眩しく。歩く。登る・・・。 | かや&とものブログ

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拡張型心筋症+WPW症候群+重度脳萎縮+難治性てんかんを患う4歳の息子を中心にしたブログです。

こんにちは皆様。


福岡は今日も寒いです。


毎朝、ベビーカーでバス停まで通っていましたが、


ここ2か月は歩いて通っています。



3年前「この脳では歩けませんよ・おそらく一生寝たきりです」


とお医者さんに言われていたのに、不思議です。


本当に「脳」とは何なのでしょう?



「普通」と言われる事が「ほぼ全て出来ない」


と言われていたから こそ、


「歩く」「食べる」「笑う」という


一つ一つの動作が出来る事に


心から「うれしいなぁ・・ありがたいなぁ」


と感じます。


「出来て当然の決めつけ」が無い故の幸せです


そして、


全ての出来事は、視点の持ち方によって


「幸せ」にでも「不幸せ」にでも感じられるんだと


気づかされる今日この頃です。



↑近くのパン屋で眩しくて・・・。




昔、神経科の主治医にこんな事を言ったことがありまして、


「歩けないような、自分の意志もないような、


そんな子を治療して何の意味があるんですか?!」


というニュアンスの内容でした。



勿論、世界中には様々な子がいて、


歩けない、喋れない、それ以上に、私の想像を


超えるような状態の方もいるかもしれません。


その方々には拒絶されるような言葉を


発してしまったんですが、


当時の私には、息子の状況は


受け入れがたいものでした。



しかしながら、3年過ぎた今は、当時の考えが


「間違っていた」と分かります。


喋れなくとも、歩けなくとも、自分の意志がなかろうとも


何ができなくても、全く関係ないのです。


「ただそこに存在してくれているだけでいい」


そう今は思うようになりました




↑ランタンフェスティバル準備中の長崎市内



どうして心境の変化が起こったのかは


分かりませんが、日々息子と暮らす中で、


芽生えていったものでもあるし、


多くの色んなお子さんや、家族や、


保育士さんなど、色んな出会いが


自然と変化を促してくれたのは間違いありません




ただ、脳に障害を負ったことは、


心臓に難病を抱える子にとっては


困ったもので



何故なら、障害がある子は、


仮に心臓移植が必要になっても、


その適用から外されてしまうためです。


命の選別を行われるわけです。



親にとっては歩けなかろうと、何であろうと


純粋に「生きてほしい」と心から願い、望みます。


けれども、それは叶わないわけです。


勿論、「移植出来れば絶対に生きられる」のではないですが、


その選択肢すら与えられません。


「生きる失格」のような烙印を押された気に


なりますし、それはどうしてもやるせないです。

(ノ_・。)


人間、誰しも皆、遅かれ早かれ、生きていれば


体に何かが起こります。


それは、病気かもしれないし、事故かもしれないし。


加齢によるものかもしれないし。


しかし、「自分だけは大丈夫だ」という、なんの根拠もない


ものを皆抱えているように思います。


だから、障害を持つ人を、病気を患う人を


自分には起こりえない「他人事」に感じるのではないかと。



誰だって、ふとしたタイミングで、思いもよらぬことで


身体的な何かを抱えるかもしれないのに です。




今は障害や病気がある子、人は、すれ違う多くの人に


「何か違う、変なの」と見られる事があるかもしれません。


でも、いずれは皆「あぁ、何も自分と変わらない、


病を抱える人と自分は同じだった」


と気づく時が来るのだと思います。



世の中がそういった事を感じられるようになれば


ひょっとすると「障害のありなしに関わらず、移植適用」


の道が開けるかもしれません。


(それよりも、最新医療がもっと進んでくれる事を願いますが)




また、病気や障害を抱えることは、同時に「疎外感」も抱えますが、


それはいずれは消えていくものです。


(というか、再発したり、消えたりを繰り返すような・・・)


最近それに気がついて、私は随分と楽になりました。


そして、息子が可愛くて仕方がない毎日であります。



今は辛くて、シンドイ何かを抱えている人がいたとしても、


それはいずれ悩みではなくなる日が来るかもしれません


振り返ったら「あの時は辛かったけど、今はもう違う」


と♪(*^-^*)



長くなったので今日はこのあたりでー(*'ω'*)