6月12日は、祖母の命日。今日で20年になります。

 

長女(私の母)次女 長男 三女 次男の5人の母でした。

 

抱っこされているのは私。
 

私は、幼い頃から両親共働きの家庭に育ち1歳から保育園。

 

同い年のいとこが4人いたので、年中から4人揃って幼稚園に通っていました。

 

祖母が住む本家の敷地内の工場を経営していたので、

 

幼稚園のお迎えはいつもおばあちゃん。

 

遠足も、母は仕事が忙しく、私だけおばあちゃんが付き添ってくれて。

 

でも、おばあちゃんが大好きだったからすごく嬉しかった。

週末も母が仕事の時は、バスに乗って富士宮の浅間大社に行っな。

お出かけするときのおばあちゃんは、いつもお洒落に洋服を着こなし、

メイクもばっちりな印象。

 

土曜の20時になると、おばあちゃんは三ツ矢サイダーを飲みながら、

テレビでプロレスを観戦してました。

 

いつも優しい優しいおばあちゃん。

 

そんなおばあちゃんが、私が高校生3年の時

末期の肺癌と宣告されました。

 

余命は2年。

 

だから高校の卒業式日に、母が振袖を着せてくれて、おばあちゃんに見せました。

 

 

でも成人式の日、おばあちゃんに振袖姿見せることができました。

 

 
右は私のいとこのあず。私はギャルですね。色も黒い。
 
そしてこの年の春に、祖母が階段から落ちてしまってそのまま入院することになり。。
 
ガンは他にも転移していて、そして余命は残りわずかと宣告され。。
 
祖母は「家に帰りたい」と言いました。
 
親族と話し合い、最後は住み慣れた家の敷地で看取ろうということで、
家に帰ってきました。日中はデイサービスの方が来てくれ、夜は家族でお世話。
 
当時、私はFineという雑誌のモデルのお仕事をしながら、地元のアパレルショップで
働いていたのですが、仕事が11時からなので、朝出勤前に、祖母の所へ必ず
行くのが日課でした。
 
少し会話して、いつも、仕事に行くときに、バイバイっまた来るね って言うと
 
「バイバイっ」て言ってくれた祖母。
 
5月末に、ロケでセブ島に行かなくちゃいけなくって、その間に何かあったら
どうしよう。。心配をしながらも、祖母が 行ってらっしゃい って言ってくれて。
 
帰国してすぐに駆けつけると、生きててくれた。ホッとした。
 
でも、元気がなくなっていて。。
 
母が、メイクしてあげたら?って一言。
 
メイクも好きだった祖母に、アイシャドーと口紅、眉を描いてピースサイン
 
もうほとんど体も動こせない祖母がピースしてくれたんですよね。
 
メイクの力ってすごいですね。
 
 
 
亡くなる前の日、いつものように、バイバイって言ったら
 
さようなら って言われたんです。
 
この数日後の朝、祖母が昏睡状態になり、すぐに駆けつけ、
私は手を握り、最後の時を過ごしました。
 
 
孫14人、ひ孫2人。
 
たくさんの優しさをくれた祖母。
 
今でも私の心の中に生き続けてる。
 
こうして生きていられるのも、祖母がいてくれたから。
 
命日。大切な人を、深く想う日。
 
同時に、私、おばあちゃんに胸張って 
今楽しく生きてるよって言える
人生送れているかなって。
 
繋いでくれた大切な命を、命ある限り精一杯、生きる。
 
うん、生きる。私らしく。
人生100年時代、あなたはどんな生き方がしたいですか?