本来のというか最初の熱帯魚ブームは1960年代であり、この頃のブームは高価な魚ばかりで、養殖技術は発展途上であり、ほとんどが原産地で採取されたものばかり。

今でこそ、安価で入手できるネオンテトラは、桁が違います。一匹数万円もしたといいます。当時の物価を考えても、裕福層くらいしか手に入らない。大学卒の初任給が1万数千円だった事を考えれば、一桁違いますので、庶民には高根の花。
その後が、1980年代後半から1990年代半ばまでの熱帯魚ブーム。(今は、あの規模ではないにしろ現在進行形ですね)
この頃には、飼育環境も良くなり、繁殖(ブリード)技術の進歩もあって、ほとんどが安く売られていたので、敷居はともて低くなっていました。

私が、熱帯魚を飼い始めたのはこの頃。それ以前は、子供の頃に金魚飼ってただけ。

 

その話は↓↓↓↓をどうぞ。

我が家では、熱帯魚なんて言う高価な生き物を飼う余裕などなく、安価(と言っても安くはない)で売られていた金魚たちでもなく、釣堀で釣ってきた魚です。それを60cm水槽で飼っていました。40分150円とかいう時間の中で、何が釣れるか分からない醍醐味を味わいながら、釣れた魚を水槽へドボン。
上部式フィルター(落水部はL字ではなく、そのままの直下、つまり"I字")は、高価であり手が出ないので、安価な底面式フィルターを採用。
鯉、鮒、ドジョウ、タナゴなど飼ってましたが、それは全て、近くの池で採れたものか釣堀です。
父親は地方公務員であり、給料が安い。世の中は高度成長経済で金回りが良く、公務員なんかの安月給なんかでやってられるかといった雰囲気。オイルショックまではね。
 

年に二回くらいの頻度で、リセットしてました。水槽内の魚をタライに移して水槽の水を抜き、大磯砂(大磯海岸で採取された本物。現在は禁止されてます)を小分けにしてゴシゴシ洗い、水槽全体も洗い、底面フィルターを水槽底部に置いて、ウールマットを被せてから、大磯砂を敷きます。
それから、水道水を流し込んで、ある程度水が入ったら止めて塩素を中和しますが、これが安いハイポなんです。あの氷砂糖のような粒の。それが溶けきったら魚を投入。父親と私と妹の三人でやった記憶があります。
 

当時は、水質がどう変化していくのかさえ知らず、ただ魚を放り込むだけ。

餌は、生きたミジンコ(近くの池で採取)か、金魚屋に行ってイトミミズを買ってきては与えていました。あとは、乾燥した金魚用の餌を砕いてやるくらい。
そういう子供時代を過ごし、中学生あたりまで、金魚を飼ってましたね。
高校に入ると、魚より小鳥の方に、関心が移りました。十姉妹を始めとしたフィンチ類は、ほとんどブリーディングを経験しています。
 

20代は、アマチュア無線やボウリングに嵌まってました。並行して小鳥は飼ってましたが、熱帯魚には関心が無かった。手間かかり過ぎるの知ってましたから。
30代になって、ようやく熱帯魚を飼い始めるという流れです。それからズット熱帯魚一筋。ブリードしないだけ。

世の中が、熱帯魚ブームだから飼い始めたのではなく、子供の頃に手が出せず、金魚だったせいもあり、大人になって自由になるお金が出来たので、熱帯魚を飼い始めたというのが正直なところです。