが。あと、面白いのは、私が東京の最初の起業で失敗し、その後にバイトしたのが出版社のビジネス社。昔、孫子の兵法やランチェスター田岡信夫の本が200万部以上売れたが、経営が傾いて船井総研が買収した直後。今はまた独立経営になったらしいが、そこで当時、本多信一と竹田陽一が本を出していた。本多さんの本はむさぶり読んだが、竹田陽一の本は読んでなかった。なんか難しそうだしと。が、帰郷後、誘われて行ったセミナーに竹田陽一がいた。あーあの本の人かあ。という程度。サラリーマン時代だったからか、中身は覚えてない。理解全然できてなかった。が、その後、参加者とともに夕食に行き、それが縁で九州ベンチャー大学で講演を10数回やってもらい、その理論話と他の講師の話を事例でまとめたのが「小さな会社☆儲けのルール」になった。その後、竹田陽一や田中真澄をマネて全国を講演で回りながら、小久保さんや池田さんを真似て?セミナー交流会を福岡や他で自主主催。合間に起業や経営や人生相談は本多さんを真似ている。相談雑談相手は、やずや創業者や石川さんの影響もあるな。自分という人間は、様々な人の集合体だ。●ちなみに、本多さんだけが所在不明だったが、やっぱ検索はスゴい。今は72歳だが、6年前?にお母さんの介護で休業し、今は自身が糖尿病?で静養中。が、2013年3月に新刊が出るらしい。これは2006年の記事http://bit.ly/Xp0rDm
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写真: ◆まえがき  「独立を考えたら読む本」<br /><br />私が企業調査会社に勤めていたとき、独立者の動機は何だったのか?その実態調査をした。法務局にでざっと300社を閲覧。独立5年以内の会社に絞り、実際に100人に面接した結果、意外な結果が出た。独立の動機は大きく分けると、次の3つになる。<br /><br />■計画的独立型<br /><br />1番目は計画的独立型である。早くから独立の願望を持ち、何歳になったらこのような業種で独立しようと考え、計画的に独立した人である。ところが、意外なことに、このタイプは100人中わずか5人しかいなかった。<br /><br />・孫正義、ワタミ、日本電産・永守、相馬、データ復旧藤井、一蘭・吉富、はせがわ、<br /><br />■外部強制型<br /><br />二番目は外部強制である。これは、本人が独立しようなどとはまったく考えていなかった、あるいは独立を考えていたとしても決心は弱く、本気ではなかったのに、ある外部の事情のため、やむなく独立せざるをえなかったというケースである。このケースは次の4つに細分できる。<br /><br />1、	会社の倒産<br /><br />1つ目は、今まで勤めていた会社の倒産である。勤め先を失ったので、やむなく自分が担当していた得意先を廻り、得意先の同意を得て経営を始めたという場合である。土木・建設関係の会社では特にこのタイプが多いようだ。<br />・福一不動産、ディックス、<br />2、	営業所の閉鎖<br /><br />2つ目は営業所の閉鎖である。勤務先の業績が思わしくなく、営業所も閉鎖になったが、社長から「もし君があとを引き受けて経営を続けるなら、得意先も事務所の机も君にあげるがどうか」と言われ、事業を始めたケースである。福岡には札幌などと同じく、出先機関が特別に多いので、このケースが少なからず見られた。<br /><br />3、事業部あるいは工場の閉鎖<br /><br />外部強制の3つ目は事業部の閉鎖、あるいは工場の閉鎖があり、そのとき前の仕事の一部を引き継いで経営を始めたという場合だ。これは営業所の閉鎖と同じ内容になる。<br /><br />4、	人間関係の悪化<br /><br />外部強制の4つ目は、人間関係の悪化である。初めは独立の意思などまったくなかったものの、仕事の進め方をめぐって社長や上司と意見が合わなくなり、それが原因で人間関係が悪くなった。あるいは、社長が遊んでばかりのくせに、それがために業績が悪くなったのにもかかわらず、オーナー風を吹かせて従業員の責任ばかりを追求する。こうした理由でやむなく独立という場合である。<br /><br />・京セラ、やずや、竹田陽一、フォーバル、ホームテック<br /><br />以上、初めは独立する気はなかったが、外部から強いプレッシャーがかかり、これが引き金となってやむなく独立したという人が、100人中55人も占めていた。<br /><br />■失業型<br /><br />独立動機の3番目は、失業である。なんらかの事情で前の勤務先を辞め、次の就職先を探してたがいつまでたっても見つからないので、やむを得ず自分で事業を始めたというケースである。なかには自分から会社を辞めたのではなく、辞めさせられた人もいたはずだ。このケースは100人中40人もいた。独立の動機は外部強制型と同じであるが、外部強制型は前の会社を離れたあと、直ちに行動を起こしていたのに対して、失業型は6ヶ月以上のブランクがあり、大半は雇用保険が切れたあとで独立していたので、一応区別した。<br /><br />・一風堂、ビズナビ長田、栢野、<br /><br />このように独立の動機を大きく分けると、計画的独立型、外部強制型、失業型の3つに分けられ、それぞれの比率は5%、55%、40%になる。つまり、まず人生計画を立て、次にその計画に従って独立した人は意外に少なかったのである。<br /><br />この時、同時に独立者の学歴も調査したが、「計画型」は全員が高卒で、大卒は一人もいなかった。そして、このタイプはどういうわけだが、全員が飲食業やサービス業を選んでいた。次に、独立者100人の中に、旧国立一期校卒は一人もいなかった。<br /><br />独立する前の勤め先は中小企業が圧倒的に多く、上場企業は一人もいなかった。つまり、独立者は中小企業から生まれるのである。独立者の平均年齢は38歳。最も若い人で28歳、高い人で46歳であった。<br /><br />また、定年退職後に独立した人は一人もいなかった。これは、定年になったあとで事業を始める人は法人化しないことに通じる。ちなみに士業や医師のほとんどは法人化しないので、この調査には含まれていない。<br /><br />いつの時代も、雑誌やマスコミでは成功者が華々しく紹介される。しかし、人生計画を立て、その計画に基づいて経営を始めた人は5%で、しかもこの5%は学歴が不利で、その不利さが独立の大きな動機になっているのである。<br /><br />さらに独立者の95%を占める人は、ある意味では組織の本流から脱落した人たちである。こうした事情から考えると、独立は「人生の敗者復活戦」のように映る。<br /><br />しかも、こうして独立した人で、10年間経営が続けられるのはわずか2割で、8割の独立者は途中で経営が続けられなくなるという厳しい現実がある。<br /><br />事業に失敗したら多額の借金ができる。そればかりか、再就職もきわめて難しくなる。独立を考えている人は、何よりも先立ってこの冷厳な事実を知っておいてもらいたい。<br /><br />━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br /><br />◆栢野のコラム<br /><br />この調査は1980年頃で、事情は今と違うかもしれない。<br /><br />図表は2010年の帝国データバンク調査だが、それには外部強制要因はほとんどない。前向きな項目ばかり。これは起業だけでなく、転職理由もそうだ。質問項目は「自分を活かしたい」とかが多いが、ダメ社員で辞めた、クビになった、も多いはず。が、そんな答えはできないしね。面接とか公には。<br /><br />もちろん、自分の実力が勤務先では活かせない、器に入りきれないから、もっと良い転職や起業した人もたくさん知っている。<br /><br />が、起業動機でいちばん多いのは、今も「仕方なく」だろう。特にバブル崩壊以降、リーマンショック以降、「再就職できないから」が多いはず。<br /><br />私は最初の起業は32歳の時で、理由は「4社就職・転職したが全部失敗。今の4社目も将来性がないし、なんか詐欺的でイヤだ。が、この歳で5社目ではろくな転職先もないだろう。異業種交流会に出ると、なんか大したことないのに社長とか代表が沢山いる。あの程度ならなれるのでは?それに、大企業にいる同級生に勝つには、自分で社長になるしかない!」だったw 準備期間は半年なかった。ある意味、暴発的。直前までいたのはチラシのポスティング会社だったが、それは自分でやる気はなかった。で、何やったらいいかわからない。ニュービジネスとかFCも考えたが、脱サラ合宿を2日間受け、そこで自分を振り返り、「無料職業相談業」を考案。実際には人材紹介業で、半年後には実質廃業することになったが、モデルに本多信一さんという作家・相談家・コンサルタントがいた。1941年生まれで時事通信社にいたが、内気神経衰弱気味で30歳で退社。現代職業研究所で脱サラ。四谷の若葉町のおんぼろアパートで、自分と同じ職業に悩む人を相手に無料で相談相手を週の半分。残りの日で診断士として研修やコンサル。本も私が会った1991年で30冊ぐらい書いていたが、印税なんか知れている。半分は相談ボランティア仕事。妻子持ちだがどう見ても貧乏。書生が1人いた。仕事場の六畳間は原稿用紙や資料が散乱。起業相談をしたが、特にこっちの深いヒヤリングをするわけでもなく、「あなたは営業経験あるから大丈夫でしょう」程度。今思うと、無料だからの手抜きいい加減レベル。が、なんか憧れたね。その後、本多さんの「会社を辞めてどう生きるか」など数冊を読んだ。なんか俺もこんな人生歩みたい。あと、他には企業内新規事業コンサルタント・オゥトゥジャパンの日野さん(現・ネット通信教育のアットマーク国際高校を経営)、脱サラコンサル+起業セミナー主催してた創業開発研究所の小久保さん、新聞切り抜き雑誌+人脈交流会開催の週刊キウイの池田さん、などに憧れた。その1年後には実家の借金事件で福岡へ帰ることになるが、7社目を経て今の株)インタークロスで独立。当初は広告代理店だったが、10年前からは講演・セミナー交流会・著者の端くれ。で、起業や経営の相談にはボランティアで乗っている。そう。本多信一さん、小久保さん、池田さんを足して3で割ったような人生をやってる。直接の師匠や話のメインは竹田陽一や田中真澄や九州ベンチャー大学他で付き合ってきた様々な起業家に学んだことだが。あと、面白いのは、私が東京の最初の起業で失敗し、その後にバイトしたのが出版社のビジネス社。昔、孫子の兵法やランチェスター田岡信夫の本が200万部以上売れたが、経営が傾いて船井総研が買収した直後。今はまた独立経営になったらしいが、そこで当時、本多信一と竹田陽一が本を出していた。本多さんの本はむさぶり読んだが、竹田陽一の本は読んでなかった。なんか難しそうだしと。が、帰郷後、誘われて行ったセミナーに竹田陽一がいた。あーあの本の人かあ。という程度。サラリーマン時代だったからか、中身は覚えてない。理解全然できてなかった。が、その後、参加者とともに夕食に行き、それが縁で九州ベンチャー大学で講演を10数回やってもらい、その理論話と他の講師の話を事例でまとめたのが「小さな会社☆儲けのルール」になった。その後、竹田陽一や田中真澄をマネて全国を講演で回りながら、小久保さんや池田さんを真似て?セミナー交流会を福岡や他で自主主催。合間に起業や経営や人生相談は本多さんを真似ている。相談雑談相手は、やずや創業者や石川さんの影響もあるな。自分という人間は、様々な人の集合体だ。●ちなみに、本多さんだけが所在不明だったが、やっぱ検索はスゴい。今は72歳だが、6年前?にお母さんの介護で休業し、今は自身が糖尿病?で静養中。が、2013年3月に新刊が出るらしい。これは2006年の記事http://bit.ly/Xp0rDm<br />━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />■2/22福岡・栢野克己放談会・http://on.fb.me/15e5GJs<br />■2/28福岡・がんばれ社長・経営計画http://on.fb.me/XPJD61<br />■4/07福岡・上祐史浩「人生いろいろ」http://bit.ly/XjtPHY<br />■全国・静岡・鹿児島・他http://amba.to/UYQ0lx<br />■成功事例・無料動画http://bit.ly/xEBlIn<br />■最新情報はメルマガで http://bit.ly/x0iCND<br />━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />■「ベンチャー大学・教材館」http://bit.ly/xEBlIn<br />━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━