常連の視点でほぼ時系列となる順番で、それぞれの対局で何が起きたのか考えよう。
まず、手練同士の対局の場合。
九分九厘どちらが先に役を作るかの勝負と化す。さらに、一撃で相手をハコにする
5文以上の役は意外と出来なかった-月見酒・花見酒があるにもかかわらず。
ガチガチの堅い守りは互いに失点させる状況を生み出した。つまり、全体的に
点数が頭打ちになる。これは仕方ない。さらに、ぶっかきだから相手をハコに
すればそれでいいと5文で手じまいをすると、一番点数が伸びない打ち方になる。
但しそれが最悪の選択かと言えば、さにあらず。対戦相手に得点させないことも、
正しい戦略だから。「最悪の選択」の結果とは、自分の成績が伸びない上に相手が
がんがん評価点を稼いでいくのを指をくわえて見ているだけの状態に陥ることだ。
-大事なことなのでもう一度言っておく。対戦相手に得点させないことも正しい戦略だ。
次、常連同士の対局の場合。役の点数の伸びがある、といっても全体から見れば
わずかな物である。しかし、着目すべき点は別にある。最初にそれなりに大きな
役が出来たら相手方はどうしようもない。そして、ボロ負け自体は最終成績に影響を
与えない。つまり、無謀きわまりないこいこいを繰り返してノーガードで殴り合うことが、
結果的に勝ち試合の失点を減らして評価点の伸びにつなげていることになった。
(情けないことに常連の技量なんてこの程度だった。)
問題は、どこまで評価点に結びつけることが出来たのかという点。後の大会なら
ともかく、今回は三本勝負。大技を決めただけでは、終わらない。
常連はうまい戦術に切り替えた、とでも考えたかもしれないが、成績が伸びる要因は
もう一つある-対戦相手がミスをして守るべき時に守らなかった場合だ。
手練と常連の対局が全てを明らかにする。もし常連がうまい戦術に切り替えたのなら、
手練の評価点は伸び悩むはずなのだが実際はどうだったか。あまりに数が違うから、
手練は無謀なこいこいを見て「ああまたこんなのだ」と呆れて、常連はイキナリ
打ち切ったのを見て相手のやる気のなさに驚く。驚いた常連は「大きな役を狙わないと
点が伸びませんよw」などと嘲笑気味な忠告をしたり、あるいは露骨に莫迦にする。
役を狙わないと点が伸びない?そんなことわかっとるわい、それより大事な事が
あるんだよボーヤというのが手練の率直な感想。
繰り返しになるが、手練にしてみればカス10枚の1文でも相手の得点を阻止する攻撃としては
十分な成果である。後から大きな役をあがられても大量減点も確定するのを知っている
から気にしない。一方の常連。どうだ、五光を絡めた25文の役が出来たぞ!これで評価点が
伸びるはず......と思いきや、動かざる事山のごとし!そりゃ、その位大きな
役が出来たところで、たった1文失点しただけで無失点かつ5文でやめた方がマシという
レベルまで評価が下がるんだから。しかも、今回は三本勝負。運良く
一本目でビッグ・イニングを無失点で決めても、その後の勝負を落とすか、失点を
つけられたらパアになる。二本目を無失点で取る技量もとい強運があるか?しかも、
相手は常連ではない。ガチガチに堅い守備が売りの、手練だ。
手練も手練で諸事情により、大会開始と同時に事実上永続的に戦術を変えている。
ぶっかきということを頭から追い出して、駆け引きをしつつ大きな役を狙う方針で
打っている-無論、失点しないことを第一に考えているのは言うまでもない。
無謀なこいこいを繰り返して守ることをしない常連相手であればチャンスを
ほとんど逃さないのでビッグ・イニングは評価点に直結する。二本目だって
手堅く取る-ここまでやって、やっと大きな役を作った意味が出てくるわけだ。
へっ、25文の役を作っても評価点が伸びなかったオレ様に15文ぽっちの役で
張り合おうなんて10年早いんだよ!......と小馬鹿にしていた常連は、次の瞬間
血が凍る。明らかにやる気がないはずなのに既にとんでもない評価点を
たたき出している対戦相手。しかも、今の「オレ様を舐めきった打ち方」で
2点加点ってどういうことだ!?
......となって戦術の見直しを迫られるのが本来あるべき形なのだが何故かそう
考えない。無論、「オレ様を舐めきった打ち方」が実は「実力のある者が、格下の
相手に対しても全力を以て礼を尽くした結果」だという真実にはたどり着けない。
結局、常連は手練の手玉に取られて、自分が苦しんでいるところをとっくの昔に
駆け抜けた相手がさらに上を目指して走り去るのを、指をくわえて見送る事しか
出来なかったのである。