A question of honour(名誉の問題)- 「生きるか死ぬかの問題ではない。名誉の問題である。」という、
西洋の騎士道精神を表す表現。
トヨタ・マークXのティザー広告に使われた1995年のSarah Brightmanの楽曲もこの精神を踏襲した歌詞である。
常連に言わせれば、手練がやる気のない打ち方-ただし、常連の意見だ。
本当にやる気がないかという点は、話が別-で凄まじい評価点を
叩きだしたのをチートだと主張するかもしれない。
あえてその主張を受け入れよう-では、そのチート行為の
片棒を担いだのはどこの何奴だ?
私自身も当時は全てを把握していたわけではないので無理だった
と言えばそれまでである。だが、ある常連から真実を知らない
ことから来る善意なのか、はたまた本気で莫迦にしていたのか
今となっては定かではないが「大きな役を狙わないと点が
伸びませんよw」などと嘲笑気味な忠告が飛んできた時に、
私はこう対処するべきだった。まず一言、
当たり前だ。
チャットは一度に全角12文字までしか送れない仕様なのでひとまず
ここで切る。何言ってんだコイツ。と思っているところへ、
ずしんと重い一言をたたきつけるべきだったのである。
お前の点を伸ばす気はない
これは一体どういうことか!
まず、チート行為とはどういうことなのか、考えてみよう。
ここでは「不当に高成績を取らせるために、周囲の協力者がわざと
ミスプレイをして首謀者がど派手な勝ちを決める行為」と
いったところだろうか。つまり、通常一人では出来ない。
首謀者を勝たせるための協力者が居なければならないのだ。
では、とんでもない評価点を叩きだした手練を十把一絡げに
チートの首謀者と呼ぶべきか?確かに、その疑いは一見濃い。
そして残念な話だが、チート行為を行った手練も居ただろう
-相手の取り札をろくに見もせずに、役が育つ決まり札を8巡目まで
温存した上で、7巡までは自分も無謀なこいこいを繰り返したのなら、
チートと断罪されても仕方あるまい。
対戦相手がミスプレイすることを期待してしまったのだから。
だから実際には、敵失を期待しなかった手練は不当なプレイによる
とんでもない高評価点を手にしているにもかかわらず「無罪」である。
なぜなら、「不当なプレイ」は全て対戦相手の過失と自爆テロによる
ミスプレイであり、自分からは相手に求めていないから。
それより問題は常連の行為である。もはや動くことのない、一つの真実。
「勝利の方程式」が実は最悪のディフェンスで、
対戦相手の評価点が伸びるミスプレイだった。
「なんということだ、オレはチート行為に協力してしまったのか」で終わる
話ではない。自分も同じ打ち方をしていた?そんなへたくそな言い訳が
通用すると思うのか?
対戦相手にミスプレイを期待することは、
チートの首謀者が考えることである。
だから私が受けた忠告は「今の一言、聞きました?チート行為の自白にも
等しいですよ。」という事にもなる。
対戦相手を巧みにだまして、ミスプレイをするように促したわけだから。