それは、今から30年前の時代は熱帯魚ブームの頃。

私は、60cm水槽で水草を入れては枯らしての繰り返しをしてた頃の話。
水草が育てられないのは、水槽が小さいからだと、水槽のせいにしていた。

もっと大きな水槽が欲しいと、生命保険を解約してまで、90cm水槽を買った。それも前面の両サイドのガラスが曲面になってるやつ。
水槽台と水槽だけで、当時の価格で6万円。時に1995年。世の中、バブル崩壊で苦しんでいた時代。

専門書に依れば、水草を育てるにば、二酸化炭素と照明(LEDは無く蛍光灯)が、欠かせないと書いてあった。
何しろ、インターネットはあるにはあるが、アクセスポイントに電話してインターネットに接続するという時代。

電話料金+プロバイダ料金の合算であり、しかも従量制としう金が掛かる仕組みになっていたので、気軽に接続できないから、本屋に行って飼育書を読み、熱帯魚店の店長から情報を得るという地道な時代だった。

照明器具を二台置くのと、二酸化炭素が逃げるのを防ぐために「上部式ろ過は使えない」ので、必然的に外部式となった。それは、今も昔もエーハイムが主流。

 

 

 

照明器具は、20W蛍光管二つがセットになった物を、二台置いた。計80W。
二酸化炭素は、これもまた微動だにしないADAだった。このCO2添加装置だけて数万円。ボンベは緑色したボンベを一つレンタル。とにかく、凝りに凝った。

 

 

 

 

たかが水草を育てるだけなのに、気が付けば10万円を超えていた。
底砂はどうしたか? はいソイルありませんので、大磯砂であります。この砂を使用して、弱酸性の環境を作り出すのであります。
通販もありませんので、雑誌に載っている専門店まで行った事もあります。
ここ関東南部は恵まれており、水草入手するのに、そんなに苦労しませんでした。行きつけの熱帯魚店に、この水草が欲しいと頼めば仕入れてくれました。
とにかく、独り身の実家暮らしだから、自由になる金はありました。20代の頃もアマチュア無線に金掛けたけど、それと同規模だと思います。

水草は、二酸化炭素投入したので、リシアは酸素の気泡を出してくれるわで、楽しかったのは間違いありません。しかし、そんな時代も長くは続きませんでした。
ブームの衰退です。欲しい水草も手に入らなくなりました。店が衣替えして、ブームになりつつある小動物(ハムスター系)になってしまったからです。地元の熱帯魚屋は廃業するしで、もう無理だなと。半年に一度はリセットしていた我が家の水槽も、閉じざるを得なかった。水草が高騰し始めたのと、コケまみれになった水槽を誰が面倒見ようかです。
水槽内には、コケという外来種みたいな、祭りの後みたいな、誰かが暴れたんじゃないかと思われるくらい廃れた状態に。
一気に、やる気を失くすと、こうなるのかぁって。

60cm水槽が空いたので廃棄した。そのうちの一つが、のちに"過酷な第4水槽"となるのである。
水槽内の熱帯魚たちは、誰も水換えしなくなったものだから、自然崩壊してしまった。後片付けに追われる日々。
あの突っ走りは、何だったんだろう?熱帯魚ブームって・・・・・

※90cm水槽は、人工水草にとって代わり、暫くはプラティを飼っていた。

教訓

ブームには踊らされるな。

地に足を付けて歩むんだと。


家に残った物は、90cm用水槽台と水槽だけ。あとは、全部大型ゴミで処分。CO2ボンベは、巡回してきた粗大ゴミ回収車に差し上げた。

 

 

あれから30年経過して、再び活躍する日が来るまで放置していたよ、水槽台は。