ここ数日で急に虚無感が晴れた。

理由は分からない。

ただニュースかラジオでこんな話を聞いた。

 

「冬季に入ると鬱の患者が増えるらしい。」

 

確かに自分も鬱の症状が酷くなったのが丁度1年前頃だ。

ここ最近も明らかに酷くなったのも確かだ。

詳しくは見たり聞いたりしていないので分からないが、

それは急に襲ってくるのだ。

 

私は自分をある程度、客観視で視ることができる。

だがそれは体調が普通以上の時だ。

少し前の物凄い虚無感に襲われている時は難しい。

だから虚無感、いや鬱に襲われた原因が何か分からなかった。

だが虚無感がある程度晴れた今、改めて考えてみると思い当たる節はある。

(ここでは敢えて伏せておくが)

 

鬱の症状には波がある。

気分が沈む時と上がる時だ。

この前までは下っていて、底辺に達したから今は上がっているのであろう。

鬱の自分が言うのもおかしな話だが、鬱の患者はこの時が一番危険だ。

底辺の時は何もする気が起きず、行動も起こさない。

だが上っている途中になると、底辺の気分のまま行動する気力が出てきてしまう。

この時が一番死を選びやすいらしいのだ。

自分は一時期そこまで陥ったが、今はそこまではいっていない。

何故なら自分は、「生きていないくて、生かされている」のだと気づいたからだ。

周囲の人間が止めるから生きているのであって、

正直今でも生きる理由は見つかっていない。

人が生きる理由とは何だろう?

それについては自分なりの答えがあるが、また別の機会に記そう。

結局何が言いたいのか分からない、本日の駄文。

今日も無駄に日々と時間を消費していく。

最近私の心は虚無だ。

何も感じないし、何も思い浮かばない。

鬱のせいなのか、私が変だからなのか分からない。

何も分からない。

 

正確には何も感じない訳ではないのだが、感じるのはその時々だけで、

その後の喪失感というか、虚無感が物凄い。

何もする気が起きなく、何もせず1日が過ぎていく。

 

このブログも何故始めたのかも分からない。

誰かに見て欲しいのか、見て欲しくないのか、それすら分からない。

ただ現在の心情を吐き出し、綴るだけのただの駄文。

吐き出すことで何か変わるのか?

それを期待しているのか?

前に進みたいのか?

その場に留まりたいのか?

それとも奈落に落ちたいのか?

 

それらすら分からない。

何も分からない。

何も分からないことが分かった今日の駄文。

そもそも変人とは何か?

まず自分が変人だと自覚したのは、ある時不意に友人に質問してからだ。

「自分って変かな?」

「変だよ」

即答だった。

それ以来自分は変人なんだと自覚している。

(なおその友人は今も付き合いがある、私の数少ない友人だ。腐れ縁とも呼べる)

 

しかし私が変なら、普通とは一体何だろう?

私からすれば、それまでは私の変はそれが普通だったからだ。

それから私は自分以外の普通の人々の考えと、私の考えを比べる癖ができた。

そうすると確かに私の考えは、他の人と違うことが多い。

その点に関して言えば、確かに私は変人であり、マイノリティーだろう。

だがそれに気付くと同時に、普通とは何だろうという疑問も生まれた。

(そんな疑問が生まれること自体が変だと思うのだが)

 

結論から述べると、私の考えでは「変=普通」だ。

私は当然全人類と出会い観察してきた訳ではないし、自分の出会ってきた人々を観察しただけの結論だ。

私の出会った人々が皆変人だったとしたら、この結論は砂上の楼閣に過ぎない。

ただそうではない人とも思える人達にも出会ってきたと思える。

変人の私から見た普通の人は、考え方が違うから変だと思うのであり、普通の人から見た私はやはり変なのだろうと思っている。

つまり自分から見た他人は変であり、他人から見た自分も変なのだ。

実は普通など存在せず、人は皆変なのだと私は思う。

良い言い方をすれば、それは個性であり、オンリーワンなどと言えるだろうが、私はあえてそれを「変」と呼ぶ。

 

ここまで書いてきてなんだが、結局何が言いたいのか私自身も分からない。

やはり変人の思考をただ羅列しただけの駄文だ。

まず初めに、私は自律神経失調症、所謂鬱病である。

しかしそれ以前に思考回路が自他共に認める、変人である。

鬱になったから変人になった訳ではなく、最初から変人なのだ。

ここに羅列される文章は、その変人の思考を文として羅列しただけに過ぎない

ただの駄文。

見る価値も読む価値もない、自分の為だけの駄文なのだ。