朝8時45分に出社。
9時から12時までひたすらかかってくる“芸能人御用達!ふるさといいもの
便”の電話注文受付とクレームの応対に追われる。
休憩は一時間。そこそこ仲のいい派遣仲間と食堂でご飯を食べ、昨日観たド
ラマの話と、芸能人の別れ話でお茶を濁す。
1時
から5時
まで、また同じことの繰り返し。残業は許されないこのご時勢。16時45分にはお客様応対は終了させ、注文票の確認をし、5時のチャイムとともに
“お疲れ様でした”と挨拶をして、用もないのにイソイソ帰る。
彼
氏いない暦3年。
女だらけの職場で出会いがある訳でもなく、趣味もなく、この生活も気づけば2年半。半年毎の契約更新を繰り返し、次の契約更新をすればまた半
年、同じ事を繰り返す事になる。
確か半年前も、1年前も、同じ事を考えていた気がする・・・
『今、
ヘッドハンティンッグの話が来ていて悩んでいます。給料もポジションも今より確実に上がります。でも、今の職場はみんないい人ばかり
で、裏切るなんてとても出来ません。どうすればいーのかな・・・』
『麗子さんはいい人ですね。前にも同じような誘いが来た時、大きなプロジェクトを任されているのに途中でほっぽる訳にはいかないと断った
事がありましたね。
とても責任感の強い、勇気のある人だと感心しました。
でもね、麗子さん。チャンスは限られた人にしか来ないと僕
は思います。
前にも言ったように、僕はモデルのオーデションを受けては落ち、受けては落ちを繰り返し、やっと掴んだチャン
スがスーパーのチラシモデルです。
人を大切にする事ももちろん大事です。でも、麗子さんの才能を生かせる場所があるなら、自分の可能性も大切にしてほしいと僕は思います。
あっ、偉そうな事言ってスミマセン。。。』
『JINくん、返信ありがとう。JINくんの言う通り、今
回のお話は前向きに考えたいと思います。そろそろ飛行機の時間が迫っています。また、日本に戻ったらメールしますね。お仕事、がん
ばって!』
PCを閉じて、TVをつける。見たことのないお笑い芸人が、笑えないネタを惜しげもなく披露して審査員からハナマルの評価をもらっている。
“才
能ないくせに...”
スー
パーで割引になった惣菜をつつき、缶ビールを飲みながらTVに
向かって意見する。これも日課になっている。
で
も、PCの
中の“麗子”は違った。
彼女は世界を飛び回り、次々に企画を成功させ、仲間からの信頼もあつい素敵な女性。
大富豪からのプロポーズを断り、大会社からのオファーを断り、いつか独立して自分の会社を持ちたいという野望を持っている。それがもう
一人のあたし、麗子。
半年くらい前のことだった。ヒマつぶしに、出会い系サイトを見ていると、ブルーグレーの目のアップの写真が目についた。
自己紹介の欄を見ると
《JIN;モ
デル、彼女募集中、年上好き》 と書いてあった。
ど
う見ても、おばさんを騙すホストの文章だったけど、おもしろ半分で自己紹介文を返信した。それがJINとの出会いだった。
麗
子という偽名を使い、適当に仕事の話をでっち上げ、自分の人生を語るのはなかなか気分がいい。
JINは自称モデルの25歳。父がドイ
ツ人、母が日本人のハーフで、両親の離婚後、日本の祖母の家で暮らしていたらしい。今はバイトをしながら、モデルになる為の修行中だそうだ。
あたしはネットの出会いは信用してない。自分がこうだから、相手に期待はしていない。どうせJINの正体なんてどっかの頭の禿げた腹のでたオヤジか、引
きこもりのオタク男かなんかに決まってる。それでもあたしは構わない。会う気もないし、相手の現実に興味もない。
ただ、自分の乾いた生活にちょこっと水分が欲しいだけ。
あ
たしが悩んでいるのは、麗子のように大企業に行くかどうかじゃない。
派遣を半年更新するかどうかだ。ここであたしが辞める
と言っても、引き止められる訳じゃない。あたしの代わりなんていくらでもいる。
実
際あたしは悩んだ振りしてるだけで、来週の月曜日には躊躇いもなく更新の書類にサインをしてるんだろうな。
これから学校に行って資格取るとか、正社員の面接受けるなんて...ムリムリ。今更そんな気力も体力もございません。
次
の日の朝、JINか
らメールが来ていた。
『麗
子さん、やったよ!ずっと狙ってたブランドの専属モデルのオーディションに受かったよ!それで急遽、フランスで行なわれる
大きなショーに出られる事になったんだ。夢みたいだ。これもみんな麗子さんのおかげだよ。あきらめかけた事もあったけ
ど、いつも麗子さんのすごい話を聞かせてもらって、僕だっていつかは!って思えるようになったんだ。
そ
して僕は決めていた。自分に自信がついたら麗子さんに会いたいって。
明
日の夕方、パリへ経ちます。もし、少しの時間でも空いていたらぜひ一度会ってもらえませんか?明日の12時、前に麗子さんが散歩の途中でよく休憩するっていってた東京駅のそばの噴水の前で待っています。
明日は麗子さんの誕生日ですよね。僕の目印は麗子さんに似合う赤いバラの花を手に持っていきます。来てくれる事を願っています。』
あり得ない。どうせ、メール書くのが面倒になってきたから、最後にどんな女か見てやろうって魂胆でしょ?その手には乗らないって。
だいたい散歩で東京駅行ける距離になんか住んでないから。
明日が誕生日なのはホントだけど、いくら予定がないからって笑われに行くほど暇じゃない。
なんて思ってたはずなのに、来てしまった...。
だって万が一、万が一相手が来てたら?
どんな顔して“僕、モデルです”なんて言ってたか見てみたいじゃない。
も
しかして相手に彼女がいないのは本当で“嘘はお互い様”なんて言って飲み友達くらいにはなるかもしれないし、少なくとも誕生日を一人
で過ごさなくてすむかもしれない。
期
待はぜんぜんしてないけど、でも興味はある。
さすがに指定の場所には行けず、噴水の目の前にあるオープンカフェで待機した。
そろそろ12時になる。ここは待ち合わせとして使う人が多い。その中でもめぼしいのが二人。一人はサングラスに黒いハンチング。黒いス
カーフをしたモデル風の男。もう一人は背が180cm
くらいある、ジーンズにシャツというラフな格好の男。どちらも、キョロキョロしながら立っている。しばらくすると、ジーン
ズの方には彼女らしき女が現れ、二人で去っていった。ハンチングの方を見ると、いつのまにか、男同士で手を握って楽しそうに談笑して
る...二
人ともパートナーがいたって事で・・・はずれか。
少
し奥の方を見ると、おしゃれな街には似つかわしくない風貌の男を発見。よれたトレンチコート、ぐしゃぐしゃな髪、黒縁眼鏡にニキビ
面。手には紙袋と...バ
ラを一本持っていた。
“くっ
くっ...”
思わず笑っちゃったよ。現実と、何かを期待していた自分に。
まぁ、
わかってはいたけどね。こんなもんだよね。
時間はもうすぐ1時。
彼は帰ろうとしない。このまま帰ってもよかったけど、恥を忍んで来てくれた彼の勇気を称え挨拶だけはすることにした。
残
りのコーヒーを飲み干し、店を出ようとした時、息を切らせながら走ってくる男性に気がづいた。
栗毛色の髪、ブルーグレーの瞳。すらっと伸びた手には大きなバラの花束を持っている。“麗子さん!麗子さんはいませんか!!”噴
水の前は一時騒然となった。
そんな事は気にせず“すみません。腰までの黒い髪で、身長が165cmくらいの女性をみませんでしたか?”と近くの人に聞いて回っている。その男性は私が以前JINに
言った麗子の特徴をそのまま言っていた。間違いない、JINだ。
私
は席に座り直し、花束を担いだまま座り込むJINを
うつむきながらチラチラ見ていた。
そ
れから1時間経ち、2時
間経ち、4時
を回ったところで私は決心した。
背
も低く、パーマがとれかかってパサパサの枝毛だらけの髪だけど。名前も麗子じゃないけど、彼に一言“がんばって”ってどう
しても言いたかった。店を出てゆっくり彼に近づく。
声
を掛けようとした時、彼から声をかけてきた。
“あ
の、すみません。僕、ここで人と待ち合わせをしていて。でも、渋滞で一時間も遅刻しちゃって。もし、あなたがここで人を待っている間
に黒髪の、麗子さんて言うんですけど、女性が来たらこの花を渡してほしいんです。僕もう飛行機の時間で行かなきゃ行けなく
て、すみません、お願いします!!”
す
ごい勢いでしゃべりまくって、花束を私に預けると、すごい勢いでタクシーを捕まえて行ってしまった彼。
ホ
ンとにギリギリまで待ってくれてたんだろうな。
あ
たしは100本以上のばらを抱きしめながら一気に力が抜けてその場で座り込んでしまった。バラの花言葉は『真実の愛』。それなのに、
私は何一つ、JINに
真実を伝えていなかった。情けなさと申し訳なさと、切ない気持ちが込み上げてきてヒックヒックしながら泣いた。
ひ
としきり涙を流したら、こんな事してる場合じゃないって気がついた。
明日、派遣の契約を断ろう。それから美容院に行って髪切って、職安に行こう。
社員の仕事探しながら通信で資格を取ろう。きっと出来る。
そして自信がついたらJINに
会いに行こう。麗子に負けないくらい赤いバラが似合う女になって。
誕生日の決心を100本のばらに誓い、来た時とは違う自分になったような新しい気持ちで家路についた。