子供の頃の記憶なんて
消えたことの方が多いのに
どうしても忘れられないこともある。
家庭内暴力についての記事になるので
苦手な方はこれ以上読まないことを
おすすめします。









以前ブログに書いたこともあったけど
私は〜高校生くらいまで
父親によって家庭崩壊していました
私が幼かった頃は
すごく優しくて怒られたことなんて
なかったけど
兄と姉が思春期に入った頃から激変。
私はその頃ちょうどまだ6・7歳くらい
長男である兄にだけ
いつも冷たくて理不尽に怒られる姿を
たくさん見てきた。
今だから分かることは
第一子だった兄のことを
きっと自分の子ではない
他の男の子供だと思っていたに違いない。
特にお酒が入った父親は手がつけられなく
兄をかばう母親にも手をあげて
それを私と姉は見てろと言われて
泣いてたとしても、見させられる。
あの時の記憶は
すぐに思い出せる。
きっと兄も姉もそうだと思う。
兄は結婚をしない理由は
単純にモテないからというのもあるけど
結婚したとき、父親になったとき
自分がうけた暴力を
子供にしてしまうのでは、と
思っていると聞いた。
それほど、兄にとって
恐ろしい記憶になっているんだと
悲しく思う。
兄や、母だけでなく
兄が上京したあとは姉、
姉が独り立ちしたあとは私と、
ターゲットの順番は年功序列だった。
私が何かされながらいつも言われていた言葉は
「お前のせいで。」
「お前なんていらない。」
「産まなきゃよかった」
お前のせいで
お前のせいで
だから私は
「お前のせいで」
と
「お前はいらない」
と言われると
ものすごくショックを受けてしまう。
愛犬のふじこが我が家に来てからは
私が虐待を受けると必ず私の部屋に来て
泣いてる私を慰めてくれるかのように
じっと目を見て泣き止むのを待ってくれていた。
怪我をした箇所をずーっと舐めてくれたり
父親が来ないように?
ずっと部屋にいてくれたり
泣いてて遊んであげないのに
ずっとそばにいてくれて
助けてくれたのはふじこだった。





過剰反応しすぎなのも承知してる。
でも傷やトラウマになるということは
過剰反応してしまうことだと思う。
父親がそうなってしまった理由としては
お酒に飲まれてしまうというのと、
うちが貧乏だったからではないかと思う。
父は23歳と母は22歳という若さで
子育てが始まって
お金がないことと
お金がかかること
休めない仕事と
全部がストレスだったんだろうなと
今になったら分かる。
子供にわかってもらいたくて
イライラする心理もわかる。
ただ、子供にはそれがわからないということ。
疑問なのは
何故大人である父親は
それをわからなかったんだろう。
だからか、私は
人に必要とされたい
お金が欲しい
という理由で(それだけではないが)
銀座でホステスをしていたし
その欲は満たされた。
人に必要とされる事で
私はすごく頑張れた。
毎日お客様を呼びたい、きて欲しい
という気持ちは人一倍あった。
きてくれることで
お金にも直結するし
いいことづくしだった。
やはり私もお酒に飲まれるタイプだった。
これは間違いなく遺伝。
話が逸れてしまった。
何故こんなことを急に思い出したかというと
先日の、ゴン太とのトラブルで
最近ギクシャクしていたのに
極め付け、
ゴン太の体に触れた時
「もういらないから」
コーヒーとお風呂沸かしといてよ...
もう今日は寝てていいから
コーヒーもお風呂もいいよ。
と言われてしまったからだ。
そんなつもりで言ったわけじゃないって
誤解だよ!って
言ってくると思うけど
私は家政婦か?
というか
もう要らないのか。
妙にその言葉が残り
怒りでもなく虚しさが残って
サラサラした冷たい涙が出た
また要らないと言われてしまった。
その日から顔も合わせないように
朝は家を出て
ご飯も作らず
夜は先に寝ている。
いつもみたいに激怒したり
ガミガミ言うエネルギーみたいなのも
湧いてこなくて
すっかり被害者ぶってる私だが
心の中が落ち着くまでこうしてたい。
結婚して同居することで
帰る家が同じ屋根の下なのがつらい。
実家に帰る!とならないのは
この虚しさの原因は
実家で起きたことだからだ
人間否定をまた好きな人にされた気分になり
そして父を思い出したのです
遺伝とは恐ろしい。
子供の頃についた傷は一生消えません。
長くなりすぎました。
続きます。
