講談社学術文庫読書記録 No.68『イタリア海洋都市の精神』 | BLOGkayaki1

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読書記録、環境問題について

『興亡の世界史 イタリア海洋都市の精神』陣内秀信 2018.10

 

 かつて、ヴェネツィア共和国は、膨大な長さの領土を有していた。それはアドリア海沿岸からギリシア近海の島々、果てはトルコの南に位置するキプロス島にまで及んでいた。その長さは2000キロにも及び、ちょうど日本列島の長さに匹敵する。
 このことはヴェネツィアが海洋貿易国家たる所以であるのだが、日本では案外見落とされているのではないだろうか。
 見落としがちになるのは、現代の交通手段の主力が自動車であることに捉われているからであろう。19世紀から20世紀にかけて、自動車社会に取り残された海洋都市国家は、近代的なビルが建てられることもなく当時の街並みをそのまま残す結果となった。

 本書では、この“取り残された”海洋都市が21世紀において潜在価値が積極的に見直されていることを紹介している。
 特に、その価値というものを、海からのアプローチ、そして海上交易の歴史という観点から解説し、いかにそれが重要で重層的なものであるかを強調している。
 

海の存在、港の存在が再度、注目されている。あるいは、経済社会を活性化させるにも、海洋都市としての文化イメージ、風景のアイデンティティが重要視されてきた。  (本書15頁)


 特に南イタリアでは、20世紀以降の経済的な落ち込みが激しい。それは21世紀の現代でも続いており、ギリシア危機に次ぐ危機的状況から抜け出ていない。
 しかし一方で、“田舎”のリノベーションが進んでおり、治安も劇的に改善されているという。スローライフやスローフード、ビーアンドビー(B&B)、アグリトゥリズモなどの考え方が普及し、田舎町の価値が見直されている。時代に取り残され衰退した海洋都市もまた同様である。
 だがこれらの価値は、大前提があってこそ見直され再利用されている。それは、歴史の積み重ねである。

 イタリアの海洋都市の歴史は、古代ローマ時代には記録からすでに確認されている。海洋都市同士が協力や争いを起こしながら同盟や併合を繰り返す。宗教的な対立や、大国の間に挟まれながら立ち位置を模索する。やがてイタリアが統一され、廃れては、新しい価値を見出して再起する。
 これらの歴史に目を向けないと、ただ風光明媚で綺麗だなぁ、で終わってしまう。下手をすると、ボロい建物だなぁなどと一瞥で終えかねない。
 田舎に限らない事だろうが、その土地の歴史を知ること、調べることは、その価値を見出すことに他ならない。
 歴史を学ぶ意義とは、本当に一言では言い表せないくらい、多様で価値があることなのだ。